第43話 浮遊魔法⑫

 試験当日の朝。


 いつもより1時間早く桜の園を出たサクは鳥居の前でローブから銀色の金属板を出して鳥居に掲げる。


「桔梗院」


 鳥居に向かってそう唱えると鳥居の文字がぐにゃりと曲がり、桔梗院の文字に変わる。そして鳥居の中心が渦を描き始めた。


 簡易的な転移鳥居の発動板。


 錬金術と呼ばれ魔法と同じ効果、あるいはその上位互換の効果を物に付与する魔法の技術。


 この転移鳥居の発動板はかつて【移人うつろいびと】と恋に落ちた【常人とこしえびと】が、遠くに行ってしまう彼女に送った品だったそうだ。


 離れていても、逢瀬を重ねることができるようにと。ロマンチックな話だと沙羅が目を輝かせて語っていた。


 魔法がまだ許可されていない桔梗院1年生全員に配られて登下校の際にはこれを使うことになっていた。


 鳥居の渦へ飛び込む。


 実は自分で転移できるようになってからこっそりと転移鳥居に飛び込む練習を行った。転移を繰り返して今では転移酔いすることもなくなった。


「これが最後になるかもしれないけどな」


 結局あの後寝る間も惜しんで練習を続けた。


 目に見えた成果があった訳ではなかった。結局何かが掴めそうで掴めない。雲を掴んでいるようなそんな感覚だった。


 だからもうあとは試験の場で奇跡を起こすしか方法はない。


「それか、先生に情けをかけてもらうしかないか」


 だがあの堅物な紫藤先生に慈悲なんて期待できるのだろうか。


 まだ少し肌寒い空気を吸い込みながらサクは桔梗院の西側、実技棟の方へと向かう。そこにはもうすでにジャージ姿の紫藤先生が腕を組んで仁王立ちしていた。


「逃げずに来たか、宗方サク」


「まあ…逃げたら退学になりそうなので」


「よく分かっているじゃないか」


 冗談のつもりだったが本気だったらしい。


 やはり、ここで魔法が使えなければ退学になるとみて間違いなさそうだ。


「それよりドロシーはどうした?一緒に来なかったのか?」


「別に俺らそんなに仲良くないんで」


「毎日放課後一緒に練習しているのにか?」


 紫藤先生の言葉に胃がひっくり返るかと思った。


 まさか、プレハブ小屋でのことを紫藤先生は知っているというのか。空希さんが告げ口した?いや、それはない。おそらく先生が異常に鋭いだけだろう。


「お前のその努力は認めよう。だが現実は甘くない、結果が全て。故にこの試験の場で結果を残せなかった場合は……分かっているな?」


「覚悟は……できてます」


 そうだ、もう後には引けない。やれることをやるしかないのだ。


「役者は揃ったようだ。さあ始めるぞ」


 振り返るとそこには眠そうに目をこするドロシーの姿があった。


 いよいよ試験開始。


 どちらがと言うこともなく自然にドロシーが先に一歩前に出て来てみせた。


「では、やってみろ」


 地を転がる野球ボールを前にドロシーは杖を構える。


「【フリーバティ】」


 そして流暢に呪文を唱えるとあっけないほど簡単に浮遊の魔法を発動させて見せた。


「見事だ。なぜ先日はこれができなかったのか」


「さぁ」


 そう言いながらドロシーはサクと入れ替わるように踵を返す。すれ違う時に、一瞬視線を交わした。


「はい、次あんたの番」


「分かってる」


 気合を入れるように顔に貼り手をかます。朝の澄んだ空気に乾いた音が溶けていった。


 ポーチから杖を引っ張り出して構え、杖越しに野球ボールを睨み付けながらまだ本調子とはいかない頭をフルに回転させる。


 大切な記憶。


 サクにとってそれが何に該当するのかは分からない。


 小学校に初めて通った時の事だろうか。それとも叔父さんと一緒に寿司を食べに行った時か。


 晴輝と初めて出会った時かもしれないし桜の園メンバーで買い物に行った時なのかも。


 だが、そのどれも明確に大切な記憶だと断言できるものではなかった。大切な気はするけれど、それが本当にそうなのか心が答えてくれない。


 心は凪のように静かだ。


 ここで魔法が使えなければ終わり。


 これが最後のチャンス。何十、何百と杖を振ってきて未だ一度も成功させていないサクの最後の一振りになるかもしれない。


 思考を巡らせていると、ふと昨日の記憶が頭をよぎった。


 空希さんの悲しそうな顔。サクが理不尽に怒って飛び出してしまった昨日の記憶。


 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。


 冷静になった頭で考えてみるとなんと愚かなことをしてしまったのかと後悔が頭を離れない。


