第8話

 もうすぐ庭でのお茶会も厳しくなりそうな季節となった。


 ディーンとメイベルは、いつもの椅子に座り、穏やかな時間を過ごしていた。




「実は、ディーンさまの目が見えるようになった日、私も顔にあった青痣が消えたのです」


「青痣があったの? どこに?」


「この辺り、左目の周辺に、葉脈のように……」




 メイベルは説明するのに一生懸命で、思っていたよりもディーンに近寄っていた。


 それをいいことに、ディーンはメイベルの顔を至近距離から覗き込む。




「ここ?」


「ええ、そこからこう、目の下まで……」


「全然ないよ?」


「そうでしょう? 嘘のように消えてしまったのです」




 説明が終わったメイベルは、今更ながらにディーンの顔の近さに気がついて、慌てて離れようとした。


 そんな顔を赤くしているメイベルを、抱き寄せようか迷っているディーンに声がかけられた。




「ディーンさま、ホイストン公爵家のクラリッサさまがいらっしゃいました」




 いつも案内をしてくれる侍従だ。


 その後ろに、緑の髪をたなびかせた美しい令嬢を連れている。


 令嬢はツカツカとテーブルに近寄ると、ディーンの前で完璧なカーテシーをしてみせる。




「初めまして。ディーンさまにお会いできて光栄です。ホイストン公爵家クラリッサと申します」


 


 クラリッサの柔らかい茶色の瞳からは、ディーンへの親愛の気持ちが見て取れた。




「ああ、よろしく。君が兄さんの言っていた人だね。ディーン・ウィロビーです」




 どうぞ椅子にかけて、とディーンは真向かいの席を指し示す。


 そしてメイベルに向き直り、クラリッサを紹介した。




「目が見えるようになったのだから、もっと世の中と交流を深めるようにと兄さんから言われたんだ。クラリッサ嬢は社交界に明るくて、貴族の中でも情報通なんだって。いろいろなことを教えてもらって、今後は僕もパーティに参加することになるみたい」


「パーティに、ですか?」




 そこは、メイベルとは棲み分けられた世界だ。


 さっそく抱いていた不安が芽吹く。


 盲目ではなくなったディーンと、別れさせられるのではないか。


 華やかで美しい公爵令嬢を、このお茶会に呼んだ王の意図を感じる。


 いつもはあまり話さないディーンだが、興味があるのかクラリッサに質問をしている。


 それに軽快な答えを返し、ときにディーンを笑わせるクラリッサ。


 メイベルから見ても、会話慣れしていると感じた。


 いつもはひっそりと静かな庭が、鈴を転がすようなクラリッサの声に彩られる。


 さっきまでは冬が近づく森から、鳥の声が聞こえていたのに。


 


「まあ、それではディーンさまは是非とも絵画展に行かれるべきですわ。今、貴族たちが夢中になっている画家の個展があっていますの。彼は七色の魔術師とも呼ばれているのですよ。繊細な筆のタッチで、立体感のある風景を描くのです」


「七色か。僕は盲目だったとき、ずっと色って不思議だなと思っていたんだ。形は触れば分かるし、味は食べれば分かる。温かさとか匂いとかも。でも、どうしても分からないのが色だった」


