第7話

 ふわふわの茶髪にディーンの指が絡む。




「メイベル、思っていた通りだ。君は美しい。そして温かい……」




 ディーンは得難いもののように、メイベルの髪に唇を寄せる。




「これが茶色――キャラメルソースと似ている」




 しげしげと髪を見られて、メイベルは顔が赤くなる。


 お手入れはしているつもりだけど、ふわふわの髪はパサつきがちだ。


 ディーンの艶やかな金髪には、とても及ばない。




「ねえ、メイベル、瞳も見せて。それが青色なんでしょ?」




 椅子は隣り合っているので、顔を近づけられると逃げ場がない。


 まるでキスが出来てしまう距離に、ディーンの顔がある。


 急にディーンの目が見えるようになったことといい、この距離感といい。


 メイベルの脳はこの状況を処理できないでいた。


 しかし、ハッと気がつく。




(化粧は? 青痣はきちんと隠れてる? もし汗で化粧が薄れていたら?)


 


 この距離では誤魔化すことは難しい。


 どうしたら……!




「ディーン! 目が見えるようになったのか!?」




 離宮の庭に、男の人の声がこだました。


 ドタドタと忙しない靴音と共に現れたのは、王のジョージだった。


 メイベルはすぐに椅子から立ち上がり、深く礼をする。


 それを残念そうにして、ディーンも椅子から立ち上がった。




「その声は、兄さん?」




 ディーンの緑目は、短い青髪を乱れさせているジョージを見つめる。


 走ってきたのだろう。


 ジョージは肩を上下させ、状況を理解しようとしていた。




「本当だ、本当に見えている。なぜだ? 何があった?」




 先代王のしていたことを知らないジョージ。


 突然のことに驚くしかなかった。


 ディーンに近づき、緑目を食い入るように見ている。




(父にそっくりなこの緑の瞳、それが確かに俺に合わさっている。間違いない、見えているんだ――)




 ジョージは頭の中で必死に算段する。


 青痣令嬢をあてがって、魔力量の多い王族を産ませようとした。


 しかし目が見えるようになったのなら、このままではまずい。




 そしてそこへ、もう一人、慌ててきたのだろう人物が現れた。




「ディーン、見えるようになったのか?」




 低い声は威厳に満ち、そして期待にも満ちていた。


 先代王だった。


 ディーンと同じ緑の瞳を、しっかりディーンの瞳に合わせる。


 視線が交わることを確認して、大きく肩で息をついた。




「そうか、ようやく……呪いが解けたか」




 良かった、と呟き、侍従が引いた椅子に腰かける先代王。


 先代王によって人払いがされたので、メイベルはディーンに「目が見えるようになって良かったですね。おめでとうございます」と一言伝えるのが精いっぱいだった。


 ディーンからも、「すぐに次のお茶会の誘いを送る」と返された。


 そしてメイベルはその場を辞して、用意された馬車に乗り邸に帰った。




 ◇◆◇




 離宮の庭に残った王族たちの間で、呪いについての情報が共有されている頃、メイベルは自分の部屋にそなえつけられた浴室の中で、素っ頓狂な声を上げていた。




「え? 青痣が無い?」




 外出から帰ってきて、湯を浴びようとしていた。


 メイベルは化粧を落とした顔を、鏡越しに覗き込む。


 いつもこの鏡で、青痣がある自分の顔を見ていた。


 少女のころは何とも思っていなかった青痣。


 それを化粧で隠すようになってもうずいぶん経つ。


 だが今のメイベルの顔には、それが無い。


 


「どうして……?」




 今日はおかしなことがよく起きる。


 ディーンは目が見えるようになり、メイベルは青痣が消えた。




「先代王が、呪いが解けたと仰っていたけれど」




 そのこととメイベルの青痣に、何か関係があるのだろうか?


