第10話

 メイベルは、賊に歯向かった。


 シェリーを叩こうと、大きく手を振り上げた男の脚にしがみつく。




「なんだあ? この娘、顔に気持ちの悪い痣がある!?」




 メイベルの顔を見た男が、ぎょっとしてメイベルから離れた。


 降り続く小雨に、青痣を隠していた化粧が落ちていた。


 男が離れたのをいいことに、メイベルはシェリーを馬車に近づける。


 少しでも男たちからシェリーを隠そうとしたのだ。




「シェリーは見逃して! 妹はまだ幼いの!」




 えっぐえっぐと嗚咽をあげるさまは、よりシェリーを幼く見せた。




「そうは言ってもねえ、お前さんの顔がそんなんじゃあ、売れるのは妹だけになっちまう。見逃すわけにはいかねえなあ」




(売る? どこに?)




「身代金を取るのではないの? それなら私でもいいはずよ?」




 メイベルは身代金目当てで誘拐されるのだと思っていたが、どうやら男たちの目的は違うようだ。




「身代金? そんなまどろっこしいこと、しやしねえよ! かっさらった見目のいい女は、娼館に売るのが一番だ。すぐ金になるからな!」


 


 ガハハと大口を開けて笑う男たち。


 その前の味見がたまんねえんだよ、とシェリーをジロジロ見る。


 シェリーは泣きすぎて呼吸困難を起こしていた。


 メイベルは葛藤した。


 義母に続いて、義妹までも私は救えないのか。


 


「わ、私では駄目なの? その、ショウカンに売るのは? 青痣は化粧で隠せるのよ」




 メイベルは手提げの中から震える手で白粉を出してみせる。




「これで隠せるわ。それでも駄目?」




 男たちは相談をし始めた。


 そして二人とも攫うことにしたようだ。




「待って! お願い! 妹は放して!」


 


 ほとんど気を失っているシェリーを、男が肩にかつぐ。


 そしてメイベルも肩にかつがれそうになった。


 メイベルは最後まで抵抗しようと、手提げを大きく振り回した。


 先ほどの白粉のほかに、手提げの中に入っていたものがバラバラと飛び出す。


 そして、振り回し過ぎて手からすっぽ抜けた手提げが、馬車の馬の横面にビタンッと当たった。




 ヒ、ヒヒィィイン!




