第7話 銀のうさぎ

 コン コン


「はい」

「ナオキだ。入って大丈夫かい?」

「はい、大丈夫ですわ」


 ギルドの救護室の扉を開くナオキ。

 中には、ベッドから降り立ち、いつもの白い法衣に身を包んだリズがいた。


「お、おい、ゆっくり休んで――」

「もう大丈夫ですわ。僧兵の訓練中に脱臼したこともありますし、今はきちんと関節がはまっています」

「でも、痛いだろ?」


 クスリと笑うリズ。


「そうですね。とても……とても痛いです……」


 ナオキは、痛いのが身体ではないことを察した。


「ナオキ様」

「ん?」

「少しお付き合いいただけませんか? 一緒に夜風に当たりたいなって」

「いいよ、行こうか」


 救護室から退出し、ギルドの建物から外に出る。すでに夜のとばりは降りていた。瞬く無数の星々が夜空を演出し、美しい満月を際立たせている。

 人通りの少なくなった大通りをゆっくりと歩くふたり。


「ナオキ様」

「どうしたの?」

「すべてご説明します」

「リズ、オレにとってリズはリズだ。説明なんて――」

「もう隠していることが辛いのです……」


 ナオキの言葉に被せるリズ。


「私は王都の『シルバーラビット』で生まれ育ちました。『シルバーラビット』とは……娼館の名前です……」

「…………」

「娼婦だった母にエリザベスと名付けられた私は、娼婦たちに囲まれて育ちました。私にとって娼館の中が世界のすべて。娼婦たちは優しかったし、ご飯もお腹いっぱい食べることができました。父親がいないことに疑問は抱かなかったし、いつか私も男たちに一夜の夢を与える仕事をするんだろうなって……漠然とそう思っていました」

「そうだったのか……」

「娼館で過ごしているうちに、あることに気が付きました」

「あること?」

「はい。これまで一緒に過ごしていた娼婦が突然いなくなることが頻繁にあったのです。奉公が終わった娼婦、身請けされた娼婦は、皆から祝福されて娼館を後にします。でも、突然いなくなる娼婦がたくさんいたんです」

「なぜ……」

「そして、母も消えました」

「!」

「誰に聞いても、返ってくる答えはひとつ。『知らない』」

「…………」

「でも、そんな疑問はすぐにどうでもよくなります。『働かざる者食うべからず』が娼館ですから」

「リズ……」

「当時、私は十に満たない子どもでした。娼館を追い出されれば、犯罪者になるか、野垂れ死ぬかの二択です。だから、私は娼館で働くことを決意しました。でも、幼い子どもの身体では男を受け入れることはできません。しかし、私は稼ぐことができました。アグレブ……当時はジェッタでしたね。あの男のようなやからはどこにでもいるものです」

「まさか……」

「小さな娼婦は秘密の存在……いえ、ある意味公然の秘密でしたね」

「…………」

「服を脱げと言われれば脱ぎました」

「待ってくれ」

「裸で踊れと言われれば踊りました」

「リズ」

「身体を見せろと言われればすべてを見せました」

「待つんだ、リズ」

「身体を触らせろと言われればすべてを触らせました」

「リズ!」

「気持ち良くしろと言われれば、手や口で――」

「リズ、もういい!」


 そのままリズに引きづられるように、薄暗い路地へと連れ込まれたナオキ。

 暗がりの中で、にっこり微笑むリズ。


「私はそうやって生きてきたけがれた聖女なのです。だからナオキ様、私のことなど気にかけていただく必要はないのです」


 リズは微笑みを絶やさないまま、大粒の涙をポロポロと零した。

 そして、震える声で訴える。


「私は銀のうさぎ。ナオキ様が望むことはすべてしてさしあげますわ。こんなこと、大したことではありませんもの。さぁ、ナオキ様」


 ナオキは初めて理解した。リズの抱えている心の闇を。

 ナオキは深く後悔した。リズが苦しんでいた心の傷に気付けなかったことを。


(リズの行動は、自分の心を守るためのものだったんだ……「自分のしてきたことは大したことじゃないんだ」って、必死でそう思い込もうとしていたのかもしれない。そして、オレにそれを叱られることで安心を得ていたのかもしれない。けがれた自分のことを大切にしてくれるひとがいると。自分には叱ってくれる信頼できるひとがいると……過去のトラウマを抱えた心は常に安心や信頼を渇望している。だから、オレやアラゴを相手に性的な行動を何度も繰り返し、オレに何度も叱られて安心を得る……リズの行動や言動は、おそらく『試し行動』だ……)



 ――試し行動


Limit Tastingリミットテイスティング」とも呼ばれる問題行動の一種。自分をどこまで許容してくれるかを探るために、相手をわざと困らせたり、わざと怒らせるような行動をとること。

 子どもにも大人にも現れることのある行動だが、虐待などによって自分自身に価値を見出だせなくなるような心の傷を抱えていると、それを否定したいがための不安解消や信頼確認の行動として何度も繰り返し行ったり、それを止めることができなくなったりするなど、自分では制御できない程に強く現れることがある。



 ナオキはリズを強く抱き締め、耳元で囁く。


「リズ……」

「はい……」

「オレの望むことは何でもしてくれるんだよな……?」

「もちろんです……」


 両肩を持ったまま身体を離し、リズを見つめるナオキ。


「リズの笑顔が見たい」

「えっ……?」

「オレはね、リズの笑顔が見たいんだ。いつだってオレたちのことを気遣ってくれて、いつも明るく振る舞ってくれて、いつもピエロになってくれる優しいリズの可愛い笑顔が見たいんだ」


 うなだれるリズ。


「もしも笑顔になれない時は、いつでも言ってくれよ。オレ、いつでもリズを抱き締めるから」

「!」

「昔を思い出して心が苦しくなった時、オレの胸に飛び込んでおいでよ」

「わ、私はけがれて……」

「そんなけがれ、オレがはらってやる。リズを苦しませるけがれなんて、このオレが許さない!」

「ナオキ様……」

「オレが嫌なら、アラゴだっている。アラゴだってきっと同じ気持ちだ。オレには言えなくても、女の子同士なら言えることだってあるだろ?」


 リズは涙ながらに頷いた。

 そんなリズをもう一度抱き締めるナオキ。


「オレとアラゴがついてる。何も心配することないからな」


 ナオキの背中に手を回し、しがみつくように抱きついてきたリズ。身体を震わせ、声を出さずに泣いていた。ナオキは、そんなリズの頭を撫で続ける。


 満月の月明かりすら差さない薄暗い路地の奥。大通りからはふたりの影だけが見えている。重なった影は、そのまましばらく離れなかった。



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