第41話 浮遊魔法⑩
紫藤先生の再試験に向けてサクは放課後になると空希のプレハブ小屋に通う日々を過ごしていた。
プレハブ小屋には連日空希さんが待っていてくれて、サクが帰るまで練習に付き合ってくれていた。
日々の仕事もあるはずなのに、ここまでしてもらえてありがたくて仕方がない。
一方あの仏頂面の桜の園メンバー、ドロシーはと言うと毎日プレハブ小屋にやって来る癖にサクや空希さんのことになど一切の気も配らずソファで毎日本を読んでいるようだった。
別に、初日のように邪険に扱われる訳でもないので構わないが。
そして今日で練習4日目。紫藤先生との試験は明日までに迫っていた。
「う〜〜ん……何がダメなんだろうね」
「……俺が魔法の才能がないばっかりに」
「いやいや!?そんなつもりで言ってないから!気にしないで!さぁ頑張ろう!」
肩を落とすサクを空希さんは励ましてくれる。
しかし、今日も黒檀の杖は沈黙を保ち続け何の進展もないままもうすぐ下校の時間を迎えようとしていのだ。
いよいよ、ここまできたら体裁なんて構ってはいられない。本格的にアゲハや他の先生に助言を求めて恥も外聞もなくやるしかないのだろうか。
同時にここまで追い詰められるまでその行動に踏み切れなかった自分を呪った。
でも、受け入れがたかったのだ。
偉そうなことを言って、結局魔法が使えないということが悔しかった。
自分1人の力で何とかしてやろうと。いや、できるはずだと驕ったと言った方が正しいのかもしれない。
サクの独りよがりの自尊心と、どこか楽観視していた怠惰な心が今の現状を作り出したのだ。
「今日……帰ったらアゲハさんにも相談してみます」
「ごめんね、僕が魔法を使える先生だったらそんな苦労させなくて良かったのに」
夕暮れのプレハブ小屋が静寂に染まる。
暗い空気がさらに重くなったような気がした。
「大丈夫だよ、サク君」
言葉が見つからず黙っていると、空希さんが言う。
「君になら、きっとできる。これだけ一生懸命に練習しているんだから」
「気休めはよして下さい。俺なんか全然ダメで」
空希さんの優しい言葉が今のサクにはむしろ苦しかった。
だって、もっとできることはあったはずなのだ。本当に死に物狂いで頑張れたのなら恥も外聞も気にせず色んな人に相談して、教えを乞うこともできた。
なのに、それができなかった。
自分のちっぽけなプライドがそれを邪魔して、結局追い詰められて。
なぜ、自分はこうなのだろう。何かに熱中して、恥も外聞もなく頑張ることなんてサクにはできない。サクにはおよそ、青春だとか、努力だとか。そんな苦しくも輝かしいそれの中に飛び込むことができない。
「だって……元々の場所でも俺、上手くやれてこなかったんですよ」
今日この日までこらえてきた感情が空希さんの言葉を皮切りにあふれ出て来る。
「俺……
突然魔法使いの世界に飛び込んで。慣れないままでも何とかやってきた日々がサクの頭を激しく流れていく。
これまで抱えてきた何かがせきを切ったように崩れ、漏れ出す。
「どこにいても、俺は俺だった。魔法使いの世界でも、元居た世界でも。何者にもなれやしない」
別に、それでもいいと思っていた。
そうだと言うのにこの魔法の世界に来たからだろうか。
うまくやっていけない自分が情けない。魔法が使えなくて明日の今頃にはここを出ていかなければならなくなっているかもしれない自分に涙がこみあげてきた。
小学生の時、同じクラスにサッカーのクラブチームに入った奴がいた。
彼は毎日毎日、ユニホームが泥で真っ黒になるまで全身全霊でサッカーの練習に明け暮れていた。
チームで1番サッカーがうまかった。なのに彼は驕らなかった。コーチからも、歳下からも、恥も外聞もなくアドバイスを聞いて、実践してみせた。
その泥まみれの彼の姿がとても眩しかった。
夕日に揺れる彼の影から目を離すことが出来なかったのをよく覚えている。
今思えば、羨ましかったのかもしれない。
あそこまで好きなことに心酔して、脇目も振らずにサッカーのことだけ考えて。彼の生活の中心たらしめていたものは間違いなくサッカーだった。
どうして、自分にはあそこまで熱い気持ちを持つことができないんだろう。
人生を変える最初で最後の転機かもしれない桔梗院への入学をもってしても、サクの本質は変わらなかった。
いつもどこか冷めたような感情。疎外感。
何事にも本気で取り組めない、空っぽの人生。
まさに今この状況こそが、これまでの……そしてこれからのサクを暗示しているように感じられた。
「サク君」
空希はそんなサクの肩に手を置く。メガネの向こうに光る瞳はまっすぐにサクの瞳を見つめ、あのいつも頼りない素振りを見せる空希さんが別人のように見えた。
「だったら、変えてやろう。そんな自分を」
「変える…?」
「そうだ、変えるんだよ!君はこれまでの自分を変えるためにここに来たんだ!きっとそうに違いないよ!!」
知ったふうな口を聞く空希さんに、サクはカッとなる。
「でも、実際変わらないじゃないですか。見てたでしょ?どれだけ頑張っても何も変わらない」
「君ならきっと変えられる!魔法を使って、君の存在を知らしめてやればいい!立派な…最高の魔法使いになって!叔父さんを見返してやるんだろ!?」
「気休めを言わないでください!」
空希さんは優しさでそう言ってくれるているのだろう。だが、今のサクはそれを受け止める余裕がなかった。
何を考えても悪い方に悪い方に思考が走ってしまう。
相手の優しさを受け止められる人間は、きっとまだ心に余裕がある人間だけだ。
本当に余裕のない人間には優しい言葉は響かないのかもしれない。
「見て分かるでしょう!?俺はやっぱり何もできない、元から心が空っぽの人間なんだ!!俺に生きてる価値なんてない!!」
だからそれはもはや、ただの八つ当たりだった。
違う……そうじゃない。
心のどこかでそんな言葉が浮かんだ気もするが、それは一瞬だった。もう止められるはずもない。
「それでも自分を信じてやらなきゃ!」
「信じられると思いますか!?これだけやってもダメだったんですよ!?」
荒ぶる感情のまま、気が付いたらサクは杖を投げ出していた。
「俺が魔法使いになんて最初からなれるわけがなかった。どこにいたって何にもなれない、俺は無意味な人間だ」
環境が変わったところでサクと言う人間が変わるわけじゃない。それを思い知らされたような気分だった。
お前はどこにいても同じ。一生そのままなのだという現実を突きつけられたように思う。
「サク君……!」
杖を拾うことも忘れて机に投げ出した鞄を拾う。呼び止める空希さんのことも無視して、そのまま逃げるようにプレハブ小屋を飛び出した。
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