15 絆
夜が白み始めると、旅人たちは一斉に動き出す。
冒険者や狩人たちと同じ様に、魔法学園の生徒たちもテントを畳み、夜番の焚き火から火を貰って、煮炊きの準備を始める。
「おはようございます。良く眠れたっすか?」
一緒にロバ馬車の中で眠ったニースが、私の身体を傾けていたクッションを外して、車椅子をフルリクライニングモードから、座席型に戻してくれる。そうそう着替えることはできないが、エプロンドレスのエプロンだけ、色違いにすると、着替えを済ませたように見せかけることができる。
ニースが用足し兼で水を汲みに行く間、私は窓のカーテンの隙間から外を眺める。
群青の空には、早くも白い雲が大きく立ち上がっている。今日も暑そうだ。
朝の身支度を済ませて、車椅子を降ろしてもらう。
もう出立する冒険者たちに夜番の礼を言って、幸運を祈り合った。
朝食後のお茶を飲んでいると、カバーナ導師が立ち上がった。
「今日は、出立してすぐに『木漏れ日の森』に入ることになるわ。大きな危険は無いと思いますが、ジャリエ教室の方には、警護をよろしくお願いします」
「任せよ。実践で試す機会は、多くはない。ぬかるなよ、カルツ、ルース」
「はい……」
三年生二人も、魔物相手に戦う機会は少ないのだろう。緊張を隠せない。
別の意味で緊張している教え子の一年生たちに、カバーナ導師は微笑みかけた。
「今日は魔物の馴致の前段階として、野生の小動物に接して、信頼を得る練習をします。餌付けしてもよし、語りかけてもよし。どこまで寄り添えるようになるのか、試してみましょう」
カバーナ導師によると、動物でも、魔物でも、心を通じ合った所で魔法の力で繋ぎ止めるのが、テイマーの基本であるらしい。
魔物でなくても、導師が連れてきた鷲のように、猛禽に食料を狩らせるなどの役目を果たさせることだってできる。使い方と、応用次第で無限の可能性を持つのは、どの魔法も同じことだと言う。
なるほど。と、私がノートを取っていると、ジャリエ導師が覗いていた。
「今のは、至極初歩的な話であろう?」
「私は、師匠曰く『野良の魔法使い』なので、初歩的な事を何も知らないのです」
「それにしても、魔法学園に入学できたなら……」
「私は、炎の魔法も使えなかったのです。……付与魔法を使う機会を貰って、入学を認められました」
「……そのような噂を、春に聞いたな。君の事であったか」
「はい。……恥ずかしながら」
余計な事を言わぬよう、気をつけながら会話する。
あとでニースに「淑やかな御令嬢に見えたっすよ?」なんてからかわれた。
荷物をまとめて、移動を開始する。
細い街道を北に行けば、木々の広がる『木漏れ日の森』はすぐに見えてきた。中型馬車は枝に注意をしながら進み、少し行った車止めのような草叢に馬車を停めた。
「この先の泉が、小動物たちの水場になってるわ。ここからは徒歩で進みます」
馬車の番にルースを残し、踏み固められた草の間を進む。
私の車椅子の後ろを、忠実について来るドンキー君を感心されると言うか、呆れられると言うか……。
「テイムしているわけじゃ、ないですよね?」
ルネに疑われたが、もちろんそんな能力はない。単にお友達なだけだ。
ほら、水場に到着したら、勝手に水を飲みに行っちゃった。
私達は水場の見える草叢に待機し、カバーナ教室の生徒達は、水場の思い思いの場所に展開する。こちらは風下なので、邪魔にはならないはず。
生徒たちを見守るカバーナ導師は、倒木に腰掛けて気配を消した。
「ドンキーの奴は、呼び戻した方が良いっすかね?」
「大丈夫じゃない? あれだけのんびりした子がいると、野生動物たちも警戒が緩むんじゃないかしら」
「確かに、呑気っすが……」
喉が潤ったら、若草を喰んでいる。やりたい放題。
それに安心したのか、まず小鳥たちが集まり始める。このあたりは、上手い具合に天敵たちの目を逃れる、小動物たちの水場になっているようだ。
「まずは視線を合わせなければ、話にならんだろう……」
