19 隊商は行く

「ニース。トンボよ! これは何というトンボかしら?」


 ロバ馬車の窓から突き出した指に、のんびりとトンボが羽根を休める。

 大きな目は空色で、身体はカバーナ導士のローブのような朱色だ。


「本当の名前は知りませんが、お嬢の領では『夕焼けトンボ』って呼ばれてたっすよ」


 振り返りもせずに、ニースが教えてくれた。

 進む気満々のドンキー君の足運びが速くて、気をつけないと前の馬車にぶつかりそうになる。畑の中を行く街道は、振り向くまでもなくトンボたちの社交場だ。

 ニースも指を伸ばしてみるけど、意地悪なトンボは止まってくれない。


「あの色っぽいお姐さんの言う通り、お嬢にはテイマーの才能が有るんじゃないっすか?」

「どうだろう? でも、仲良くなった子を売らないと、お金にならないのでは、私には絶対に向いてないと思うわ」

「お嬢は、情が深いっすからね」


 あれ以来、仲良くなってしまったエマたちからは、相変わらず、ドンキー君に使役獣疑惑をかけられている。

 ロバはお利口だから、テイムなどしなくても言う事を聞いてくれるのに……。


 私の指先で、すっかり寛いでいるトンボを見て、ヒーラーの女性が頬を緩めた、

 隊商を警護する、冒険者グループの一人だ。

 ペナン商会のキャラバンは大きく、警護の冒険者も、中堅と新米の二グループを雇って、それぞれ交代で外を歩いて、隊商を守ってくれている。

 凄い量の荷馬車の数に驚いていたら、メロディが教えてくれた。


「収穫時は一番領民が豊かな時だから、生活必需品はもちろん、ちょっとした贅沢品も売れるのよ」


 なるほど、領民たちにとっても、商人たちにとっても、稼ぎ時なのか。

 メロディが実家の領での耕作を目論む、稲というのは、天に真っ直ぐ伸びる麦とは違って、その実りの重さで撓む程らしい。

 パンにするには向かないが、そのまま調理したり、麺にしたりで、主食として利用できる上に酒の原料にもなるとか。

 ちょっと癖のある蒸留酒として呑まれているそうだが、その辺りも改良すると、広く呑まれるのではないかと、メロディは画策している。


 私の卒業までかかっているようだから、何とか成功してもらわないと。


 そんな状況にした師匠は、芦毛の愛馬に跨って、ロバ馬車と、メロディの馬車の間をのんびりと進んでいる。……トンボには、愛されていないみたい。

 期待していたメロディは、なかなか馬車から出てきてくれないので、ちょっと退屈だ。

 家の一大事とあって、次代のクラビオン伯爵である、弟のフォルテが同行しているから、仕方ないのだけれどね。

 絵の才能が有るらしく、言葉では足りない部分を描き止めるのだとか。

 まだ十一歳の、メロディに良く似た可愛い男の子。本人は女顔なのを気にして、似てると言われると嫌な顔をするのが、また可愛い。

 魔法の才能は無いとのことだけど、爵位を継ぐなら、その方が良い。

 退屈な私は、トンボを愛でる。


「どれだけ居心地が良いんっすかね?」

「居眠りしてるのかも知れないわよ?」


 休憩地点に到着し、車椅子が降ろされてもまだトンボは、私の指から動かない。

 せっかくだから、フォルテ君に見せびらかしておく。予想通りに目を輝かせて、執事に神と木炭を持ってきてもらって、スケッチを始めた。


「できました」


 と、見せてくれた絵には、精細なトンボの絵。

 えー……せっかくお澄まし顔でじっとしてたのに。


「フォルテはまだ、異性より虫ですから」


 メロディも、師匠も笑いを噛み殺してるし。

 ちぇっ。……でも、わざわざ呼ぶだけあって、フォルテ君の絵はなかなかのものだ。

 芸術的なことは解らないけど、そのまま博物誌に乗せられるくらいに正確で、緻密な線が描かれてる。ちょっと、びっくりだ。

 軽く手を振って、トンボ君と別れる。

 こんな所までついて来てしまって、仲間の所に帰れるのかな?


 不思議なのは、故郷や王都で南にあった山が、北に見えること。

 山を越えてきたのではなく、脇をすり抜けてきたのだけど、遠くに来た実感がする。

 それに、山を越えたら少し、暑さがぶり返したような……。


「あの山の連なりが区切りになって、気候が違ってくるんだぜ」


 師匠が教えてくれた。

 何事も体験すると、解説の重みが増してくる。


「だから、機会があったら旅をしておけ」


 私やメロディはもちろん、フォルテ君には何よりの経験だろう。

 ところで、メロディさん?


「ペナン男爵領で、良さげな御令嬢がいたら……やっぱり?」


 ちらっとフォルテ君を見ながら、こっそり訊いてみる。

 期待に反して、メロディは曖昧な笑みを浮かべた。


「どちらかというと、御令息と気が合うと良いかしら。クラビオン伯爵家の傘下として、良い関係を築ける方を望みます。……フォルテは次期伯爵ですから、身分差が有りますもの。あちらに縁付くとしたら、妹か弟たちですわね」


 間に子爵を挟むくらいの身分差があるから、逆に色恋沙汰は困っちゃうんだ。

 第二、第三夫人にしても、求められるものは大きいものね。

 私は範囲の外にいたけど、兄妹たちはいろいろ学ばされていた。

 自分自身のためだけに魔法を学んでいる私が、結局……一番気楽な立場になっちゃったんだよ。


「ただ……当然逆の立場になると、ですから。それは気をつけないといけません」


 嬉しそうに草花をスケッチしてるフォルテ君に、お姉さんは溜息。

 ついでに、安請け合いしそうな私も、釘を差された?


「本当に、貴族って奴は面倒くせえよな」


 顔を顰める師匠に、同感。

 隊商に雇われている芸人たちが、楽器をかき鳴らして陽気に歌い出した。

 これだけの大人数の中で、そんな面倒臭い事を考えているのは、メロディと彼女のお付きのマーサと、フォルテ君付きの執事さんくらいのものだろう。


 稲を元にした作物は、かなり特殊らしい。

 ほぼ、ペナン商会の独占らしくて、年に一度の大きな商談に、みんな儲けの事しか考えていなさそうだ。それだけに、稲作に手を出そうとするクラビオン伯爵領は、将来的に新たな取引先となる。それも大口の。

 だからこそ、私たちも大変良い扱いをしていただいているわけで……。

 商人たちは、そういう所は解りやすい。


 そんな特殊なものに手を出して、メロディの所は商売になるのだろうか?

 心配になってしまうけど、順番が違うと言われた。


「商売で成功するために稲作に手を出すのではなく、土地に最も適した作物が稲なのです。新しい料理として流行に乗せるのは、父や母の仕事ですわ」


 それを作らざるを得ないから、商売にしてしまうのか。

 逞しいったら、ありゃしない。

 貴族たちの口に合うように、品種改良するのがメロディと私の仕事。

 やる気満々の伯爵令嬢と、学ばなければいけないことが多過ぎて、頭を抱える私。

 まあ、師匠も一緒だから、何とかなるでしょう。


 明日の昼過ぎに、隊商はペナン男爵領へ到着する。

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