 それまで静かに佇んでいた馬が、驚いて暴れ出す。




「うわ、誰か押さえろ! 馬車が走り出すぞ!」




 先ほど扉を無理やり開けるときは、誰かが馬を押さえていたのだろう。


 大人しかった馬だが、メイベルに物をぶつけられて怒っていた。


 前足を振り上げ、押さえようとする男たちを寄せ付けない。


 そしてガラガラと馬車を引いて走り出した。


 めちゃくちゃに走る馬は、馬車をあちこちにぶつけて人通りの多い方へ向かう。




「まずいぞ、人が来る! 逃げろ!」




 抱えていたシェリーを放り投げ、男たちは墓場へ走って逃げた。


 奇しくもメイベルとシェリーの目的地だった墓場は、男たちにとっては逃走経路だったようだ。


 馬と馬車に隠れていた道端には、賊にのされた御者がいた。


 殴られた頬が痛々しいが、死んではいないようだ。


 メイベルは、放り投げられた痛みで意識を取り戻したシェリーに近寄る。




「もう大丈夫よ、賊は逃げたわ。……怖かったわね」




 メイベルは自分も怖かったのだが、自分は姉だからと気丈にふるまうことで義妹を安心させようとした。


 しかしそれはシェリーにとっては逆効果だったらしい。




「そんな気持ちの悪い顔で近づかないで! 娼館に自ら行こうとするなんて、レディとしての誇りがないのね!? リグリー侯爵家の一員が、恥を知りなさいよ!!」




 顔は涙と洟でぐちゃぐちゃなのだが、シェリーは威勢だけはよかった。


 メイベルは言われたことには納得がいかなかったが、それだけ元気があるならいいかと、御者の方に近づいた。


 左頬が顎にかけて腫れて、青紫色に内出血している。


 メイベルは手をかざし、治癒魔法をかける。


 左頬はよくなったが、まだ御者の意識は戻らなかった。


 メイベルが治癒魔法の使い手だとバレないためにも、都合がいい。


 メイベルはホッと一息ついて、馬車が走り去ったほうから人のざわめきが聞こえるのを待った。




 幸いなことに、間もなくしてメイベルとシェリーは救助された。


 暴れて走る馬が引きずる半壊した馬車に、誰も乗っていないことを不審に思った人が、振り落とされた人がいるのではないかと道を辿ってきてくれたのだ。


 倒れる御者と、しゃがみこんだ少女二人を見つけ、すぐに警備隊に知らせてくれた。


 警備隊からリグリー侯爵家に連絡が入り、リグリー侯爵は真っ青な顔をして駆け付けた。


 シェリーはそこで初めて安心したとでも言うように、父親に抱き着き大声で泣き出した。


 何があったかの説明はメイベルがした。


 そして警備隊によって賊の追跡が行われ、人身売買組織が捕まったのはそれから半月後のことだった。


 リグリー侯爵からは、二人だけでの外出を禁止されてしまったが、メイベルは何も困らなかった。


 なぜならその半月の間に、シェリーが悪し様にメイベルのことを吹聴して、すっかり社交界で孤立してしまったからだ。




「信じられなかったわ! 命乞いをするのに身を差し出したのよ!? 立派なレディならば、自死を選ぶ場面でしょう? ただでさえ気持ちの悪い青痣が顔にあるのに、中身まで汚いのではどうしようもないわ!」




 実際にシェリーがこう言っているのを、メイベルは聞いた。


 リグリー侯爵家に友人の令息令嬢たちを招き、シェリーがお茶会をしていた席でのことだ。


 まだ義母の喪が明けていないので、シェリーは大っぴらには他家のお茶会に参加することが出来ない。


 その代わりに、こうして自邸に気心の知れた友人を招いて、こっそりとお茶会もどきを楽しんでいるのだ。


 今日もシェリーが中庭でお茶会をするというので、メイベルはあまり頻繁に開催するものではないと、たしなめようかと思っていた。


 しかし通りがかりにシェリーのそんな言葉を聞いてしまい、すぐに自室に引き返した。


 あの場に自分がのこのこ登場しては、いい見世物になるだけだ。


 シェリーの友人たちには、顔の広い令息や令嬢もいる。


 きっと、すぐに社交界に話が広まってしまうに違いない。


 メイベルの予想通り、それまで仲良くしてくれていた令嬢たちからの手紙が、ぱたりと途絶えた。


 本人がどう思っているかは知らないが、こういうものは親が真っ先に止めるものだ。


 良くない噂のある令嬢との付き合いは、自分たちの不利益にしかならないからだ。


 そうした貴族の付き合いについて、義母はちゃんと教えてくれていた。


 しかし、それももう役には立たないかもしれない。


 流れてしまった悪評は、なかなか消えてくれない。


 メイベルは、もう自分が誰かと楽しくおしゃべりを楽しんでいる姿を、想像することが出来なかった。


 義母を失った精神的な落ち込みがまだ癒えていなかったこともあり、メイベルはそこから引きこもりになった。


 そうして――メイベルは一人で過ごすことに慣れていったのだった。




 ◇◆◇




「お前の新しい婚約者が決まった。伯爵家の嫡男で魔法剣士だそうだ」




 年は3つ上の22歳、魔力量は中ほど、火魔法の使い手、伯爵家は歴代魔法剣士になる者が多く、できれば魔力量の多い嫁を娶りたがっている。


 そんな叔父の話を、メイベルは上の空で聞いていた。


 やっぱりディーンとの婚約は解消された。


 叔父が話し終えた頃を見計らい、それとなく聞いてみると、ディーンはクラリッサと婚約したそうだ。


 目が見えるようになった美貌の王弟に、評判の悪い侯爵令嬢は不相応なのだろう。


 どう見ても、社交界で華やかに咲く、美しい公爵令嬢がお似合いだった。


 二人の姿を目の当たりにし、予想していたことだったが、メイベルの気持ちは沈んだ。


 そもそもディーンとの婚約は政略だった。


 次の婚約も政略でおかしくはない。


 メイベルは静かにうなずき受け入れる。


 ディーンとの婚約を結んだときも、こうだったと思いながら。

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