第23話 付喪神④

 このままあの付喪神が見つからなければサクは魔法使いになるどころか桔梗院への入学もままならない。入る前から退学である。


 どんな顔して家に帰ればいい?あれだけ大見得きって飛び出してきたのに……。


 サクが頭を抱えていると、ふとアゲハさんが立ち上がる。その肩は震えていて、何やら彼女の耳や尻尾の毛がザワザワと逆立っていくのが分かる。


「許せません……うちのサク君にこんな怪我まで負わせて、杖まで……」


「あー……」


 すると、何かを察したのかグラン先輩と聡明先輩がスッと壁に寄った。



「その壺……絶ッッッ対に許しません!!見つけ次第即刻砕いて粉々になるまで石臼でひき殺して豚のエサにしてやります!!」



 刹那。アゲハさんがドンッと床を蹴ったかと思うとそのままサクの部屋を一陣の風となって飛び出して行った。


「アゲハさん、スイッチ入っちゃったね」


 豹変したアゲハさんに唖然としているとグラン先輩が苦笑いしながらサクの手を取る。


「あの……アゲハさんどうしたんです?」


 グラン先輩に立ち上がらせてもらいながらサクは尋ねてみた。


「彼女、寮生のこととなると周りが見えなくなる時があるのだよ」


「うん、可愛そうに。あの勢いじゃあの付喪神もお終いだね」


「は、はぁ……」


「まぁ、アゲハさんはアゲハさんで置いておこう。僕らも探さなきゃね、あの付喪神を」


「え、でも……」


 グラン先輩の言葉を聞いてサクは拍子抜けを喰らった。


「俺の問題なんで……別に手伝ってくれなくても」


「おいおい。寂しいことを言うなよ、僕らは同じ桜の園の仲間だろう。困った時はお互い様じゃないか」


 たまらず断りを入れるサクに対してグラン先輩は優しく笑いながら言う。


「え…あ……その……」


 サクは言葉を返せずに口どもる。こんな時、何て言えばいいのか分からない。胸のむず痒さが一人歩きしてそれでいっぱいいっぱいだった。


「む。まぁこのまま君が1人で付喪神を探したとて見つかるとは思えん。それにあの調子のアゲハさんのことだ、杖のことなど忘れて杖ごと付喪神を砕いてしまうかもしれんしな」


「冗談……ですよね?」


 聡明先輩にそう言ってみつつも先ほどの形相のアゲハさんを見てしまっては否定しきれない気がした。


「よし、では目標はアゲハさんより先に付喪神を見つけることだ。ではリアム君、少し協力してもらえないかい?」


「んぁ?なんで俺が」


 すると、グラン先輩はサクの部屋の入り口であくびをしていたリアムに声をかけた。


「無策に突っ込んでも物事は解決しないからね。こう言う時はこちらの強みを最大限活かして戦うとしようじゃないか」


ーーーーーーー


「君は狼の獣人だろう。君のその鼻であの付喪神の匂いを辿るんだ」


「けっ。なんで俺がそんな面倒なことをしなきゃならねぇ。断る」


 グラン先輩の提案に対してリアムは即刻拒否した。


「俺はねみぃんだよ。こんな面倒ごとになんざ付き合ってやる義理はないね」


「ふむ……」


 踵を返そうとするリアムにグラン先輩は1つ考えるような仕草を見せ、去り行くリアムの背中に声を投げた。



「それでは聡明、まずはこの部屋を全てひっくり返すぞ」



「…………んぁ?」


 何故、聡明先輩の名前を出しているのにリアムの方を向いているのか、と尋ねようとすると聡明先輩が指を立ててそれを止めた。


「ふむ。付喪神の手がかりが何か残っているかもしれないからな。散らかっているからまぁ多少なりとも物音が激しくなるだろうが仕方がない。こちらは一刻を争う事態なのだから」


 今日のリアムとの会話が頭をよぎる。確かこいつ夜に付喪神が歩き回る音で寝れなかったとか言ってなかったか。


 つまり、物音に敏感なのかもしれない。そうなれば今から部屋をひっくり返して騒がしくなれば彼の安眠は保証されないと言うことになる


「………………待て」


 ギギギ……と、壊れたブリキ細工のようにこちらを振り返るリアム。


「い、今やらなくてもいいだろ。俺は今から寝るんだ」


「何を言うか。サク君の魔法使い人生がかかった一大事だよ?別に君は寝てくれて構わんよ。こっちはこっちのできることをやるだけだからね」


「まぁ、もしもお前が協力してくれていたのならわざわざこんな散らかった部屋から手がかりなんぞ探す手間などないのだよ」


「…………クソがぁ」


 リアムも流石に杖の捜索をやめろとは言えないらしい。両の手で頭を掻き回しながら取り乱していた。


「無理にとは言わないが……手伝ってくれないかね。君が協力してくれると言うのならこの部屋の片付けは僕がやっておこう。そうすれば捜索が終わる頃には部屋も元通り、君の安眠は保証されると思うのだが」