 メイベルは何度も左目の周りをこする。


 青痣はその後も現れず、メイベルは夕餉のときに叔父に青痣が消えたと報告した。


 リグリー侯爵は、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした。




 ベッドに横になるが、メイベルの目は冴えていた。


 メイベルとディーンのこれからを考えていたのだ。


 盲目のディーンに、青痣のメイベル。


 おそらく二人は障害があるから婚約が成り立っていた。


 ディーンは王弟だ。


 盲目でなければ、王族や公爵家と縁を結ぶのが普通だ。


 それが侯爵家まで話が下りてきたということは、王族や公爵家に断られたに違いない。


 しかし、もうその障害は消えた。


 ディーンは盲目ではなくなり、メイベルの青痣も消えた。


 これから二人の関係が変わってしまうのではないか。


 メイベルはそんな恐れを抱いた。




 ◇◆◇




 メイベルの予感は的中していた。




 ジョージは、王の執務室にホイストン公爵を呼び出す。


 後ろに撫で上げた緑髪と猛禽類のように鋭い茶色の瞳が、長身とも合わさってホイストン公爵に威圧感を与えている。


 年齢は先代王と同じか、少し若い程度。


 ホイストン公爵は、ウィロビー王国の高位貴族の中でも、力のある貴族だ。


 ウィロビー王国と双璧をなす大国、アバネシル皇国の皇女を妻として娶っていることからも、それはうかがえた。


 やや皇国寄りの考え方をする皇国びいきな部分はあるが、アバネシル皇国とは今後もつつがなくやっていきたいと思っているジョージにとっては、最も囲い込みたい貴族であった。


 


「わざわざ来てもらって悪かった。実は相談があってな」


「いえ、いつでも馳せ参じますよ」




 ホイストン公爵は形だけの礼をする。


 ジョージのことなど若造だと思っているのだろう。


 


「以前、クラリッサ嬢とディーンの婚約の打診を断ったが、今ならどうだ?」




 ホイストン公爵の娘クラリッサは、アバネシル皇国の血が流れる高貴な令嬢だ。


 ジョージは、王弟ディーンの目が見えるようになったことを明かす。


 ホイストン公爵は目の前のジョージを、注意深く眺める。




(魔力量の多い王弟の目が見えるようになったのならば、魔力量の少ない王を蹴落とすことも可能かもしれん)




 いまだ王には正妃との間に子が出来ぬ。


 もしかすると自分の娘が国母になるかもしれないと、ホイストン公爵はにんまりと笑った。




「いいでしょう。婚約するかどうかは娘の意思次第ではありますが、顔合わせをさせてみましょうか」


「そうか、考えてくれるか!」


「しかし、ディーンさまには婚約者がすでにいらっしゃるのでは? 確か青痣のある――」


「ああ、それなんだが……実はディーンの目が一生見えないと思って、俺が勝手にあてがった令嬢なんだ。もうディーンは盲目ではないからな、顔に青痣など無い令嬢のほうがいいだろう?」




 ジョージは、ディーンがメイベルを気に入っていたことなど、すっかり忘れている。


 目が見えるのならば、美しさを誇るクラリッサ嬢を選ぶと疑っていないのだ。


 


「クラリッサ嬢がディーンとの話を進めてもよいなら、いつでも二人の婚約は解消させる。あの二人は顔を合わせてまだ一か月ほどだ、お試し期間が終わったと言えばいい」




 ジョージは自分の思い通りになる未来しか見えなかった。


 なにしろクルス国の血が流れるディーンの顔は、聖騎士像のごとき精悍さと優美さを兼ね備えている。


 あの美貌を見て、一目惚れしない令嬢はいないだろう。


 いくら高貴な血筋を持つクラリッサ嬢でもだ。


 


「さっそく次のディーンのお茶会に、クラリッサ嬢も招待しよう。青痣令嬢の横に並べば、クラリッサ嬢が引き立つこと間違いなしだ」


「分かりました。私からもクラリッサに話をしておきましょう。今は婚約者を名乗る別の令嬢がいるが、クラリッサが望めばその座は明け渡されると」




 ジョージとホイストン公爵は、うなずきあう。


 


 こうしてディーンとメイベルの知らないところで、また運命が書き換えられた。


 盲目であろうと、青痣があろうと、二人には互いを思う気持ちがあったというのに。


 


 そして次のお茶会の日が訪れる。

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