溺れない約束
水替家の墓は、海を臨む高台にあった。「相談室」の二人が持たせてくれた花束を添え、線香を上げる。手を合わせて目をつむる。
蝉時雨が耳を満たす中、俺は心の中で恩人に語りかけた。
目をあけると、視線を感じた。横を見ると、俺と同い年くらいの女性と目が会う。あの日父親を喪い泣いていた女の子。水替真海と名乗った彼女のその瞳が、まっすぐ俺を見ていた。
俺が何か言う前に、彼女が静かに口を開いた。
「あなたを恨んだことも、ありました。
あの日あなたを助けなければ、お父さんは死なずに済んだって」
半ば覚悟していた言葉だったけれど、その重さに俺は目を伏せかけ、
でも、と 真海さんが続けた言葉に、俺は顔を上げる。
「父は海が……家から見えるあの海が好きでした。海は綺麗で、同時に怖いところだって、よく言っていました。だからこそ、好きな海で悲しい思いをする人がいないほうが良いって。だから、お父さんのしたことが間違いだとは思いません。
お父さんが助けたあの男の子が、どんな大人になってるか、人に迷惑をかけるような人だったらいやだな、と思って、探してもらいました。
けれどお父さんのお墓参りをしたいと聞いて、溺れる人を救う仕事を目指してる、と知れて。うれしかったんです。お父さんのように、海で誰かを助ける人になってくれたら、お父さんが私を残していったことも意味があるって気がして。
……すみません。勝手なこと、言って」
そこで真海さんは困ったように笑った。
「いや……いいえ。あなたのお父さんが、俺を助けてくれた意味。俺が今日まで生きてきたことに意味があるなら、きっと海で一人でも誰かを助けることだって、思うんです。だから……真海さんの話が聞けて、よかった」
そう返すと、真海さんは瞼をぎゅっと閉じた。少し涙の滲んだ目で、再び俺をまっすぐ見つめてくれる。
「約束して、もらえますか」
「何を、でしょう」
揺れる声で、彼女は答えた。
「溺れないでください。
……溺れる誰かを助けても、あなたが溺れたら。あなたがいなくなったら。お父さんのいなくなった私のように、悲しむ人がいます。だから、私のわがままですけど。あなたの大切な人も、そして私も悲しみますから」
――あなたは溺れないでください。
胸に響く言葉。俺は黙って、彼女の目を見て、しっかりと頷いた。
帰りの車中、俺は傾いた日に照らされる海に目をやった。
あの青の美しさと、恐ろしさに挑む覚悟と決意。それをもらった夏の日のことを、きっと忘れないだろう。
今日のことを胸に、俺は溺れずに泳いでいく。
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