「目が見えるようになったのは、最近だとお聞きしましたわ。もしかしたら、ディーンさまはまだ虹を見たことがないのでは?」


「そうだ! 虹も見てみたいもののひとつだった。七色の光の輪が空に浮かぶのだろう?」


「ふふふ、完全な輪ではないのですが。どうでしょう、私がつくってみましょうか? 私は水魔法の使い手なんですよ」




 クラリッサは椅子から立ち上がると、少しテーブルから離れた位置に立った。




「ディーンさま、こちらにいらして。太陽を背にして立っていただけます?」




 ディーンは素直に席を離れ、クラリッサに近づいた。


 クラリッサは当たり前のようにディーンの腕を引き、太陽に背を向けたディーンの位置を調整する。


 そのときにメイベルと目が合った。


 クラリッサが妖艶に笑ったのを見て、メイベルはゾッとした。


 クラリッサは分かっているのだ。


 自分の役割を。


 メイベルからディーンを離し、婚約者をすげ替える。


 きっとそれが、王であるジョージがクラリッサに与えた任務だ。


 正しくは、クラリッサがディーンを気に入れば、という条件がつくのだが、メイベルはそれを知らないし、すっかりクラリッサは美しいディーンの顔に夢中だ。


 メイベルはキュッと唇を噛んだ。


 ディーンとメイベルの婚約は、ジョージからの打診で成り立った。


 そのジョージの気持ちが変わったのなら、婚約が覆されても仕方がない。




「見ていてくださいね、ディーンさま」




 ディーンの隣に身を寄せて立つクラリッサが、手のひらからたくさんの霧を生み出した。


 ディーンの服が少し湿るほどの霧が辺りを覆う。


 そこに曇天だった冬空の、雲間から太陽が顔を出す。


 霧に、七色の虹がかかった。




「すごい……これが虹……」




 産まれて初めて虹を見たディーンは、声を失くして感動している。


 触ろうとして手を伸ばし、すり抜ける。


 それが面白いのか、何度もしている。


 顔は、これまで見たことがないほどの喜色満面だった。


 メイベルは静かにお茶を飲みながら、それを見守った。


 完全にそこには、二人の世界が出来上がっていたから。




「ディーンさま、じゃあ次は雪ですよ。冷たいということはご存じでも、その形まではご存じないでしょう?」


「雪の形? 六角形だと聞いたことはあるが」


「雪は全て異なる形をしているのです。ひとつとしてこの世に同じ形の雪はありません。まるで人みたいで、なんだか素敵でしょ? 私の魔法で、大きな雪の結晶を作ってご覧にいれますわ」




 今度は、クラリッサは雪の結晶を作るようだ。


 クラリッサの両手の中を、ディーンがジッと見つめている。


 大きな結晶と言っていたが、顔を近づけないといけないくらいの大きさらしい。


 もしかしてわざと、小さく作っているのかもしれないが。


 息を殺して待つディーンと、両手を自分の顔の前に持ってくるクラリッサ。


 二人の顔の位置が近づく。




「どうですか? 素敵でしょう?」


「美しいな……」




 もっと近くで見たくて、ディーンが顔を寄せた。


 こつんとクラリッサと額がぶつかる。




「ああ、ごめんね。近づきすぎたよ」


「いいんですよ、ほら、もっと見てくださいな」




 クラリッサの両手には、どんどん雪の結晶が作り出されているのだろう。


 近づきすぎたのも忘れて、ディーンはまたそれに見入る。


 そんなディーンを眺めていたメイベルに、クラリッサが流し目を送ってきた。


 それの意味するところは、きっとこうだろう。




『どっちが勝者か分かるでしょう?』




 メイベルは正しく受け取った。


 うつむいて、飲み干したティーカップをテーブルに戻す。


 みじめだったが、そんな感情には慣れている。




「お茶のお代わりをお持ちしましょうか?」




 侍従が気を利かせて聞いてきた。


 だが、もう飲む気にはならなかった。




「ありがとうございます、私はもう大丈夫です。ディーンさまとクラリッサさまが戻られたら、温かいお茶を差し上げてください。きっと二人とも、雪の結晶だらけで寒いでしょうから」




 クラリッサの両手からあふれた雪の結晶が、二人の周りをふわふわ飛び回っている。


 それを見て、微笑み合うディーンとクラリッサ。


 寒さのせいか、二人とも頬が赤い。


 まるで恋人同士ね。


 その光景を、メイベルは無表情に眺めた。


 自分がここにいる意味を探しながら。




 ◇◆◇




「ディーンさまはどうだった? お前のお眼鏡に適いそうか?」




 お茶会からご機嫌で帰ってきた娘を見て、答えは分かっているだろうにホイストン公爵は尋ねる。




「ええ、とっても素敵な人! あんなに美しい人は、今までに見たことがないわ! お父さま、私は絶対にディーンさまと婚約するわ!」




 クルクル回り出しそうなほど、軽やかにステップを踏むクラリッサ。


 もう心はディーンと一緒に、舞踏会でダンスを踊っているのだ。


 なにしろお茶会にいたディーンの婚約者は、なんの取り柄もなさそうな、暗いだけの令嬢だった。


 思わずその場で勝利宣言をしてしまうほど、クラリッサには負ける気がしなかった。


 話題の提供にも成功して、ディーンさまとの会話も弾んだ。


 二人が最初に出会った日として、ロマンティックな思い出も作った。


 クラリッサは勝利の美酒に酔う。


 


「次にお会いするのが楽しみだわ。きっとディーンさまも、そう思っているはずよ」

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