第42話 浮遊魔法⑪

 桜の園に戻ったサクは夕食も食べずに部屋にこもっていた。


 激情に駆られてなんと愚かなことをしたのだろうと、冷静になってから気が付いた。


 あれだけ親身に力になってくれていた空希さんに八つ当たりして、挙句の果てに自身の杖も放り出して桜の園に帰ってきてしまった。


 空希さんに謝ることはもちろん、杖がないので練習もできない。これ以上足掻くことさえもできなくなってしまったのだ。


 哀れにもこのまま明日の試験を受けるほかない。杖は朝1番に回収できるだろうが魔法の方はどうしようもない。回収できたとしてももう何かをどうするほどの猶予は残されていないことは明白だった。


 アゲハに頼ると言う選択肢も、もう残されてはいない。自分であのプレハブ小屋に投げ捨てて帰ってしまったのだから。


 自分で自分にとどめを刺してしまったような気がした。


 でも、仕方がない。それ相応のことはやってしまったと思う。


 明日をもってサクは桔梗院、そして桜の園を去ることになるだろう。


 結局、叔父さんの言う通りだったのかもしれない。俺なんかが魔法使いになれやしない。


 叔父さんは魔法が使えなくて惨めに帰って来たサクを見て何を思うのだろう。想像できなかったし想像したくもなかった。


「キー……」


「ごめんな、クラ。俺もうここにはいられないみたいだ」


 クラはアゲハさんに面倒を見てもらえるようにはしておこうと思う。


 きっとクラはここに残った方がいい。こいつはこの部屋が好きなみたいだし、そこから引き離されるのは本意じゃないだろう。


 だが、それは魔法のない世界に戻った時それを彷彿とさせるクラを遠ざけようとしているだけなのかもしれないと頭をよぎった時、また自分のことが嫌いになったような気がした。


