ピンクを許す

 ピンクを身にまとうことを、桃香はずっと、自分自身に対して許すことができなかった。

 その理由は、「女みたいだから」だ。

 桃香はいわゆるシスジェンダー女性である。生まれた時の性別が女性で、自己認識も同じく女性。性的指向はまた別の話になるが、自らを女だと思っているのは間違いない。にもかかわらず、桃香は長年、「女みたいだから」という理由で、ピンク色のものを身につけることができずにいた。

 根底にある原因は、桃香自身にもよくわからない。男兄弟に囲まれて育ったせいかもしれないし、幼い頃に親戚から言われた「名前のわりに顔が可愛くないね」という心ない一言が記憶に焼きついているせいかもしれない。あるいは単に生まれついた性格が、一般に「女らしい」とされる規範に合わなかっただけかもしれない。

 どういう原因だったにせよ、桃香が幼い頃からユニセックスな装いが好きだったことは変わらない現実だ。色も黒やグレーを好んで生きてきた。モノトーン以外の色にはどうしても苦手意識があり、青や緑ならまだしも、ピンクなんてもってのほかだと考えていた。

 ところが先日、桃香は人生で初めて「ピンク色の財布を持つ中年男性」に遭遇した。

 それを持っていたのは、転職したばかりの職場の上司だった。

 奥さんのですか、と桃香はまず尋ねた。後から考えれば軽率な発言だったが、咄嗟に口から出てしまっていたのだった。しかし上司はほがらかに「俺のだよ」とだけ答えた。その言葉にまた「珍しいですね」と反応してしまった桃香に、上司はゆるく微笑んで「珍しいかな?」と言った。そしてこう続けたのだった。

「好きなんだよね、ピンク。きれいでしょ、朝焼けの色」

 その日、桃香は生まれて初めて、ピンク色についての認識を改めた。

 ピンク色は、女みたいな色、ではない。自然界のどこにでもある、単なるきれいな色だ。

 ピンクは朝焼けの色であり、桜の色であり、コスモスの色だ。フラミンゴの色であり、豚の色であり、いちごミルクの色であり、サーモンの色であり、鉱物の色であり、そして桃の色でもある。

 桃香はその日の帰り道、雑貨屋でピンク色のポーチを買った。

 それはただ、きれいな色のポーチだった。

 その日からピンクは、桃香にとって特別な色だ。

 桃香が自分を、単なる自分として許した証の、幸福な色だ。

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