第12話

 メイベルにとってデートは慣れないものだったが、新たに婚約者となったマシューはそれを感じさせないような心配りのできる人だった。


 メイベルを気負わせないよう常に話題をふり、沈黙が落ちないように会話をつないでくれる。


 今日もそんなデートの最中で、二人は人気のレストランに来ていた。


 


「子どものときに、初めて火魔法を剣にまとわせることを思いついて、大人にバレないようにこっそり練習したんだ。だけど最初からうまくいくはずがなくて、けっこうな火傷を負ってしまってね」




 マシューの話し方も、ずいぶんフランクになった。


 そのほうがメイベルも緊張しなくて済む。


 マシューが右腕のそでをまくり上げて、赤い痣を見せてくれた。


 どうしてこんな話になったのかというと、以前、メイベルに青痣があったことを話したからだ。


 マシューは、メイベルの青痣のことは知っていたらしい。


 そして自分にも痣があるよ、と話してくれたのだ。


 そして見せてくれた赤い痣は、薄くはなっていたが、かなり広範囲にあった。


 


「もう痛くはないのですか?」




 やや皮膚にひきつれがあった。


 そこが痛そうに見えたメイベルはマシューに尋ねる。




「うん、痛くはないよ。歴代、魔法剣士を輩出している伯爵家の嫡男が、火傷で腕が使い物にならなくなったとあっては名折れだから。父が必死で治癒魔法の使い手を探したと聞いた。魔力量の少ない使い手だったらしく、治すのはここまでが限界だと言われたんだ」




