17 緊急事態

 異変があったのは、三日目の昼過ぎだ。

 生徒たちの様子を、倒木に座って眺めていたカバーナ導師が不意に立ち上がる。

 ほぼ同時に、ジャリエ導師も生徒たちに指示を出した。


「指示通りの位置につけ! 敵を倒すよりも、仲間を守ることを優先せよ」

「な、なんっすか?」

「解らないけど、何かが来ると感じてるみたい。ドンキー君をこっちに呼んで」


 賢いロバは、即座に私の横に戻って身を屈めた。

 そればかりか、狼狽える馬たちに声をかけるように鳴いて、「ここが一番安全だ」と呼び寄せている。私の視界に入らぬよう、馬たちを後ろに位置させるほどの余裕が有るみたい。


 最初に小川を飛び越えて逃げてきたのは、魔物ではない。小鳥や小動物たちだ。

 そこに小型の魔物が、混ざり始めた。

 私達を気にすること無く、まっすぐに駆け抜けてゆく。


「何かから逃げてるようっすね……」


 私を護るように前に立つニースが、方向を見定めて睨む。

 次第に逃げ来る獣が大型化して、足音が地鳴りのようだ。


「何から逃げてるんだ、こいつら……」

「とんでもないものが来そうだ……」


 ジャリエ教室の先輩たちも、浮足立っている。

 緊張感を漂わせながらも、動じていないのは二人の導師たちだけだ。

 ……いや、もうひとり。


「おい! エマはこんな時に何やってるんだよ!」

「目が合っちゃったのよ……この子もキレるとヤバそうなの」


 小川を越えた所で、エマが青い鳥と見つめ合ってる。

 鳩よりも一回り小さな、スラッとした鳥。そんな恐ろしさは、まるで感じられない綺麗な青に煌めいてる。繋がろうとしているエマ自身が言うなら、見た目とは違うのだろう。

 イタチやオオカミたちの群れが駆け抜ける。

 絶好の獲物である馬たちにも、目をくれずに走り抜ける。


 野太い雄たけびが、樹々を震わせた。


「来るぞ!」

「エマ、まだか!」

「うるさいっ……集中させて……」


 カバーナ導師が素早く動いて、滝壺に近いエマを援護に回った。

 滝を背負って、私たちとエマと、ちょうど三角形になる方向の樹木が大きく揺れる。

 突き破るようにして現れたのは、巨大な竜?


「落ち着きなさい。アレは竜ではないわ。……身体は大きいけど、トカゲの仲間よ」


 凛とした声で、浮足立つ生徒を叱咤する。

 カバーナ導師は、ヒュンと鞭を振って大型のトカゲ? と向き合う。

 首の後ろが襟巻きのように固く反り返り、額に二本と、鼻先に一本。角が生えている。

 トカゲというけど、ちょっとした馬車のような大きさで、皮膚も分厚く、重さは相当なものだと思う。


「カバーナ導師、アレは象というものとは違うのか?」

「違います。三角ミツヅノオオトカゲ……本来は大人しい生き物なのです。……ああ、右目が潰れてる。仲間内の喧嘩か、誰かに襲われて傷つき、パニック状態みたい」


 冷静な導師の観察だけど、荒れ狂うオオトカゲは、私たちを八つ当たりも対象と見たのか、大きく身を震わせて咆号した。


「ニース、無理しなくてもいいから……逃げることも大事よ」

「牽制くらいはできそうっす。……ヤバくなったら、避難させてもらうっすけど」


 皮膚が厚そうだし、鉄板を仕込んだ爪先を持ってしても、得意の蹴りも効かなそう。

 両目を潰してしまうと、却って自体を悪くしそうだ。


「ジャンと、ルネはセイシェルたちのいる場所へ。纏まってくれた方が守りやすい」

「アイツは、まだ動けないのか?」


 ジャリエ導師の指示で駆け込んできた二人は、もう一人の級友を気遣う。

 エマはまだ、青い鳥と見つめ合ったまま動けない。

 そちらに注意を向けないように、ルースがファイアラインで牽制する。


 あ……このメンバーだと前衛がいない。


 こんな時こそ、筋肉バカ……じゃなくて、ロボス導師が必要なのに。

 最悪はニースに最大限の付与をすれば、ダメージも入りそうだけど不自然過ぎる。そんな事をしたら、後で絶対に師匠に叱られる。

 あのオオトカゲを蹴り飛ばすメイドさんなんて、噂になり過ぎるだろう。

 どうしたものかと、私のことを含めて一番戦力を把握しているカバーナ導師を見る。


 一瞬の困惑のあと、カバーナ導師は頷きつつ、視線を背後に誘導する。

 背後って、エマちゃん?