 弱音を吐くサクに寄り添うようにクラが身を寄せる。


 不覚にもサクの頬を涙が伝った。


 コンコン


 すると、突然サクの部屋がノックされる。


 アゲハさんだろうか。夕食を食べに来ないのを見かねて部屋にやってきたのかもしれない。


 慌てて涙をぬぐいながらろくに確認もせずに扉を開く。


「す、すみません。ちょっと今日は食欲がなく…て……」


 扉をあけると、予想していた女性は立っていない。代わりに立っていたのは仏頂面の黒いローブ。ドロシーだった。


「なんでお前が?」


「泣き虫」


 開口一番、ドロシーの発言にサクは顔が火傷するのではないかと思った。


 そうだった。空希さんに色々とぶちまける姿をドロシーは目の当たりにしているのだ。ソファの奥で寝っ転がっていただけだったのですっかり頭から抜け落ちていた。


「この……!それを言いに来たのかよ……!!」


 羞恥心を跳ね返すようにサクは強がってみるが、余計に苦しくなるだけだった。


 当然、ドロシーは涼しい顔をしている。分かってはいたが、悔しかった。


「バカにしにきたのか?」


「別に。忘れ物を届けに来てあげただけだけど?」


 そう言ってドロシーが差し出したのは、プレハブ小屋に放り投げてきたサクの半身。


 黒壇の杖だった。


「俺の……!?何でお前がこれを?」


 まさかドロシーがこれを届けに来てくれるなんて思ってもみなかった。サクは予想外すぎて怒りも忘れてドロシーに尋ね、ドロシーの手の中の杖に手を伸ばす。


 ところがムスッとした表情のドロシーはそれをひょいと躱してしまった。


「素直にありがとうも言えないの?」


「……ありが…と」


 睨むドロシーにサクはしり込みながらぎこちない礼を伝えて杖を受け取る。


 我が手に戻った冷たい半身に目を落とす。


 今更これが戻ってきたとしても別に何も変わらないかもしれない。無駄な足掻きで終わってしまうかも。


 それでも最後の足掻きが許されたような気がして、少し気が楽になった。


「……で?明日どうするの?」


 杖だけ渡したら帰ってくれるものかと思ったが、意外にもドロシーはサクにそう問いかけてきた。


 明日の始業前。紫藤先生との再試験。それがサクに残された最後のチャンス。


 行かないことも考えたけれど、それはサクのちっぽけなプライドが許さなかった。


「……やるよ。どうせ無理だろうけど、最後にやるだけはやってみる」


 もうここを去らなければならないことも分かってる。


 だけど、最後の最後にやれるだけのことはやって終わる。それがサクに残された唯一の権利だ。それにすがりたいのかもしれない。


 黒檀の杖を握りしめながらドロシーよりも自分に言い聞かせるように答えた。


 それを確認したドロシーは一瞬俯いたかと思うと、おもむろに口を開く。


「ねぇ、紫藤先生が最初の授業で言ってたこと覚えてる?」


「何だよ、急に」


 藪から棒にそんなことを告げるドロシーに違和感を覚えながら答える。


「魔法の力の根源のこと」


「覚えてるよ。意志の力だろ」


 言葉に込められた意志の力。言霊。それが魔法の本質だと紫藤先生や晴影さんが言っていたのをよく覚えている。


「あんたが魔法使えないの、それじゃない?」


「流石にそんなことはないだろ」


 何を的外れなことを。


 こちらは必死に念を込めて何度も何度も呪文を唱えている。流石にそんな初歩的なところに魔法が使えない原因があるとは思えなかった。


 だが、ドロシーは首を横に振る。


「違う。もっと根本の話」


 そう言うとドロシーはローブの中から1冊の分厚い本を取り出す。


 確か、今日彼女が広げていた本だったか。ドロシーはその一項目を指さす。


「この本に書いてたけど、魔法で重要なのは大切な記憶なんだって」


「記憶……?」


「そう、大切な人との記憶。愛が魔法の力を強くする……その大いなる意志の力こそが魔法の力の根源。無から有を生み出す力の糧となる」


 普段の仏頂面でドロシーはその項目を読み上げてみせた。


 真面目な顔をして愛について語っているドロシーに噴き出しそうになったがそれをすると怒られそうなので堪えることにする。


「ねぇ、私がこんな事言うの似合わないって思ったでしょ」


「いって!足踏むなよ!」


 どうやらそんなサクの心はお見通しだったらしい。ドロシーに踵でグリグリと足の甲を破壊されそうになる。


「私にだってよく分からない。でも大切な人がそばにいたら安心したり、心が温かくなったりするんでしょ?そういうのが魔法の力になるんだってこの本は言ってた」


「何だよそれ、よく分かんないな」


「私もよ」


 そう言いながらドロシーは少し荒っぽく本を閉じる。


「私が言いたいのは、あんたが魔法を使えないのは叔父さんの鼻をあかすことに囚われてるからなんじゃないのって話よ」


 愛の力……か。そんな胡散臭い物のせいで魔法が使えないなんて事があるんだろうか。


 だが、ここは魔法の世界。サクのいた世界の常識なんて通用しない。だからドロシーがいうようなそう言ったところに突破口があるのかもしれない。


「勝手にすれば?たまたま読んでた本に書いてあっただけだし。空希先生に頼まれたついでに泣き虫に情けでもかけてやろうと思っただけよ」


「情け……ね」


 魔法の基礎と書かれた本の表紙を眺めながらサクはため息をつく。


「まぁ……助かったよ。あ…りがとう。どうせなるようにしかならないし、やれるだけやってみるよ」


「あっそ」


「……っていうか、お前どうやってここまで来た?」


 男女の寮を行き来することはできないはず。ここに来た初日に黒焦げになった先輩の二の舞にならないのだろうかとふと頭をよぎる。


「秘密。それじゃ後はあんた次第よ」


 そう言うとドロシーは踵を返してこちらを振り返ることもなく女子寮のある階段の方へと歩いて行った。


 まあ、教えてもらえるとは思ってなかったし、教えてもらったとしてもサクがそれを活用することもないだろう。


「大切な記憶……か」


 自室の扉を閉めながら、1人口に出してみる。


 そう思えば、今のサクにそんなものがあるのかと疑問になる。


 小学校は空虚な感情に支配されて終わった。


 家では確かに叔父とそれなりに充実した生活を送ってきたけれど、その叔父と決別してここに来た。


 信玄と過ごした日々は、今のサクにとってはむしろ虚しい……悲しい記憶だと思った。


「フリーバティ」


 叔父のことを思って杖を振るけれど、杖はやはり沈黙を貫いている。


 だが、自分の中でこれまでとは違う何かを感じた。核心に触れたような、そうでないような。不思議な感覚だった。


 僅かに見えた光明に、サクは時間も忘れて杖を振るった。


 いつもなら隣のリアムが壁を殴ってきそうな物だったけれど、今日この日だけは深夜遅くまで杖を振っていても壁の向こうからの拳の抗議は来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る