第50話 日本魔法史研究会②

 放課後、サクは再び実験棟の屋上へと足を運んでいた。


 少し前よりも日が高い時間が伸びたと感じながらプレハブ小屋の机に向かう。


 そこに空希さんの姿はない。どうやら週に1、2回ほどしかここに来ないらしい。


 だからサクの練習に付き合ってくれていたのは本当に特別だったようでまた空希さんには感謝してもし足りないと感じる。


 そんなことを思っているとひとりでにプレハブ小屋の扉が開いた。


「ねえ、練習終わったんでしょ?なんであんたがここにいんの?」


 見るとドロシーが不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。


 空希さんとは違い、この仏頂面の少女ことドロシーは毎日のようにここに訪れては奥のソファに腰かけて本にかじりついている。


 多分、この下の階は図書室だし勝手が良いのだろう。


「別にいいだろ。魔女に追加の課題を出されたからここでやってんだよ」


 結局、サクはあの後沙羅とともに追加の課題を出される羽目になってしまった。凪は上手く逃げおおせたようだが。


 そんなサクと沙羅を見て「先生!僕にも課題を!!」と錠が申し出てきたが、奴は変人なのかもしれない。


「んー……肌を染める染料か。教科書のどこに載ってんだよ……。あ、瞳の色を変えるのは目玉クラゲの目玉を使うんだな」


 教科書に描かれた目玉クラゲは淡い水色で半透明の丸いクラゲ。クラゲの傘の部分にある2つの大きな目玉が特徴的だ。


 ある特定の島にしか生息していないらしいがその島には大量の目玉クラゲが生息しているそうなのでその素材は比較的安価で出回っているそうな。


 そんな風にパラセナ先生こと魔女に出された課題は魔女が指定した薬品の材料をまとめるもの。述べ60個。


 多すぎて吐きそうになる。


 何せ、聞いたこともない薬品の名前に加えて、聞いたこともない生命体や物体の名前を調べるところまで必要なのだ。図書館がすぐ下にあるこのプレハブ小屋ならすぐに本を探しに行けるのは利点だった。


