始まりの脅迫と俺らの約束3


「――っくしょい!」


 曽良はタクシーの中でくしゃみをした。


 反動でスマホを床に落としてしまい、身を屈めて拾う。

 ついでにドール達のトークを除くが、一時間前に曽良が発言して以来、誰も何も返していない。


 曽良が投げたのは、琉愛とマネが誘拐され曽良が交渉役に指名されたこと、そして琉愛の伝言の二つ。

 その後、あの連絡マメなディランでさえも何も発言していない。いつもは騒がしいだけにこの無言が恐ろしかった。


「……運転手さん、そろそろですか?」


 せっつくように後部座席から前を伺う。こう聞くのも五回目だ。

 運転手は苛ついた様子でぶっきらぼうに答えた。


「次の交差点を曲がったらすぐですよ」


 案内通り、次の信号を左折したところで工場地帯に入った。

 曽良はタクシーを降りて指定された倉庫を目指して走る。


 ドールの仕事柄、誰かの恨みを買ったり危険と隣り合わせなのは重々承知していたつもりだ。

 今までも何度か、爆発に巻き込まれそうになったり、ナイフを突きつけられたり、文字通り危ない橋を渡ったことはある。


 そういう役は大体、ドールの中でも普通そうに見える曽良に回ってくる。

 その方が相手も油断するからだ。


 だが今回は琉愛だ。それに依頼でもない。今までの経験測で考えて良いものか。あのお坊ちゃん気質の我儘男が、変な気を起こしてないと良いけど――


 現に曽良はまだ、琉愛の残したメッセージの意味を理解していない。


 錆びれた門を潜り抜け、あたりの様子を伺う。

 周囲に敵がいないことを確認して胸を撫で下ろす。


 曽良は「よし」と拳に気合を込めてから指定された倉庫に入った。


      ***


 男は梅川と名乗った。

 薄汚いマウンテンパーカーとボサボサの服装から、心の余裕のなさを感じた。

 身なりを気にしなくなるのは何かに執心している人間によくある傾向だ。


 琉愛とマネは倉庫の壁沿いに座り込んでいた。

 手足を縛られているが、琉愛の表情を見る限りでは心配するほど憔悴していないようだった。


 といっても、琉愛は並の根性じゃない。

 強気揃いのドールの中でも尖った性格をしているから、ケロッとして見えるのは予想通りと言えばそうだった。


 むしろ問題はマネだった。

 マネは心配そうな顔で曽良をジッと見つめていた。

 人質にされているにも関わらず、だ。


 自分より先に曽良を心配するとは――お人好し過ぎない?大丈夫?


 だがそのおかげで曽良はいつも通りを振る舞えた。相手を油断させるような、隙の多そうな間延びした話し方。


「言われた通り来ましたよ~。それで、要件は?」


「この男を知っているか」

 そう言って梅川は一枚の写真を取り出した。


 曽良はその写真を見て首を傾げた。


「誰ですか、このオッさん」

「青嶋和雄。志岐大学という、有名私立大学の大学長、そして理事長だ」

「大学の理事長?……なんでまた?」


 マネと琉愛の位置からは写真は見えない。

 梅川は曽良の質問には答えずに足元のアタッシュケースをドラム缶の上に置いて開いた。

 それをみて曽良は息を呑む。


「これは前金だ。依頼を遂行したら、この十倍の額を支払う」

「いやいや絶対何かあるでしょ?!」


 普段の依頼なら考えられないほどの破格の金額だ。そんなものを易々と出されて受け取るほどバカじゃない。


「先に話してくれないと動かないっすよ」

「さすがに大金に目が眩むほどのバカじゃないんだな。分かった……青嶋は表向きは大学の理事長だが、その裏ではとある闇組織を牛耳る首領ドンだ」


 突然のきな臭い話に分かりやすく眉を細める。

 そんな陰謀論みたいな話、まともな人間は信じない。


「信じるか信じないかは勝手にしろ。この際関係ない」


 梅川はそう呟いてから腕を組んだ。


「ドールへの依頼は、この男を殺すことだ」


 はぁ?!とその場の三人の声が重なった。


 陰謀論の時点で嫌な予感はしたが、その予感の中でも最高地点の嫌な依頼だ。

 そんな怪しい依頼、受けるわけがない。


 曽良がいやいやと咄嗟に手を振るが、梅川は無言で左手のスタンガンを琉愛に向けた。

 琉愛の顔が引き攣り曽良も口をつぐむ。


「金を積めば何でもやんのがお前らだろう」


 違えよ!舐めんな!と反射で噛みつきたくなるのを堪えた。


 単なる大学の理事長というだけならまだしも、闇組織の首領なんて怪しさ危険度共に最高レベルの任務なんて関わりたくない。


 そもそも――

 ドール達は殺しをしない。

 暗殺される予定の人物の身辺調査を依頼されたことはあっても、ドール自身で手を下すことは一度もない。

 その時だって、ただの身辺調査の名目で依頼を受けていたから、いつもの浮気調査か詐欺の標的探しだと思っていた。


 しばらくして依頼者が暗殺者だと知った時は六人で今後の仕事について一晩中話し込んだくらいだ。


 物を盗んだり身分を偽ったりの法を侵すくらいのことはいくらでもやる。

 そんなドールでも侵してはならないラインを決めたのはこの話し合いの時だ。


 その時ディランが言っていた言葉を思い出した――「俺らドールは、やったらやり返されると思わなきゃいけないよね。誰かに殺されると思いながら生活するなんて、ゼッタイ嫌だよ!」


 曽良は唇を噛み締める。

 あの時ドール達は壊れかけの道徳心を共有し、それを捨てないことを約束した。

 今ここで、約束を破るわけには――


 痺れを切らした梅川は近くにあったバケツを持ち上げ、二人めがけて中をぶちまけた。

 琉愛もマネも頭から水を被り、咄嗟のことに驚いていた。

 梅川は続いて隅に置いてあった工具の山からボロボロの長いチューブ上の線を引っ張り出す――「わああやめろ!」


 琉愛はそれが何か分かった瞬間に叫んで後退りした。

 しかし拘束されているし床が濡れてうまく動けない。

 マネも身体を縮こませて震え出した。


 梅川が持っているのは所々絶縁体が切れた電源コードだった。

 工場にある機械だから流れる電流も大きいはず。そんなものが人の肌、それも濡れた体に触れれば――「やめろ!本当にやめろ!」


 曽良は懇願するが、それも虚しく梅川はコードを二人の頭上に差し出す。琉愛は隅で身を固くしているし、マネにいたっては小さくなって何かを呟き出した。

「5mAでも相当体は痛むし、10mAを超えれば身体が麻痺して動かなくなる。ドライヤー一個でも10mA超えるのに……」


「マネさんこんな時になんてこと言ってんの!」

 曽良は約束を破れない。

「まだ続けるか?!依頼をこなせば一生遊んで暮らせる金が手に入る。拒否すればそこの二人が今ここで死ぬ!」


 約束を取って仲間が死ぬか、仲間を取って誰かが死ぬか――

 でも同時に、仲間は曽良の人生における宝物でもある。


 曽良が迷う間に梅川がコードを放り投げる。


 その手からコードが離れるその瞬間、曽良はバッと手を掲げた。


 間一髪、梅川は手を止める。

 コードはゆらゆらと揺れつつも梅川の手の中で収まった。曽良は小さく息を吐いた。


「分かった。分かったからそのコードを元に戻して……」


 そして小さく窓を指差した。

「撃たれちまえ」


 窓を割って一閃、銃弾が梅川の太ももを掠めた。

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