第11話

「マシュー・サンダーズです。よろしく」




 短い銀髪は刈り上げられ、襟元には清潔感が漂う。


 日焼けした肌に似合った濃い紫色の瞳。


 腕には魔法剣士らしい、しっかりした筋肉がついていた。


 凛々しい顔立ちのマシューは、案外優しい声をしている。


 これから婚約者となるメイベルは、失礼にならないよう挨拶を返す。




「こちらこそ、よろしくお願いします。リグリー侯爵家メイベルと申します」




 侯爵家にもかかわらず、伯爵家に頭を下げてみせるメイベルに、おや? という顔をしたが、すぐにマシューは腕を差し出してきた。


 


「行きましょう。今日を楽しみにしていました」




 婚約してから初顔合わせとなる今日、メイベルはマシューと絵画展に行くことになっていた。


 クラリッサがディーンに紹介していた、あの七色の魔術師の個展だ。


 長らく社交界から遠ざかっていたメイベルだったが、礼儀作法は完璧に義母に躾けられている。


 マシューの腕に手をそっと乗せ、メイベルは令嬢らしくエスコートを受けた。




 マシューは思っていたよりもお淑やかで気品のあるメイベルに驚いていた。


 メイベルの噂は、あまり社交界に顔を出さないマシューにも伝わってきていた。


 醜い青痣があるとか、簡単に体を差し出すとか。


 それが根も葉もないものだと、マシューは察した。


 きっと、この可憐なメイベルを妬んだ誰かのしわざだ。


 ふわふわした茶色の髪は可愛らしく、吸い込まれそうな青い瞳は神秘的だ。


 落ち着いたしゃべり方も、マシューの好みだった。


 政略で始まった婚約ではあるが、いい関係が築けそうだとマシューは安心するのだった。




 ◇◆◇




 最近、メイベルがお茶会に来なくなった。


 ディーンは左腕をさすりながら、ため息をつく。




「あら、どうされましたの? そろそろ庭でのお茶会は寒くなりましたものね。離宮の中に入りましょうか?」




 クラリッサがディーンを心配そうに見る。


 そして侍従に手をふってみせ、テーブルを片付けるように指示した。


 しかし侍従はクラリッサの使用人ではないので、ディーンの指示を待つ。


 それが気に喰わなかったのか、クラリッサはちょっと眉をひそめた。




「違うんだ、寒いのではなくて。……その、クラリッサは社交の場でメイベルを見かけないか? このところ、お茶会を欠席し続けているだろう? どうしているのかと思って……」




 体調を崩しているのではないか、それならお見舞いに行けないものか。


 これまで離宮を出たことがないディーンが、そこまで考えていた。


 メイベルがいなくなってしまった穴は大きく、精神が落ち着かない。


 いつも左隣から温かな気配を感じ、それに癒されていたディーン。


 侍従がディーンの言葉に、少し居心地が悪そうな顔をした。




「ディーンさま、あの方は婚約者とご一緒に、よくお出かけになっておりますよ。今まで引きこもりだったのが噓のよう! 先日も、絵画展で見かけましたわ。ご心配なさらずとも、お元気そうでしたよ。どうやら仲良くやっているようですから」




 クラリッサの言葉が、ディーンにはよく理解できなかった。




「婚約者? それは誰か別の人のことではないの? メイベルの婚約者は僕だよ」




 戸惑うディーンに、クラリッサは妖艶な笑みを浮かべて告げる。


 それは、ずっと侍従が言い出せなかったことだ。




「ご存じなかったのですね。ディーンさまの婚約者は私に変わったのです」


「え? ……どうして?」


「私がディーンさまのお茶会に呼ばれた日のことを思い出してください。これまでになく会話が弾んで、楽しい時間だったでしょう? それを伝え聞いた王さまが、考えを改められたのです。私とのほうが相性が良さそうだと。もともと婚約の打診をいただいたのは私だったんですよ。ただ、父がちょっと心配性で断ってしまって……私はディーンさまの目が見えなくても、もちろんお傍にいたいと思ってましたわ」