 ちなみに図書室にはたくさんの生徒がいるので気が散ってしかたないから絶対に図書室ではやりたくないと思う。


「宿題くらい自分の部屋でやりなさいよ」


 いつものように奥のソファに横になりながらドロシーは言う。


 今日はサクが机を散らかしているからか彼女の鞄はソファのすぐ側に置いてある。


「お前が言うか?それに桜の園に帰ったらアゲハさんに余計な心配かけるから仕方ないだろ」


 アゲハさんは学校のイベントごとや行事に敏感だ。


 部活の体験入部週間であるこの期間に早く帰ろうものなら「いい部活はなかったんですか?」と親身に相談に乗ってくれること間違いない。


 同時に部活に入るつもりのないサクにとってはただの苦痛な時間が始まることになる。


 部活見学に参加しなければアゲハが悲しむ。かといって部活に入る気はさらっさらない。


 なのでせめて部活見学の期間だけはこうして学校で時間をつぶしながら過ごしてあたかも参加している空気を出すことに決めたのだ。


 と言うのは1つの言い訳。ドロシーほどではないがサクもここを気に入っていて、たまに居座って宿題やらなんやらを片づけたりしているわけだ。


「そういえば、お前は部活入らないのかよ」


 魔法薬学の教科書とにらめっこしながらドロシーに尋ねてみる。


「入る気あるように見える?」


「知ってた」


 分かりきった返事が返ってきた。


 変な縁ができてしまったのでクラスでもたまにドロシーのことを気に掛けるが、どうも彼女は人づきあいというものが苦手らしい。無論、サクも人の事は言えないがサク以上だ。


 ドロシーは別段誰と一緒に過ごすでもなく、1人でのらりくらりと日々を過ごしている。


 話す相手は同じ桜の園の沙羅、凪、たまにリアムといったところか。


 当然クラスも違うし面倒くさいノアとは関わることはなし。


「暇なんだったら部活はいれよ。文芸部とかねえの?」


 本ばかり読んでいるのだから文芸部かなにかにでも入ればいいのに、と思い口に出してみる。


「人と関わるのがめんどうなの」


 ならなおのことドロシーは部活になんて入る予定はない。つまりここに居座り続けるということか。


 ドロシーが部活にでも入ってくれたらここはサクが独占できると思っていたが、彼女にその気がないのであれば仕方がないだろう。


 くだらないことを話したと思いながらまたそれぞれ本と薬学の世界へと旅立つ。それからものの5分たったぐらいだろうか。


「……?誰か来た?」


「みたいだな。空希さんかな」


 屋上の扉が開くような音が聞こえる。


 今日は空希さんが来る日ではなかったように思うのだが。


 そう思いつつプレハブ小屋の扉に意識を向ける。


「こんにちはぁ」


「「………………誰?」」


 扉を開いた現れたのは眼鏡をかけたぽっちゃり体型の男の子。


「僕、萱島かやしまオタって言うんだけど、【日本魔法史研究会】ってここですよね」


「えっと……多分違うんじゃないかな」


 萱島オタと名乗る彼はどうやら何かの部活の見学に来たようだ。


 しかしご覧の通りここは空希さんの作業場だし場所を間違えたのだろう。


「えぇ……でも実験棟の屋上プレハブ小屋って書いてるんだけどなぁ」


「え……?」


 オタの握りしめている手汗で湿った紙を横から覗き込んでみる。


 それはどうやら部活見学の案内の紙のようで、部活の紹介とその活動内容、活動場所が記されているようだ。同じものをサクももらったような気がするが、多分鞄の奥底で眠りについているだろう。


