第61話 犬神事件①

 週末を終えてサクはあくびをしながら桜の園の廊下を歩いていた。


 サクの後を小さな丸い影。灰色の花瓶がコトコトと音を立てながらついてくる。サクの式神、花瓶の付喪神こと宗方クラである。


 朝の日差しが照らす食堂からは賑やかな寮生達の喧騒が聞こえてきた。


「あ!サク君!」


 食堂の扉を開くと、そこにいたのは緑がかった髪をした陽のエネルギーが溢れ出る河童の少女。


「沙羅、久しぶり」


 この週末、親戚の所に帰省していた沙羅が帰ってきていた。朝ここにいると言うことは昨夜にでも帰ってきたのだろう。


「もー、久々なのにリアクションが薄いな〜。私が帰ってきても嬉しくなかった?」


「いや、そんなことはないけど」


 桜の園中等部1年生のムードメーカーこと沙羅がいないのは正直物寂しかった。こうして沙羅かららんらんと明るいエネルギーを受けることができてサクもまた気持ちが明るくなる。


「凪ちゃんとリアム君は?」


「部活の朝練」


「ドロシーちゃんは?」


「知らないな」


「えぇ〜?サク君冷た〜い」


「だって俺そんなにあいつと仲良くないし」


 何をみんな勘違いしているか知らないが、別にドロシーとはただの腐れ縁なだけ。わざわざあいつの行き先を知るほど仲良くはない。


「そんなことより、荷物とか大変じゃないのか?」


「荷物?鞄しか持ってってないから平気だよ。転移鳥居で一瞬だしね」


 沙羅の言葉を聞いて、サクは腑に落ちる。


 そうだった。ここは魔法の世界で里帰りといっても転移鳥居を使えば一瞬。サクがいた移人うつろいびとの帰省とはまた違うのだ。


 その気になればすぐに帰れる。あとはそれができる環境があるかどうかだけ。当然サクは叔父と決別してしまった以上帰る気なんてさらさらない。


「あれ?お前そういや親戚の家から直接学校に行くって言ってなかった?何でもう帰ってきたんだ?」


「うげっ、サク君たまにデリカシーないこと言うよね」


 いつも笑顔で固定されている沙羅の顔が崩れる。


 言ってからしまったと思った。


 そうだ、ここは魔法孤児が集まる学生寮。


 その家庭の事情は様々でサクも含め複雑なことが多い。普段闇を感じさせない沙羅相手だったからついそれを忘れて沙羅の家庭の事情に突っ込むようなことを聞いてしまった。


「わ、悪い。今のなし。忘れてくれ」


「ええ!?今更なしって言われても遅いよぉ……」


 サクは発言の撤回を申し出たがすでに後の祭り。もう沙羅に尋ねてしまった後。


 発言をなかったことになんてできない。


「んー……まぁ別に隠すことでもないからいいんだけどさー。ちょっと、うちの伯母さんとケンカしてきたんだよねぇ……」


 分かりやすく腕組みしながら葛藤した後、沙羅は胸に溜めた空気を吐き出して話し出す。


「何でケンカしたんだ?お前らしくもない」


「それがねー。私が河童として生きていかないことに腹立ててさ。お前には河童としての誇りがないのかーって怒られちゃった。園芸部も辞めるように言われて」


「部活にまで口出されるのか」


「そう!そうなの!関係ないじゃんって怒ってきた!」


 沙羅はまさにそれだよ!と言わんばかりにサクに指を突き立て感情を爆発させる。


「私そもそも河童なの嫌だし!誇りとか言われてもそんなんないって!そもそも何の部活に入るかなんて私の自由じゃん。咲ちゃんとか仲良い友達もできたし私の人間関係何だと思ってんのって言って逃げてきた!」


 頭から怒りのあまり湯気が出てきそうなほど……いや、実際湯気のような物が出ている。


 出処はどうやら彼女の嫌悪する河童の皿からのようだ。


 そんな沙羅を見ながらサクはあの日のことを思い出す。


 叔父さんとの大喧嘩。ガキだからといってサクに何も選ばせようとしなかった叔父さんのエゴ。


 叔父と伯母で差はあれど、境遇は同じ。自分の意思決定を無視されてあれこれと指図される。ふざけるなと言いたい。


 沙羅の言い分がまるで自分のことのように強く共感させられる。


「ほんとな。俺たちだってもう子どもじゃない。自分のことぐらい自分で決められるってのに」


「そーそー!サク君よく分かってる!大人って勝手だよ!子どもを自分の思い通りにできると思ってるよね!」


「そうだそうだ。聞いてくれ俺も実は……」


 だからこの件については沙羅に激しく同意。そのままの流れでサクと沙羅はお互いの叔父と伯母について話す。


 移人うつろいびとの世界で生きてきたことは話せなかったが、桔梗院に来ることに猛反対だったことを伝えた。


 沙羅も目を釣り上げながら「サク君の叔父さんもひっどいね!」と言ってくれた。


 結局桜の園を出る時間になるまで気が付かないほど話は盛り上がり、慌てて朝食をかき込みながら2人仲良く桜の園を飛び出すのだった。

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