左手の幸福

「ね、あの人」

「え、なに?」

 信号待ちをしていたところ、隣に立っていた少女たちが、私の左手を見て反応した。

「左手、左手」

「あ、ほんとだ」

 珍しいね、とか、初めて見た、と、少女たちは無邪気にはしゃいでいる。信号が青になったので歩き出すと、二人は一瞬はっとしたように沈黙し、私が数歩歩いたところでまた会話が再開された。ひそめた声は後方から、かすかな音で聞こえてくる。

「……今のって差別的な言い方だったと思う?」

「あー……だったかも」

 一方の少女の問いかけに、もう一方の少女が答えている。

「わーやっぱり? 最悪……珍しかったからつい……」

「そういえば、この間おばさんが言ってた。珍しくてもひそひそしたらダメだって」

 耳に入ってくる小さな声を聞きながら、いい子たちなんだなあと思う。咄嗟に声を上げてしまったというだけで、相手を傷つける意図はないのだ。

「ユイのおばさんも『そう』なんだっけ」

「『そう』とかって言い方もダメなんだってさ。同じ人間なんだから、異物みたいに言っちゃダメって力説してた。そもそも100年前は、キコンシャの方が圧倒的多数派だったんだからって。うちらみたいな試験管ベビーが当たり前になったのもたった30年前だったんだとかなんとか、そういう話を何度も──」

 私が道を曲がったので、それ以上の会話は聞こえなくなった。

 少女の「おばさん」は活動家なのかもしれないな、とぼんやり考えながら歩く。先月、婚姻制度を廃止するという議題が国会に持ち上がったことで、各団体の抗議活動が活発になっている。

 日本のように、「昔ながらの婚姻制度」が残っている国は、国際的には珍しい。今は個人の時代だ。少子化問題も科学的に解決されたし、AIも駆使して個人に対するあらゆる制度が整った。その結果、人は「家族」という単位で生きる必要がなくなった。なのにわざわざ互いの自由を奪う婚姻制度を利用するなんて、変わってるね、とよく言われる。もっとひどい感じだと、おかしいんじゃないか、と、言われてしまうこともある。

 けれども私の幸せは私のもので、他人の常識や世界の流行とは関係ない。相手も同意の上なのだから、たとえ廃れた制度であっても、存在する限りはそれを行使する権利がある。

 ふと立ち止まって、私は自分の左手を見た。

 銀色の指輪は、今日もきらきらと輝いて、私の幸福を祝福してくれている。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る