 優しいグラン先輩の裏の顔を見たような気がする。


「………………わぁったよ……手伝ってやるよ。俺の鼻を貸してやりゃいいんだろ?」


「優しい子だね。頼んだよ」


 こうしてリアムがあの付喪神の捜索に協力してくれることとなった。


 部屋を出た後、リアムが床を這うように廊下を進む。


「匂いが分かるのか?」


「当たり前だ。俺の鼻は特別性なんだよ」


 後ろから見るリアムの姿はまるで警察犬のように見える。なのでどちらかと言えば狼というよりも犬といった感じだ。


 まぁそんなことを言えばリアムが怒って面倒なので言わないが。


 リアムの後に続くと玄関を横切り、食堂を超え、更にその先の廊下の突き当たりへと向かっていく。まだサクが行ったことのない場所。


「大浴場か……」


 そこには暖簾のかかった扉があり、そこには大浴場と書かれたプレートのようなものが埋め込まれている。


「ふむ……もしあの付喪神がここに逃げ込んだのならアゲハさんに捕まる心配はないかもしれないな」


「どうしてです?」


「入れば分かるのだよ」


 そう言うと聡明先輩が大浴場の扉を開くのでサクとリアムも後に続く。そこにはまさに旅館の大浴場といった様相の脱衣所があった。


 木でできた扉のない棚が15個分並んでおり、そこには丁寧に畳まれたバスタオルとタオルが置かれてある。


「ん?これ俺たちの名前か?」


 リアムが脱衣所の棚を見てそうこぼす。サクも釣られてそちらに目を向けると、そこには「リアム・シモン」の名前。その隣には「宗方サク」の名前が刻まれていた。


「え?ここの大浴場、男子専用なんですか?」


 見たところこれ以外に棚は無い。てっきり男女兼用で時間によって男女入れ替わるのかと思っていたがこの棚を見る限りここは男子のために作られた大浴場に見えた。


「違うのだよ。ここは男湯、女湯はまた別にある」


 聡明先輩はそう言うが、他に大浴場らしき所など見当たらなかったはずだ。


「浴場の扉に仕掛けがあるのだ。あの扉をくぐると男は男湯に、女は女湯に飛ばされるのだよ。こうでもせんとやれ覗きだの何だのトラブルが絶えんからな」


「へぇ……」


 何と。確かにそれなら男女間のそういったトラブルは見張りとかを立てなくても解決できそうだ。


「だから、もしここにあの付喪神が逃げ込んだと言うのならアゲハさんに見つかることはない。もっとも、付喪神に性別があるのかどうかも分からなければあれがオスなのかも分からんが」


 つまり、アゲハさんは女性なのでこの男湯に来ることはできない。もしあの付喪神がオスでここに逃げ込んだと言うのなら決してアゲハさんには見つからずに捕まえることができるかもしれない。


 一方で、もしあいつがメスで大浴場に逃げ込んだと言うのならもうこちらからは手出しのしようもないわけだが。


「そうだな……匂いは近い気がするぜ。多分ここらのどっかに潜んでんじゃねぇか?」


 大浴場の空気を吸い込むように鼻を嗅ぎながらリアムが言う。しかし見渡してみても脱衣所にあの付喪神らしき花瓶は見当たらない。別段隠れられそうな場所もないように見えた。


「ふむ……それならば大浴場の方だな」


 そう言って聡明先輩が木でできた戸をガラガラと開く。そこに広がっていたのは大きな大浴場。湯船だけでも4種類あり、しかもそれら全て色が違う。


 黄土色の湯。赤錆色に濁った濁り湯。薄い透明な緑の湯。お湯が入っているのかどうかも分からないほどに透き通った無色の湯。残り1つは水風呂といったところか。その隣にはサウナのような扉が2つもあった。


 浴槽は檜。壁は白のタイルが貼られているようだ。


「すご」


 実家の五右衛門風呂を思い出しながらサクは感嘆の声を漏らした。うちのようにただ広いだけではなくてこれだけ立派な風呂がついているなんて。これまで敬遠してきたがこんなに立派な風呂がただで毎日入れると思うとなんて得したものだと思えた。