生徒たちの苦闘を見て、ジャリエ導師が眉を顰めた。
その言葉には、私が驚いてしまう。
「テイムの経験が有るのですか?」
「いや……生まれ育った家が、牧畜を営んでいただけだ」
顔を顰めたのは、照れ隠しだろう。
そんな話をしている私を見て、カルツが不思議そうに額の汗を拭った。
「セイシェル嬢……貴族令嬢というのは、この暑さでも汗を掻かないものなのか?」
「まさか。日除けの下に手を入れてみて下さい」
カルツが恨めしげに天を仰ぎ、ジャリエ導師は呆れた。
「調温の魔法陣は、ブーケットの仕事か。学園長の発注を果たさずに、君の導師たちは何をしているのか?」
「身体が不自由な分、必要以上にひ弱に思われているらしくて……過保護ですよね」
「……言いたい事は有るが、必要性は確かだ。学園長には、装備の実験も兼ねていると報告しておく」
「夏場の馬車は、調温の魔法陣が無いと辛いですから」
「君の馬車は、完備しているそうだな」
「一人だけ、私物で参加しておりますので……申し訳ありません」
「貴族令嬢など、そんなものだ」
やはり、学園長への報告も、ジャリエ導師の仕事に含まれるらしい。
個人的には悪い人では無さそうだけど、油断はしてはならないという事か。
間引くのも忍びないだけの穀潰しでも、貴族令嬢に見えるのか。それでは、メロディの真似をして、令嬢ぶっておこう。本物がいなければ、誤魔化しは効く。
昼食抜きで頑張ったけど、初日は何の成果も無く終わった。
しょげている生徒たちに
「初日から、そう上手くいくわけ無いでしょう?」
と、カバーナ導師は慰めつつ、帰路についた。
昨夜と同じ野営地まで戻り、また明日、出直しだ。
「何で、この子とは仲良くなれるのに……」
なんて、ドンキーくんを撫でながら、エマが嘆いてた。
今夜の野営は私達だけなので、導師二人が交代で夜番をしてくださるそうだ。
戦力外な私は、素直にお礼を言って、お言葉に甘えるしかない。馴致の見学という、一番意味の無い立場なのに……。
「見ているだけで、退屈ではないか?」
翌日のみんなの奮闘を眺めていたら、少し眠そうなジャリエ導師が訊いてきた。
私としては、個々の奮闘ぶりや、導師のアドバイスを訊いているだけで、意外なほど退屈をしていない。
無責任な立場だけど、明らかな進展ぶりが、見ていて楽しい。
ジャリエ導師だって、ただ見ているわけではない。
今日はカルツが馬車番だけど、ルースに、どこからどんな魔物が現れる事が予想されるかと尋ねたりと、そちらの知識も御享受願えるのだから、退屈するわけがない。
だからといって、その知識が私の役に立つこと日が来るとは思えないのだけど。
「できましたぁ!」
昼過ぎになって、ようやく快哉を上げたのは、エマだ。
頭の上にテイムに成功したリスを乗せている姿は、いつぞやのメロディを思い出して、つい笑ってしまった。……メロディも、そろそろ帰ってくる頃ですね。
男子たちに、
「下心が見え見え過ぎるのよ!」
なんて偉そうにアドバイスをしてる。カバーナ導師の隣りに座って、視線共有などのレクチャーを受けて、目を回してたけど。
リスの視点で見る世界は、どんな感じなのだろう?
後で、訊いてみよう。
陽が傾きかけた頃、ようやく男子二人もそれぞれ小鳥とウサギのテイムに成功した。
視線共有で目を回しつつも、仲良さそうで何より。
なのに……。
「では、テイムを解除して」
「ええっ!」
「……本命は、魔獣のテイムと言ったでしょう?」
「そうなんですけど……」
「解除のやり方も覚えなければ、テイマーとは言えないわよ? それに、まだ二頭もテイムを維持できるとは思えないけど?」
三人とも、俯いて相棒になったばかりの小動物を撫でている。
せっかくできたばかりの、絆だものね。
その日の夜、ドンキー君は大人気だった。
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