 そこの1番端。1番最後の項目に小さく且つ何の面白みもなく「【日本魔法史研究会】実験棟屋上プレハブ小屋にて活動中!」と書かれていた。


 一応念の為に屋上を見渡す。当然他にプレハブ小屋なんてものはない。ここを指しているのは明白だった。


「おい、ドロシー。ほんとにここみたいだぞ」


「嘘……」


 流石のドロシーもソファから降りて同じく紙を覗き込む。


 そしてサク同様に目を丸くしていた。


「……ドロシー、お前いつから日本魔法史研究会なんか始めたんだよ」


「ふざけないで。私がそんなめんどくさいことする訳ないでしょ」


 グリグリと踵で足の甲を破壊しながらドロシーは毒付く。


「あれ?もしかして君達見学の子かい!?」


 3人で仲良く首を傾げていると小屋の外からまた新たな声が聞こえてくる。


 見てみるとそこには深緑色の和服に身を包んだ茶髪の青年が大きな荷物を抱えてこちらに駆け寄ってくるではないか。


「いやぁ!まさか3人も見学に来てくれるなんて……歓迎するよ!僕はロイ・シークス!高等部2年生さ!」


 高等部2年生ということは高校2年生と同じ。つまりサク達よりも4つも歳上ということになる。


 確かに身長は高いが顔立ちは幼く見え、中等部3年生に混じっていても違和感を感じないのではないかと思う。


「中等部1年生、萱島オタです!僕ここに来るのを楽しみにしてました!!去年の魔法歴史研究の発表……僕感動しました!!絶対にここに入部するって決めてたんです!!」


 すると、先程ここにやってきた萱島オタがその熱い想いをロイ先輩にぶつける。


「おぉ……何て心強いんだ……!同志よ!僕は嬉しいよ!!」


「うっうう……ロイ先輩!!」


 萱島オタの想いを受け取ったロイ先輩は男泣きすると、そのままオタと熱いハグを交わす。


 一方のサクとドロシーはその空気についていけずに蚊帳の外でそれを眺める他ない。


「……それで、君達は?」


「う……」


 ロイ先輩の視線が今度はサク達に止まる。


 チラリと横目でドロシーに視線を送る。ドロシーもサクに目配せしていた。


 恐らく気持ちは一緒だろう。逃げるタイミングを失った。


 もう、逃げることは叶わないだろう。素直に状況に身を委ねるしかないと思った。


「宗方サクです……中等部1年」


「ドロシー・ゴーン。左に同じ」


「あぁ、よかった……こうして3人も見学に来てくれるだなんて!ぜひぜひ活動を見ていってよ!」


 渋々自分の名を名乗るとロイ先輩は嬉しそうにサク達をプレハブ小屋の中へ誘った。


「あ、でも俺ら入部するつもりは……」


「まず、僕らが何をやっているかだけど!まずはこれを見てくれ!」


 サクの声はロイ先輩には届いていないらしい。ロイ先輩の気が済むまで付き合う他なさそうだ。


 高揚したロイ先輩は何やら日本を中心に描かれた地図を広げてプレハブ小屋の机の上に広げる。


 ちなみにサクが広げていた魔法薬学の課題は勢いよく机から吹っ飛ばされた。


「日本はとても面白い国だ、僕はそう思っているよ!だから僕はイギリスから遥々日本の桔梗院に入学することを決めたんだ!こうして日本魔法の歴史を調査するためにね!」


「は、はぁ……」


 さりげなく魔法薬学の課題を拾いながら相槌を打つ。


「でも、魔法なんてどこも同じなんじゃないですか?日本だけそんな特別視される謂れなんてないと思うんですけど」


「甘いねサク君!甘々だよ!日本は世界でもかなり稀有な文化を持つ国なんだ!!」


「え、そうなんですか?」


「そうなんだよ、だって島国だろう!?大陸とは確立されてきた歴史がある。故に独自の魔法文化が誕生しているんだ!」


「知ってます!日本の魔法は西洋の魔法と違って、あらゆるものから力を得ることができるんですよね!?」


「あらゆるものから力を得る?」


 魔法の力の根源は、確か大切な人との記憶なはず。


 ついこの前それで会得したサクにとってそれは的はずれな物のように思えた。


 そんなサクの疑問を分かってかどうかは分からないがロイ先輩が答えてくれる。


「そう!日本は自然をありのままの姿として受け入れる文化を持つ!そして日本魔法の真髄はあらゆるもののありのままの力をも己が肉体に宿らせ魔法として顕現させる!それは魔法とは己の精神を磨くべしという考えの西洋には無い考え方なんだよ!」


「へぇ……」


 不覚ながら、ロイの話は少し面白かった。


 日本魔法。多分晴輝が使ってた式紙魔法だったか、ああ言うものが日本独自の魔法になるんだろうか。


 確かに桔梗院で学ぶ基礎魔法は杖に自分の感情を込めて放つものばかり。一方まだ本格的に実技は習っていないが日本魔法は紙に魔法の力を込めたりただ放つだけでは無い。


 祈祷をささげたり、あまり褒められたことじゃないが生贄を捧げて豊作豊穣を願ったり。あれらも日本魔術の1つで人の意思や願いを生贄や御供え物を媒介としてその地に定着させる。そんなことを日本魔法学の授業で福寿先生が言っていた。


「勿論、それは高い感性を必要とする実に高等な技術。日本で言う『空気を読む文化』……感性を磨かなければたどりつけない境地。僕ら【日本魔法史研究会】はそう言った日本の魔法の歴史や文化を調査し、世界の学会に発表することが活動の目的になるのさ!」


 小学校の時に習ったことがある。


 日本は大陸から海で隔たれた国。だから大国からの侵攻などは少なく日本独自の文化が築かれていくことになったとか。江戸時代の鎖国もまたそれの一環。


 魔法の世界でも同じ。大陸からの魔法文化の参入が少なかったことで独自の進化を遂げたということらしい。


「じゃあ、なんで桔梗院で習う基礎魔法って日本の魔法じゃないんですか?」


 日本の学校なのにここの基礎魔法学で学ぶのは杖を用いたいわゆる「西洋の魔法」ばかりだ。


「そうなんだよ……。世界の魔法を取り仕切る機関【十字杖の騎士団クロス・ワンド】の威光が強くてね。彼らは世界を西洋魔法で統一したいらしい」


 【十字杖の騎士団クロス・ワンド】。


 確か……クラスのライリーがそんなことを言っていたような気がする。自分がそこの子どもだとかなんだとか。


 じゃあ、つまりライリーはその世界の魔法を取り仕切る【十字杖の騎士団クロス・ワンド】の家の出身なのか。


 サクの中で色々と合点がいった。


 何故入学式の日、自己紹介の場であのライリー・レオ・メイガスが晴輝に絡みに行ったのか。


 それは恐らく世界の魔法のトップの子どもであるライリーが日本の魔法界のトップである晴輝の器をはかりにでも行ったのだろう。


 結果、彼女のお眼鏡には適わなかったようだが。


「だが、僕は認めない!日本の魔法文化は僕が守る!大の為に優れた小を切り捨てるなんて愚か者のすることだ!」


 燃えるような熱をもってロイ先輩は豪語する。


「僕の夢は!日本の優れた魔法文化を西洋の堅物どもに発表し、その価値を認めさせる!そして世界の魔法を1つに統一することではなく、多様性を目指した魔法界にすることだ!!」