「おい、目的忘れんなよ。お前の杖だろうが」


 しまった。つい風呂が凄すぎて頭から抜け落ちていた。


 気を取り直しつつ今度は花瓶を探すために浴室を見渡す。しかし、この浴室の中にも本題の花瓶は見当たらなかった。


「ここにもいないとなると……あのサウナの中とか?」


「いや。そっちじゃねぇな。こっちの方だ」


 すると、リアムが浴室の更に奥を指差す。


 なんだかんだ無理やり巻き込んだのにこうしてしっかり協力してくれるリアムは実はいい奴なのかもしれない。


 リアムの指差す方を見ると、そこにはもうひとつ木でできた戸があった。


「……もしかして?」


 こんな大浴場にある扉なんて、思い当たるのは1つしかない。杖のことが抜け落ちてしまいそうになりつつ、興奮を抑えながら聡明先輩に目を向ける。


「うむ。桜の園名物、桜の湯だな」


 やはりサクの予感は当たっていた。


 聡明先輩が三たび戸を開く。そこにあったのは桜のような淡い白とピンクが混ざったような優しい色の湯船。それを囲うようにゴツゴツした岩が並んでその湯船を捕まえている。


 鼻をつくのは花の優しい香りが混じった湯気。そう、これは露店風呂だ。


 これまでサクはどれほど勿体ないことをしていたのか。こんな立派な風呂があったのに見過ごしていただなんて。


 人生の半分くらい損したような気分になった。


「この風呂はいつ入っても構わんからな。この付喪神騒ぎが片づけばいつでも入りに来るといい」


 サクの反応を見て聡明先輩がそう言う。


 どうやら顔か態度に出ていたのだろう。慌てて取り繕うが多分もう後の祭りだ。


 しかし、こんなに花の香りがする中で果たしてリアムは付喪神を探すことなんてできるのか、と少し不安に思う。


「いるな……」


 ところがそれはサクの杞憂だったらしい。リアムの目が獲物を狩る獣のように鋭く光るのがわかった。


「ここのどっかだ」


 リアムの言葉を聞いて聡明先輩は杖を構える。リアムもまた尻尾を逆立てながら威嚇する犬のようにグルル……と喉を鳴らした。


 サクも露店風呂に置かれていた木でできた風呂桶を持って辺りを警戒する。


 露店風呂というだけあって中は小さな庭のようになっており、隠れられる場所は多いように見えた。


 茂みの中か、あるいはそこに植えられた桜の木の上か。はたまた岩陰のどこかに潜んでいるのかもしれない。


 しかし、どこにもあの花瓶の姿は見えない。ザワザワと1つの風が吹いて無音の露天風呂に葉と葉が重なる音が響いた。


「どこなのだ?リアム、分からないのか?」


「うるせぇ。どっかにはいるんだ。だがダメだ、匂いが途切れてやがる」


「匂いが途切れてる?」


 リアムの言葉を聞いてサクは思考を回す。


 リアムの鼻は目を張るものがある。事実ここまで一切迷うことなくここまで来たのだ。それがどうしてここで分からなくなるのか。


 本体がちゃんといるのならそれこそ1発で分かるはずだろう。


 だとしたら、ここにはいないのか?それとも……。


「匂いが……届かない場所」


 サクは乳白色の湯船に視線を落とす。湯は色付いているので中がどうなっているのかなんて分からない。


 だが、露天風呂の端の方が不自然に波打つのをサクの目は見逃さなかった。


「っ!そこだ!」


 サクは恐怖心も忘れて服のまま湯船に飛び込むと、湯船の中に手を突っ込んだ。


 硬くて丸い何かがサクの手に触れる。それがジタバタとサクの手から逃れようと暴れ回る。かと言ってサクも引けるわけもない。


 一心不乱に逃すまいとバシャバシャと湯を揺らしながらそいつを押さえ込むのに躍起になった。


「よし!宗方サク!そのまま抑えるのだ!!【握把あくは】!!」


 すると、背後から聡明先輩の声が響く。それと同時に白い光の粒子がサクの手元に向かってとんで来るのが見えた。


「キッ!キキーッ!!」


 湯船から丸いフォルムの花瓶が飛び上がって甲高い声をあげたかと思うとサクの胸にドシンと体をぶつけてきた。その衝撃にやられサクは背中から湯船の中に倒れ込んだ。


 聡明先輩の放った光は露天風呂を作る岩に当たり、弾けて消えてしまう。


「ぶはっ、この……」


「キッキッキー!!」


 腕の中でもがく付喪神。それを抱き込むようにして捕まえる。露天の湯が詰まった花瓶は最初の3倍ほど重く、持っているのでやっとだ。


「離れろ宗方サク!魔法で大人しくさせる!」


「代われ!俺がそんな小動物抑え込んでやらぁ!」


 風呂の外から聡明先輩とリアムが言う。しかし、サクはそれに首を横に振った。


「ま、待って……!おい、頼むから聞いてくれ……!」


 サクは嘆願するように腕の中の付喪神に声をかける。


 こいつ、怖がってる……?


