第8話 終点

「ナオキ様、先程は失礼いたしました……」

「何が? オレはリズみたいな美女と抱き締め合えて役得だったけど?」


 ナオキの本心を理解しているリズは優しく微笑んだ。

 路地から大通りに戻ったふたりは、リズがどうしても行かなければいけない場所があるとのことで、そこに向かっていた。

 満月の月明かりの下、ふたりはゆっくりと歩いている。


「ナオキ様。これから行くところは、私の出自とも関係しているところなのです」

「娼館に関係しているってこと?」

「はい。先程お話しした通り、娼館からは時折娼婦が行方不明になっておりました。母も姿を消し、それどころではなくなった……というところまでお話したと思います」

「そうだね」

「私は十三歳の時、実際に男へ身体を売ることになる直前で、偶然私を見つけてくださった教皇様からお声掛けいただき、教会の保護の下、聖女を目指して様々な修行をすることになりました」

「そうだったんだ」

「大切にしてきたわたくしのみさお。ナオキ様、いつか貰っていただけますか?」

「バカタレ!」


 ナオキのツッコミに、楽しそうに笑うリズ。

 やはりリズは笑顔が可愛い。ナオキは素直にそう思った。


「聖女を目指す修行を続けているうちに、私は思い出したのです。『行方不明になった娼婦や母親はどこに消えたのだろう』と」

「ふむ、原因は分かったの?」

「はい、分かりました」

「じゃあ母親とも会えたんだね!」

「会えた……と言っていいのか……」

「?」


 リズの答えがよく分からないナオキ。

 そんな話をしながらやってきたのは、街の外れにある雑草の生い茂った広場だ。

 ナオキは異常に気付く。凄まじい臭いが漂っているのだ。生ゴミを腐らせたような形容し難い臭気。気を抜けば吐き戻してしまいそうだ。

 しかし、リズはまったく気にしていない様子。


「リ、リズ、これ……」

「申し訳ございません、臭いですよね。私は慣れているので大丈夫ですが……」


 リズの『慣れている』という言葉に驚くナオキ。リズは、こんな凄まじい臭いを頻繁に嗅いでいるのだろうか。


「少しだけ我慢をお願いいたします。先に進んでいきますわ」


 草むらの中に足を踏み入れるリズ。その後ろをついていくナオキ。先に進むにつれて臭気が強くなってくる。もう吐きそうだ。


「ナオキ様、ここが終点ですわ」

「し、終点……?」


 立ち止まったリズの少し先には、とても大きな穴が開いている。激しい臭気による吐き気を我慢して、ナオキはリズの隣で穴を覗き込んだ。


「!」


 ナオキは言葉を失う。

 穴の中は、地獄だった。

 無数の白骨。その上には女性と思われる腐敗した亡骸なきがら。最近打ち捨てられたと思われる亡骸なきがらもある。


「こ、これは……!」

「ナオキ様、目をそらさずに見てください。これが娼婦たちの人生の終点なのです」

「人生の終点? まさか、これって全部……」


 小さく頷いたリズ。


「すべて娼婦の亡骸なきがらです」

「な、なぜ、こんな……」

「面倒なのでしょうね、死んだ娼婦の処理なんて。娼館のある街には必ずといっていいほど、このような『捨て場』があるのです」

「馬鹿な! 彼女たちだって必死で生きて……!」

「やっぱりナオキ様は優しいですわね。でも、これが現実なのです」


 ナオキはもう一度地獄へ目を向けた。やるせない気持ちが心を埋めていく。


「娼婦は仕事柄、病気にかかることも多いのです。病気にかかれば娼館の隔離部屋で監禁。治れば娼婦へ復帰。治らなければ地獄行き。それが『行方不明』の正体でした」


 もう言葉の出ないナオキ。


「娼館へ身売りされて地獄。毎日男たちの慰み者にされて地獄。病気をすれば隔離されてひとり苦しみ地獄。死ねば穴に打ち捨てられて地獄。娼館という地獄から抜け出せても、元娼婦という過去がつきまとって地獄。学ぶ機会も奪われて、文盲もんもうになっていいように騙されて地獄。生きても死んでも地獄……娼婦の人生とは、地獄そのものなのです」

「人生が地獄……」

「私は幸運でした。私は見知らぬ男に身体を売ることなく、教皇様に拾っていただけたのですから。教皇様も私の事情をすべてを知っていますが、こんな私と本当の娘のように接してくださいました。私は娼館出身の聖女として、こうした『捨て場』に打ち捨てられた娼婦たちを救うことを決意したのです」


 右手を穴に向けるリズ。


「慈愛の女神よ、哀れなる娼婦たちの魂を救い給え!」


 リズは、祈りの言葉とともに天へ右手を掲げた。

 すると、夜空を切り裂くように光が天から差し始め、穴の中の娼婦の亡骸なきがらの山を柔らかく照らした。やがて、亡骸なきがらの山から青白い透明の女性が次々に現れ始め、光に導かれるように天へと向かっていく。そのすべてが安堵したような幸せそうな微笑みを浮かべている。

 天からの光が止むと、先程まで周囲に漂っていた凄まじい臭気は消え去っていた。穴の中の亡骸なきがらはすべて骨となり、古い白骨も含め、すべての汚れが落ちて綺麗な状態だ。

 最後にもう一度祈りを捧げ、優しい微笑みを浮かべて穴に背を向けたリズは、そのまま、また草むらの中へと戻っていく。


「ナオキ様、お付き合いいただき、本当にありがとうございました」

「なぁ、リズ」

「はい」

「リズは娼館出身の聖女として、天に召された娼婦たちの分まで幸せに生きなければいけない。オレはそう思う」

「はい……」

「オレにリズが幸せに生きる手伝いをさせてくれないか?」


 ナオキの胸に飛び込むリズ。


「ナオキ様……大好きです……」

「ありがとな」

「アラゴには負けませんから」

「ケンカすんなよ」

「いっそハーレムにしちゃいますか?」

「調子に乗りすぎ!」


 満月が照らす、ナオキとリズ。

 草むらの中で、お互いに笑い合いながら抱き締めあっていた。



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