 マシューは赤い痣をするりと撫でた。


 それはなんだか愛着を感じさせる仕草だった。


 もしかしたらマシューは、この赤い痣を、案外嫌ってはいないのかもしれない。


 それでも念のため、メイベルは己の魔法について告白することにした。


 それは、夫になると思ったディーンにもしたことだった。


 次はマシューが夫になるのだから、同じようにしなくてはと思ったのだ。




「あの、私、治癒魔法が使えます。よかったらその火傷の痣、もう少し治しましょうか?」




 多分、メイベルの魔力量ならば、ひきつれている皮膚は完全に治るだろう。


 時間が経過しすぎているので、赤い色は残るかもしれないが。




「へえ、治癒魔法の使い手なんだね? 私に話してしまってよかったの?」




 マシューにもディーンと同じことを聞かれた。


 それだけ治癒魔法の使い手は、隠れて生きているのだ。




「その……親族には話してもいいのです。マシューさまは、私の、夫になる方ですから」




 夫。


 ディーンにそう宣言したときは、顔が真っ赤になったはずだ。


 だが、今は違う。


 なぜか、なんて分かり切っていた。


 メイベルの気持ちはまだ切り替わっていないのだ。


 ディーンを想っている。


 早く忘れなくてはいけないのに。


 マシューがメイベルの夫になるのに。


 うつむいたメイベルに、マシューが困ったように笑った。




「ありがとう。でも、火傷の痣はこのまま残しておくよ。自戒の念を忘れないようにね」


「分かりました。他に痛む傷があれば、いつでも言ってください」




 日常的な会話のときは、しっかり顔をあげて、目を見て話せるようになったメイベル。


 しかし、男女の話になると、途端にメイベルはうろたえる。


 そのことにマシューは気がついていた。


 だから先ほども困ったように笑ったのだ。


 メイベル本人は気がついていないのだろう。


 メイベルは誰かを心に住まわせている。


 それがマシューより先に婚約者だった王弟ディーンかもしれないと、マシューは考える。


 そもそもこの婚約の話は、新しくディーンと縁を結んだホイストン公爵家からサンダーズ伯爵家へもたらされたものだ。


 ホイストン公爵家のクラリッサがディーンの婚約者となったため、その座から降りたリグリー侯爵家のメイベルの新たな婚約者を探していると。


 魔力量の高い令嬢で、なおかつ特殊魔法の使い手であると聞けば、引く手は数多だったろうに。


 悪い噂がつきまとい、青痣があるというだけで、腫れ物扱いをされていたメイベル。


 マシューは迷わず名乗りを上げた。


 とにかく本人に会ってみたいと思った。


 それで気が合いそうになければ、断るまで。


 でも、そうでなければ護りたいと思った。


 貴族として生まれた以上、家のための結婚は仕方がない。


 だからといってそれを味気ないものにはしたくない。




 そして顔合わせをしたメイベルは、マシューの想像を超えてきた。


 好ましいと思った。


 それからデートを重ねる中で、メイベルの中に他の男の存在を嗅ぎ取った。


 ずっと社交界から離れ、引きこもりだったメイベルが、出会う男など限られている。


 マシューは仕方のないことだと思った。


 自分はメイベルに二番目に会ったのだ。


 ここから一番になる努力を怠る理由にはならない。


 もうディーンとメイベルの縁は切れたのだ。


 ゆっくりでいいから、マシューをその懐に入れて欲しい。


 マシューはそう思いながら、今日もメイベルに話しかける。




 メイベルは、マシューといながらも、ディーンを思い出してしまう自分に気がついていた。


 先ほど、治癒魔法の使い手であると告白したときもそうだ。


 マシューはよく話しかけてくれるので、会話は途切れない。


 比べて、目が見えない頃のディーンは沈黙することが多かった。


 それは耳をすませていたからだ。


 ディーンは小さな音もよく聞き分けた。




「あ、ウサギの足音がしたよ。右の方にいないかな?」


「右ですか? ……います、こっちを見ています。すごい、よく分かりますね?」


「目が見えないと、耳や鼻がよくなるそうだよ」




 そう言って笑ったディーンと、もうどれだけ会っていないだろう。


 どこかに出かけることもなく、離宮の中で完成していた二人の世界。


 それはとても小さなものだったけれど、温かく大切なものだった。


 目が見えるようになっても、知識を補うまでは離宮に留まると言っていたディーン。


 メイベルとの婚約を解消し、今は新たな婚約者のクラリッサとお茶をしているのだろう。


 またいつか、どこかで会うことがあるだろうか。


 


「デザートはどれにする? 季節のフルーツタルトがおすすめらしいよ」




 メイベルはハッと顔を上げる。


 今はマシューとのデートの最中だ。


 ディーンとの思い出に浸っていい場面ではない。


 マシューが渡してくれたメニュー表を受け取り、中身を見る。


 一番上に、おすすめの季節のフルーツタルトの絵が載っていた。


 そこから下にゆっくり目をすべらせると、最後の方にアイスクリームの乗ったワッフルがあり、絵ではたっぷりのキャラメルソースがかけられていた。




(キャラメルソース……。口の端についていたのを、目が見えるようになったディーンさまが拭ってくれた)




 また思考がディーンに戻っている。


 メイベルは振り切るように、メニュー表の一番上を指さした。




「これにします、おすすめの季節のフルーツタルト」


「じゃあ私は、アイスクリームの乗ったワッフルにするよ。半分こしようか?」




 メイベルがあえて避けたワッフルを、マシューが選んでしまった。


 マシューはメイベルの視線がワッフルの上で長く留まっていたことを見て、そちらも食べたいのかなと思って気を利かせたのだった。


 そうとは知らないメイベルは、またうつむき小さな声で返事をする。




「いえ……半分こは、遠慮しておきます」


「そう? 食べたくなったら言ってね」




 マシューは通りかかった店員にデザートの注文をする。


 メイベルは、ディーンのことを考えていたのが、マシューに伝わったのではないかとドキドキした。


 しかしマシューはそんな素振りを見せず、次のデートの誘いをしてきた。




「改装オープンする劇場で、こけら落としに歌劇をやるそうなんだ。メイベルは歌劇に興味はある?」




 そもそも歌劇を観たことがなかったので、メイベルは嬉しくて二つ返事をしてしまう。


 そんなメイベルを見て、マシューは笑った。




「よかった。来週、一緒に行こう。また迎えに行くよ」




 こけら落としには、箔つけのために多くの高位貴族が招かれる。


 そこでメイベルは出会ってしまうのだ。


 あれほど会いたかったディーンと、ディーンにエスコートをされるクラリッサに。

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