「そんな……」




 ディーンは青ざめる。


 そして自分の態度を思い返した。


 目が見えるようになって、メイベルと話した回数は数えるほど。


 だが、盲目だったころから沈黙が続いても、居心地のいい関係だったのだ。


 会話が弾むとか、そうしたことに重きを置いてはいなかった。


 メイベルの気配を感じられるだけで、幸せだったのだ。


 クラリッサはそういう対象ではない。


 ジョージがクラリッサから交流を学ぶようにと言ったから、ディーンはなるべくクラリッサから多くのことを聞き出そうとした。


 クラリッサがしゃべらないことには、情報が引き出せないからだ。


 なるべく早く学びたかった。


 そしてメイベルと一緒に、パーティへ行ってみたかった。


 もの知らずなままでは離宮から出られない。


 ディーンが離宮に閉じこもっているせいで、メイベルが他の誰かにパーティでエスコートをされているかもしれないと思うと、矢も楯もたまらなかった。


 そうした必死さが、ジョージに異なる解釈をさせた。


 うまくいきそうならば取り替えてしまえと。


 目が見える者には分からないのだろう。


 そこに漂う空気に、それこそ見えない色がついていることが。


 メイベルと一緒にいるときのディーンは、常に恋の色をした空気をまとっていたはずだ。


 初顔合わせのときから、メイベルに惹かれていた。


 こんなに温かい人が婚約者になってくれるのだと、嬉しかった。


 青痣があったことで、盲目のディーンの婚約者になったのだと察しはついた。


 だがディーンの目が見えるようになったのならば、もっと高位の令嬢を娶ったほうが王家のためになる。


 ジョージは他人に容赦なく、自分の考えを押し付ける人だ。


 ディーンにもメイベルにも、気持ちがあるというのに。


 クラリッサがお茶会に参加したときから、これは決められていたゴールだったのだろう。


 会話が弾んだとか、楽しい時間だとか、そういうのは口実だ。


 最初から、クラリッサがディーンの婚約者になるように、仕組まれていたのだ。


 今頃それに気がつくなんて。




(メイベルは、いつ気がついたのだろうか?)


 


 ディーンがクラリッサと会話をしている横で、どんな顔をしていただろう。


 顔色をうかがう習慣のないディーンは、メイベルの顔をあまり見なかったことを思い出した。


 ただ静かにお茶を飲んでいたメイベル。


 そしてお茶会に来なくなったメイベル。


 きっとメイベルも、ジョージの企みが分かったのだ。


 だから自らお茶会を欠席して、身を引いた。


 ディーンの思い違いでなければ、メイベルはディーンを嫌ってはいなかった。


 むしろ心を通わせる瞬間があったし、好意を寄せてくれていたように感じた。


 ディーンはメイベルと結婚するつもりだった。


 二人の未来を想像していた。


 それなのに口実を与えてしまったせいで、メイベルと繋がっていた縁を切られてしまう。


 それだけではない。


 ディーンが熱心にクラリッサと話していたせいで、メイベルにいらぬ誤解をさせたかもしれない。




(君が好きなのに――!)


 


 苦しくてたまらなかった。


 かきむしりたいほど、心が痛い。


 本当に大切にしなくてはいけない人を、放ってしまった自分を悔やむ。


 もうすべてが手遅れなのだろうか。


 すがる気持ちでディーンはクラリッサに尋ねた。


 


「メイベルの婚約者というのは、どういう人だろう? メイベルを……大切にしてくれる人だろうか」


「サンダーズ伯爵家の嫡男で、魔法剣士のマシューさまですわ。とても剣の腕がよいそうですよ。銀髪に濃い紫目の精悍な顔立ちは、令嬢に人気がありますの。お見かけした絵画展では、メイベルさまを丁寧にエスコートしておりましたし、メイベルさまもあれほどの美丈夫ならば満足されているのでは?」


 


 聞かなければよかった。


 メイベルを思って苦悶するディーンと違い、メイベルはもう先を見ているのか。


 ディーンのことは忘れてしまったのか。


 絶望だった。


 ディーンは見えているはずの目から、光が抜け落ちたように感じた。




(メイベル、君が遠い……)




 ディーンは、知らずにまた左腕をさすった。

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