 顔も分からない付喪神の感情が、何故かサクに分かるような気がした。杖がこいつに刺さっているからだろうか。


 それと同時に何かがサクの中に流れ込んで来るのを感じた。


 何だ……これ?


 湯で真っ白に染まる視界の向こうに、何かの人影を見た。


 長い髪を1つに結ったような姿をしたそれが、何かを語りかけてくる。


「………………………………………………。」


 何を言っているのかはサクには分からない。


 かろうじて聞き取れたのは、「約束」。何が……何を?何の話だ?


「……っ、ぶぁっ!?」


 息が止まっていた。露天風呂で溺れて死にかけそうになっていたサクは暴れる付喪神を抱いたまま体勢を立て直して立ち上がる。


「キッ!キキキキッ!キーーッ!!」


「ま、待て……待てって!」


 気がついた時、サクは腕の中の付喪神に語りかけていた。


「誰もお前を傷つけようなんて思ってない!でも……でも、返してもらいたいものがあるんだ!」


 半ば半狂乱になりながらサクは言う。言ってからそもそもこいつに人の言葉が通じるのか?と思った。無駄なことをしたとも思った。


「キ……」


 ところが、意外なことにサクの言葉を聞いた付喪神の動きがピタリと止まる。


「お、大人しくなった……?」


 聡明先輩の驚いた声を聞きながら、サクはそっと付喪神を露天風呂の岩の上に下ろしてみた。黒い影から2つの丸い目玉がじっとサクのことを見つめている。


 まだどこか警戒したように身構えており、いつでも逃げ出せるように震えているのがわかった。


 こいつも、怖かったのか。


 そこまで思って、ようやくサクも気がついた。


 あの真っ暗な部屋の中で得体の知れないこいつに恐怖したように、この付喪神もまたサクに恐怖を抱いていたのだ。


 あれだけ激しい抵抗も、自分の身を守るための手段だったのだろう。そう思った時、サクから付喪神に対する恐怖心が消えていた。


「脅かして悪かった……。ただ、悪い。お前の頭に刺さってるそれ……俺にとってとっても大事なものなんだ」


 付喪神が体を揺らす。すると花瓶に刺さったサクの黒檀の杖がコロロと音を立てて転がる。


「返して……くれないか?」


「キ……」


 黄色い目玉がじっとサクのことを観察していた。何を思っているのか測りかねる。だってこの付喪神には目しかないのだから。


 しばらく付喪神と視線を交わしていると、ブルルっと付喪神が体を震わせる。それを見た聡明先輩が杖を構えようとするが、サクはそれを手で制した。


「キッ」


 露天風呂を囲う岩の上で付喪神は花瓶の頭を振る。すると頭に刺さっていた杖がポーンとサクの手元へと飛んできたので慌ててそれを両手で受け止めた。


「うわっと。………………えと」


 多分、この付喪神は杖を返してくれたのだろう。


 強行的に杖を取り返さなくて済んでサクはどこかほっと息を吐くことができた。ただ、同時にサクを見上げる付喪神に何と声をかければいいのか、言葉が出てこなかった。


 そんなサクを尻目に付喪神はくるりを身を翻してテコテコと歩き去ろうとする。


 よかった。もうこれでこの事件は終わり。杖も戻ったしこの付喪神もどこかに行くだろう。


 けれど、魔法の世界はそう簡単にサクに平穏を与えてはくれない。サクにとって非日常な日常は、次から次へとサクに新たな刺激を与えてくる。


 露天風呂の柵。多分、向こうは女湯だろうか。そちらの方から突如何かが飛び上がってくるのが見えた。


 はっとなってそちらに目を向けると、ちょうどそれが……いや、彼女がズンッと衝撃と共に地面に着地したところだった。


「見つけましたよ……はぐれ付喪神……」


「キキィッ!?」


 柵の向こうから飛び越えてきたのは先ほど先陣を切って付喪神を探しに行ったアゲハさんだった。


 刹那。まるで獲物を狩る獣のような機敏な動きでアゲハさんは付喪神を引っ捕える。無論付喪神も決死の抵抗を見せるがアゲハさんはてんでこたえていないようだった。


 突然の襲来者の登場にサクは唖然としてその場に突っ立つことしかできなかった。


「許しませんよ……私の可愛い寮生を怪我させた挙句、その半身を奪った罪……万死に値します」


「キキーッ!?キッ、キィィィ!?!?」


 はち切れそうなほど暴れる付喪神をアゲハさんはその細い腕1つで押さえ込んでいる。バカな。あの細くて綺麗な腕のどこにそんな力が!?