 付与して、助けてあげてってこと?

 確かに、何とかしないと動きが取れないけど……。

 ちらりと、ジャリエ導師の様子を窺う。

 エマたちを巻き込まないように、慎重に魔法を使って援護している。結構な気配りさんらしくて、ちょくちょくこちらを確認してる。

 ちょっと動きづらい……。

 導師の視線が、ズレてくれると良いのだけれど……。


 その時、頭上で巨大な羽音がした。


「この上、ワイバーン……?」

「あの子は味方。私の使役獣よ!」


 絶望的なルースの悲鳴が、歓声に変わる。

 空から蹴り降ろしたワイバーンに、堪らずオオトカゲは転がった。

 ジャリエ導師が目を切った今と、私はエマに向けて右手を握り込む。

 僅か……のつもりがちょっと勢い余ったかも知れないけど、どんとエマの背を押してあげた。

 チチッっと可愛らしく囀って、鳥が飛び立つ。

 青い鳥は、エマの朱色のローブの肩に降り立った。


「嘘っ! テイムできちゃった!」

「セイシェルたちの所に移動するわよ……注意しなさい」

「はい……」


 怪獣大決戦状態にビビるエマをかばいつつ、迂回してカバーナ導師が移動を始める。

 体重は少ない分、落差とスピードで、ワイバーンは何度もオオトカゲを転がすけど、向こうも頑丈だ。大したダメージは入ってない。


「カバーナ導師、アレは倒すかね? 追い返すかね?」

「無益な殺生は望みません。追い返したい所ですわね。精神魔法は使えますか?」

「……【鎮静サニティ】か。専門ではないから、あの相手では自身がない。むしろ痛撃を加えて、脅えさせるか」

「魔法耐性も、物理防御も強い種ですよ」

「……やってみるしかあるまい」

「あ、アオちゃん……?」


 導師が詠唱に入った所で、エマが素っ頓狂な声を上げた。

 青い鳥が飛び立ち、旋回を始めたのだ。

 そして、ワイバーンのアタックにタイミングを合わせて、風を切り裂くようにオオトカゲに向かって降下した。

 文字通りに空気が割れた。

 衝撃波が突き抜け、オオトカゲの鼻先の角が砕け散った。

 アオちゃん(エマ命名)って何者よ……。


 驚いているのは、私たちだけじゃない。

 その一撃に、オオトカゲの目から狂気が消えた。

 追い打ちをかけるジャリエ導師の【雷光槍ライトニング】に脅え、後ずさる。

 降下してきたワイバーンに悲鳴を上げて、元来た道を逃げ帰って行った。


「あんなのは想定外だろう……」


 カルツとルースの二人は、ヘナヘナと草原に座り込んでしまう。

 ジャリエ導師は、額の汗を拭って長い吐息を吐いた。

 右手を上げて、自分の使役獣となった青い鳥を止まらせると、エマは大はしゃぎだ。


「やったぞ! アオちゃんは、強くて可愛い素敵な子!」

「お前……一体何をテイムしたんだよ?」

「尋常じゃないにも程が有る」


 とんでもない攻撃力を示した青い鳥に、ジャンもルネも唖然としている。

 色は輝くような青だけど、見た目は燕っぽい。

 カバーナ導師は、一瞬だけ、私を困った子を見るように咎めてから、青い鳥の正体を告げた。


「まさかのインパルススワロー……。エマは良くこんな物をテイムしたわね」

「火事場の馬鹿力? もう駄目かもって思ってたら、急に力が湧いてきて」

「インパルススワローって、音の速度で飛ぶっていうアレか?」

「マジで空気を突き破ったもんな……。クソッ、羨ましい!」


 得意げな少女を、男子二人が羨んだ。

 状況を正しく理解しているのは、導師と、ニースの二人だけだろう。

 カバーナ導師は、呆れ顔で肩を竦め、ニースはニヤニヤ笑っている。


 男子二名は気合を入れるが、緊急事態にならない限り、私は手助けする気はない。

 二日後には何とか、希望通りのツノウサギと、ハシリトカゲのテイムに成功する。

 肩の上に青い燕を乗せ、ご満悦のエマを先頭に私たちは校外授業を終え、学校に戻った。

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