08 教室いろいろ

「悪いな、セイシェル……ちょいと手を借りてえんだが?」


 珍しいモルディブ導師の頼みごとに、手元の本を閉じる。

 ポーションの方は、何とか問題の成分抽出に成功したので、私はお役御免。

 今日は、魔法陣作成理論の本を読んでいる所。実はこの本、ブーケットさんの卒業論文だそうな。

 おっとりふわふわなブーケットさんの研究とは思えないほど、整然と論理的に整理されていて、魔法陣作成の教科書のように扱われているとのこと。

 一通り読み終えたら、写本必須です。


「何をしましょうか?」


 コテっと首を傾げてみる。

 何を顔を赤くしているの、この導師様は。


「他の教室の導師から、ちょいとお前さんの付与を借りたいと言われてるんだが……良いか?」

「構いませんけど……少々お待ちを」


 ハンドベルのような呼び鈴をチリンと鳴らすと、二分と待たずにニースが階段を駆け上がってくる。

 準備が整うと、導師はメロディにも声をかけた。


「メロディも来るか? 他の教室がどんな事をやっているのか、見ておくのも面白えぞ」

「……参ります。少々、目が疲れましたので」


 数日続いた雨が上がって、今日は陽射しが眩しいくらい。

 囀る小鳥たちは、もう季節を先取りしている。

 マーサの差し出す日傘を差したメロディに、顔を顰めた導師は、私の車椅子の変形に更に呆れた。背凭れの後ろのアームを伸ばして、途中を曲げて固定すると、ちょっとした屋根になって陽射しが凌げる。


「その車椅子は、案外便利にできてんなぁ」

「ニースがいろいろ、手を加えてくれますから」

「一度じっくり見てみたいもんだ」

「機会がありましたら」


 ドンキー君を呼ぶほどでもないと言うので、のんびりと石畳を歩く。

 導師は歩くペースが合わなくて、まどろっこしさを隠さない。

 どこの塔へ行くのかと思っていたら、逆に塔から遠ざかっていく。先導役の導師が当たり前の顔をしているから、道を間違ったわけでもないだろう。

 植物園の脇を抜けると、広場のような場所に出た。

 少し湿った土の上に白い線が引かれ、その間を学生らしき男女が走っている。


 ……騎士学校に迷い込んでしまった?


「いや、ここも魔法学校の教室だ。お前たち二人も、導師の顔は知ってんだろう?」


 メロディと二人、顔を見合わせてしまう。

 何だか私は、じわじわと苦手な気配を感じてる。

 背後から、やたらにテンションの高い大声が聞こえた。


「ハッハッハッ! 済まない、モルディブ導師。学長に呼ばれて、少し遅れてしまったよ」

「なあに、こっちもお嬢様方の歩みに合わせていて、今着いた所さ」


 振り向けばやっぱり、あの入学試験の筋肉バカが仁王立ちしていた。

 白いスラックスの上は上半身裸で、鍛えられた筋肉と、てらてらと脂ぎった焼けた肌が、一足早い夏の陽差しにテカっている。

 そのような目の毒に、扇を開く。目に入らぬよう視線を隠す、私達の面倒を考えて欲しい。


「おい、ロボス。お嬢様方の前だ。マントくらい羽織れよ」

「ハッハッハッ……これは失礼。陽射しが心地良かったのさ!」


 ニースが安全を確かめて、扇を閉じる。

 白い袖なしシャツの筋肉バカ……もとい、ロボス導師が腰に手を当て仁王立ちしてる。


「……導師、この方は本当に魔道士ですの?」


 メロディの声も、氷が作れそうなくらいに冷ややか。

 互いに仲が良さそうに、導師たちは声を上げて笑った。


「疑われるのも無理はねえな。この筋肉バカは」

「仕方無かろう。我が専門は、身体強化だ」

「それは、トレーニングでは?」


 つい、口を挟んでしまった私に、笑いは更に高まる。


「他ならぬ、付与魔道士の君には、言われたくないな。日頃の鍛錬で肉体を鍛えてこそ、身体強化の魔法は真価を発揮できる。それは、付与魔道士の君なら理解できるだろう!」


 ああ、解ってしまう……。

 無尽蔵に魔法で底上げしても、限界を超えたら、身体が引き千切れてしまう。

 ニースのような限界の高い身体の持ち主は珍しく、確かに言う通りに、鍛えた人の方が付与魔法も効果が高まる。


 え……実は私って、この人たちの同類?