 頭の中に暗い靄がかかっていくような感覚を覚える。


「どうした?早くやれ」


「せ、急かさないでくださいよ。今集中してるんですから」


 催促する紫藤先生の言葉を躱しつつ、サクは必死に頭を回転させようとした。


 今はそれを考えている場合じゃないだろう。集中しろ。


 そう自分に言い聞かせるが、考えれば考えるほど思考は悪い方へと流されていくのが分かった。直感した。きっと、ダメだと。


 時間をかけても意味がない。むしろかければかけるほど沼にハマって抜け出せなくなる。


 ダメだ、終わりだ。杖を持つ手が震えた。


 呼吸は早くなり、目からは雫が溢れそうになる。


 視界がどんどん滲んで狭まっていくのが分かる。


 それでも、もうやるしかない。半ばヤケクソでサクは杖を振り上げる。最後の足掻き。ヤケクソの1発。奇跡よ起これと冷たい朝の空気を胸いっぱいに溜め込んだ。


 その時だった。


「サク君!」


 朝のグラウンドに1つの声が響き渡った。


 まさか……?

 

 その声の主に驚き、サクは振り返る。


「空希……さん?」


 そこには空希さんがいた。


「がんばれ!きっと君ならやれる!」


「何……やってんですか」


 空希さんはありったけの声を張り上げながら、サクに向かって応援の言葉を叫んだ。


 人気のないグラウンドの端から端まで届きそうなほどに大きな声。おとなしそうな空希さんが叫ぶ姿なんてサクは初めて見た。


「自分を信じるんだ!必ず成功できるから!!」


「なんで……応援してくれるんですか?」


 大きな声で恥も外聞もなく応援する空希さんの姿を見て、サクの口からそんな言葉がこぼれる。


「俺……昨日空希さんに、ひどいことを……」


 色々な感情があふれ出て、気が付けばサクの瞳から一滴の涙が伝っていた。


 後悔、悲しみ、羞恥。昨日の記憶がまたサクの心を埋め尽くす。


「黙っていろ空希!これは大切な試験だ!邪魔することは許さんぞ!!」


 紫藤先生が空希さんに叫んでいる。でもそんなのは全く気にも止まらなかった。


 不快な感情は、空希さんの言葉1つ1つを受け止めるたびに晴れていく。そして心の奥底から別の何かがあふれ出てくる。


「貴様!邪魔をするのなら強制的にここから排除させてもらう!」


 紫藤先生が脅すように怒鳴りつける。


 いつも弱気な空希さんなのに、いつもへこへこと謝ってばかりの彼はこの時は決して折れようとはしていなかった。


「たとえ君が信じられなくても!僕は君を信じてる!いけえ!サク君!!」


「………………っ」


 サクの静まり返っていた心が波立つ。


 凍りついていたはずの心が熱を持ち、サクの身体にみなぎっていくのが分かる。


 昨日のドロシーとの会話が頭に蘇る。


『大切な人がそばにいたら安心したり、心が温かくなったりするんでしょ?』


 不思議だった。さっきのさっきまでは不安で目の前が真っ暗になるかと思っていたのに、サクの視界は色を取り戻し、早まっていた鼓動もゆっくりと……そして力強いものへと変わっていくのが分かる。


「……そっか」


 サクはその瞬間。確かに何かを掴んだ。


 杖をまた力強く握りなおして構える。


 不思議な万能感と共に、サクの頭に1つの記憶が巡った。



 今なら……できる気がする。



 空希さんを追い返そうと紫藤先生が足を動かしたその時。サクは杖を振り上げる。


 紫藤先生が驚いた顔をするのが見て取れる。


 横にいるドロシーもサクの一挙一動を見逃さないようにサクをじっと見ている。


 見えてはいないけれど、感じる。空希さんがサクに向けて握り拳をあげながら声を張り上げて応援してくれているのを。


 自分を見失って怯える少年はもうここにはいない。


 人気のないグラウンドに響き渡るように。サクは全力で唱えた。



「【フリーバティ】!!!」



 サクの胸の奥。硬い硬い何かに守られていたものが弾ける。そこからひっそりと、けれどしっかりと何かが溢れてくるのが分かった。


 得られた結果はとても小さいものだった。手から炎が出たわけでも、天候を変えて見せたわけでもない。


 杖から放たれた白い光は螺旋を描きながら宙を泳ぎ、野球ボールにぶつかり、はじけた。


 ただ、ボールが宙に浮いただけ。


 たったそれだけのこと。


 たったこれだけのことなのに、この瞬間、この時をもってサクの人生が変わった。


 今日この日この瞬間。宗方サクは魔法使いになったのだ。

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