「か、カッコイイです先輩!僕、一生ロイ先輩について行きます!」


 魔法の世界のことについてはあまり詳しくはないが、ようは日本独自の魔法を守るために調査や発表を行うということらしい。


 途方もなく大きな目標を持つロイ先輩のことを、サクはどう思ったのだろう。


 正直、馬鹿げてる。そう思ったのが最初の印象だ。


 けれど、同時にうらやましくも思えた。それだけ1つの目標に熱をもって臨めるロイ先輩が、素直にまぶしく見えた。


 馬鹿げてるなんて考えは、そういう自分の矮小さを隠すためのみのだったのかもしれない。


「でも……聞いてくれ。今この部は非常に危うい状況にあるんだよ!」


 熱く語っていたはずのロイ先輩が今度は嘆く様に声をあげる。


「危うい状況ですか!?」


「実は、僕の他の部員は去年でみな卒業してしまった。つまり部員は僕1人!このままでは【日本魔法史研究会】通称【日研】は廃部にされてしまう」


 暇つぶしがてら桔梗院の学生手帳に書かれた校則を読んだが、その中に部活の規定があった。


 確か部活を部活として認めるには最低4人の部員が必要なんだったか。


「正直、もうダメかと思っていたんだ……この部は僕以外去年卒業した先輩3人しか所属していなかったから。でもこうして3人も来てくれた!これで日研は無事に存続することができる!」


 今ここにいるのはロイ先輩、萱島オタ、それにドロシーとサク。ちょうど4人。確かにこの4人をメンバーにすればちょうど4人の人員が確保されこの部活は存続可能となる。


 しかし、そこには大きな問題があった。


「あの……俺ら入部するつもりはないんです」


 そう、サクとドロシーには部活に入る意思がないということである。


 だが、これだけ必死に語るロイ先輩を前に切り出しづらい。


「そんな!?頼む!どうか……どうか日研に入ってくれ!もう君達が最後の希望なんだ!!」


 ロイ先輩がとても本気なのは分かる。だがサクはともかくドロシーがそこにうなずくはずがない。


 あくまでこのプレハブ小屋が気に入っているだけ。どうやらこの日研の活動場所はここらしい。


 彼が抱える大きな木箱の中にはまだまだたくさんの日本魔法についての資料やらなんやらが顔を覗かせている。


 部活見学会までの間にロイ先輩が姿を現さなかったのはこの見学会に向けて色々な準備をしていたからなのだろう。


 ロイ先輩には申し訳ないが、仮にここで日研が廃部になればここは再び空き部屋。またこれまでのように過ごすことができるようになる。


 ここでサクとドロシーが日研に所属するメリットがないのだ。


 だから、サクはもちろんこのドロシーも日研に入部するはずなんてない。


「私、正直日本魔法に興味ない」


 ほらやはり。ドロシーはそう切り出した。


 入部しません。ごめんなさい。そう言って終わり。あとはそこにサクも乗っかってプレハブ小屋を出ていけばいい。


 そう思っていたのに。


「だからあくまで数合わせ要員。このプレハブ小屋で自由にさせてくれるのなら、入部してもいい」


「はあ!?」


 ドロシーの口から出た予想外の言葉にサクは唖然とした。


「構わないよ!僕らも毎日活動しているわけじゃないし、部活が存続できるのならなんだっていい!日研のメンバーならここも自由に使ってくれて構わないし、気が向いた時にでも活動に参加してくれたらいいよ」


 実際卒業した先輩の2人も幽霊部員だったしね、と笑うロイ先輩を前にサクはシャツが汗ばむのを感じた。


 まさか、ドロシーが入部してもいいと言い出すなんて。ありえない。


「サク君」


「どうかな?」


 ずいっとサクに顔を近づけるロイ先輩とオタ。


 つまり、この部の命運はサクに委ねられたということ。サクが入部すると言えば日研は存続。入部しないと言えば……また新しいメンバーを探すということになる。


 もし仮にサクがここを入部しないと言えば日研は潰れるかもしれない。だが、もし新しいメンバーが見つかったら?


 きっとここにサクの居場所はなくなる。入部を断った手前ここへの出入りは禁止となるだろう。


 だが、もしここでサクが入部を受け入れたら。部活に参加しなければならないという制約はかかるがここを使えるという権利は残る。


 どちらが得なのか。


「ぐ…ぬぬぬぬぬ……」


 辛酸をなめるような思いでサクは悩む。だが、詰め寄るロイ先輩とオタの熱。手に持った魔法薬学の課題。


 幽霊部員でも構わないと、ロイ先輩は言った。なら……それならば……まだマシか……。


 あきらめにも似た脱力感を感じながらサクはぎこちなく首を縦に振った。


「にゅ、入部……します」


「やったあああああ!!ありがとう!サク君、オタ君、ドロシーちゃん!!君らは日研の救世主だよ!!」


 涙を流して喜ぶロイ先輩はサク達3人をまとめてハグする。ちなみにドロシーは密着するサクの脇腹に「近づくな」と肘うちしてくる。


 こうしてまことに不本意ながら、サクは日研こと【日本魔法史研究会】に入部することとなった。

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