 ショックのあまりに、目眩に襲われる。

 ニースが気付け薬を嗅がせてくれて、何とか気を取り直せた。


「安心しな、セイシェル。お前さんは同類じゃなくて、上位互換だ。……コイツラは自分だけだが、お前さんは植物の種すら発芽させるだろうが」


 そこまでは知らなかったのか、ロボス導師が目を剥いて私を見た。

 逆に私の場合は、自分自身には付与できないんですけどね。


「そこまでは聞いていないぞ、モルディブ。それはむしろ教わる立場でなく……」

「それでいて、完全に『野良魔法使い』なんだぜ。知識も、理論もない。こんなアンバランスなのは見たこともない。上には当分、内緒で頼むわ」

「うっかり不合格にしかけた自分が、嫌になる」


 ロボス導師に不可解な顔で見られると、ちょっと得意になってしまう。

 入学試験は、嫌な思い出になっているから。


「それで、私は何を望まれているのでしょう?」

「待ってくれ、生徒たちを集めよう」


 ロボス導師が笛を吹くと、生徒たちがダッシュで集まり、整列する。

 男子も女子も、マッチョの集まり……。

 本当に、騎士学校の生徒じゃないんですよね?


 生徒たちの視線も、胡乱げだ。

 何しろ、さばけ過ぎた導師と日傘のご令嬢。それに車椅子の私。

 筋肉や運動と、一番の対極にいる存在ではないかしら?

 一応とんがり帽子とローブの制服は身につけているから、同じ魔法学園の生徒で有るとは解ってもらえているだろう。

 むしろ、あなたがたの方が不安ですが。


「アーノルド、前へ!」

「はいっ!」


 指名を受けて、身長も高く、とびっきりマッチョな男性が進み出る。

 短く刈られた髪といい、どう見ても、騎士か兵士だ。


「ここまで二年半、鍛えてきた貴様の限界を見せてみろ!」

「応っ!」


 暑苦しい……これが身体強化魔法なのですね。

 グンと筋力が底上げされたのが、解ってしまう悲しみ……。関わりたくないのに。


「貴様の限界はそこまでか、アーノルド!」

「応っ!」

「どう思うか! 生徒セイシェル!」


 そのノリは、やめて下さい。私にはついていけません。

 でも、モルディブ導師が目で合図するものだから……仕方なく付与します。

 途端、アーノルドが目を見開き、驚愕に唇を震わせた。


「おぉぉぉぉっ! 何だ、湧き上がるこの力は?」

「その力こそが、貴様の本当の限界だ! 筋肉トレーニングで満足をするな! お前の魔力は、これだけ成長の余地を残している!」

「押忍っ! 己の未熟を噛み締めました!」

「そのまま、地を駆け、岩を投げてみろ! 己の本当の限界を魂に刻み込め!」

「応っ!」


 アーノルド先輩は、風のように走り出す。

 何、この暑苦しい寸劇は?

 扇で口元を隠して、素直に笑えるメロディが羨ましい。

 ひょっとして、私は人数分、これに付き合わないといけないのでしょうか?


「お嬢の付与魔法は、初めて受けると衝撃的っすから」


 にこやかに頷きながら、ニースが教えてくれる。

 私は相当に、情けない顔をしているのだろう。助けを求めたのに、モルディブ導師は、肩を竦めて苦笑いするばかり。

 結局、全生徒数の数だけ、付き合わされてしまった。

 魔力には全然余裕が有るけれど、精神的にアテられてゲンナリだ……。


「素晴らしい! まさか彼らに、これほどの成長の余地が有ったとは!」


 スタンディングオベーションのように、ロボス導師……いや、筋肉バカが拍手をしつつ近づき、車椅子で逃げられない私をハグする。

 もう筋肉は、お腹いっぱいです!

 涙目で睨む私を、モルディブ導師は、笑い転げて見ている。


 一つくらい、意地悪しても許されますよね?

 こんな騙し討ちは、酷すぎます。

 私は、唇を尖らせながら、ロボス導師のマッチョな背中にタクトを振る。

 導師にも、まだ余地が有るんですから!


 その唖然とした顔が、せめてもの腹いせ。

 猛然とダッシュを始めたロボス導師の姿に、モルディブ導師や、メロディはもちろん、ニースやマーサまで笑いを堪えきれなかった。


 翌日、まだぶんむくれている私の元へ、ロボス教室から贈り物が届けられた。

 これまでに発見確認されているすべての魔法を分類し、系統分けして解説された『魔法系統大全』という、けっこう分厚い本だ。


「くれるって言うんだから、貰っとけ」


 と笑う導師に免じて、ありがたく受け取っておく。

 魔法に無知な私には、かなり役に立つ本であったので、機嫌は直してあげましょう。

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