「さぁ……引導を渡して差し上げます」


 アゲハさんが何か呪文のような言葉を呟いたかと思うと、アゲハさんの右手、付喪神を捕まえていない方の腕がミシミシと音を立て始める。


 アゲハさんの腕から茶色い獣の毛が生え、その腕も一回り大きく肥大していくのが見えた。


「な、何だ……これ」


「【獣化】だな。おい、あの寮母本気だぞ」


「【獣化】?」


「なんだ、知らねぇのか?……まぁ、魔法人だと馴染みがねぇのか」


 サクの疑問にアゲハさんと同じ獣人のリアムが答える。


「俺ら獣人は魔法人と獣の血が混ざった種族だ。獣化の魔法は獣人の固有魔法で自分の体をより獣へと近づけるための魔法。簡単に言えば体を獣に変えて強化する魔法ってことだよ」


 獣人は獣と人が混ざった種族。故に身体能力は高いらしい。なのでアゲハさんの見た目は華奢で細身でもその実は普通の人の何倍も強い力を持っている。


 そして、リアムの言う【獣化】の魔法。それを使うと更にその身が獣へと近づき更に強い力を発現させることが出来るというのだ。


 じゃあ、つまりアゲハさんはあの付喪神を殴って砕いてしまおうとしているのか。


「そ、そこまでしなくても」


「仕方あるまいよ」


 いささかやり過ぎな気がしたが、聡明先輩が口を挟む。


「付喪神はF級の魔法生物だからな。人に危害を加えたのならば処分することが決められているのだよ」


 聡明先輩はメガネを上げながらそう言う。


 処分……って、それってまさか。


「あの付喪神、殺すんですか?」


「うむ。仕方あるまい、そういう決まりなのだ」


「別にいいだろ。お前だってあいつに酷い目に合わされたんだ。これでもう何も後腐れることなく終わりだろ」


 【常人】なら、それが普通の感覚なのだろうか。何の躊躇いや感情もなく2人はそう言っている。


 つまり、これが常人の普通。当然の判断。だったらサクもそこに倣うべきだ。何せこれからサクも常人の世界で生きていくというのだからそこで波風立てず彼らと同じようにして生きていかなければならない。


 頭ではそうすべきだと分かっていた。


 けれど、胸の奥がズキリと痛むのを感じた。アゲハさんの腕で暴れる付喪神。じっとこちらを見つめていた2つの黄色い目玉。そこになんの意味があったのかサクには分からない。分かるはずもない。


 だって、これまでサクが生きてきた世界とは無縁の物だ。サクにとって付喪神なんて異世界の異生物であり到底理解の及ぶようなものでは無い。そんなものを見て、サクが何を分かったつもりになっているのか。


 アゲハさんが腕を振り上げるのが見える。アゲハさんの腕は先程とは3倍も太くなっているように見えた。付喪神の花瓶がビシリと悲鳴をあげているのが分かる。それ程アゲハさんの付喪神を握る力が強いのだろう。


 本気だ。そこになんの躊躇いもない。


 あぁ、またか。またこの感覚か。


 ここ数日忘れていた感覚が胸を支配していくのが分かる。どこか自分が自分だけ取り残されたような、孤独感。


 けれど、それはこれまでとはまた少し違ったような感覚を覚えた。


 そう、確かにこの瞬間だったとサクは記憶している。


 無くしたように揺れ動いたことの無いそれ。それを形容する言葉は色々とある気がする。


 心、意思、想い、気持ち。


 そのどれなのかも分からない。本当にそれだったのかも分からない。けれどこれまで冷たく沈黙を保ってきたその胸の奥。


 それが小さく揺れ動いたような気がしたんだ。




「まっ、待ってくださいっ!」




 気がついた時、サクはアゲハさんと付喪神の間に飛び込んで叫んでいた。


 驚いたような顔をするアゲハさんと、小さく「キッ」と鳴く付喪神の声が聞こえた。


 それを知覚するや否や、アゲハさんの構えられた拳がサクの顔目掛けて飛んでくる。目にも止まらぬ速さとはこのことを言うのか、圧倒的な勢いで迫るそれにサクは身体が強ばるのを感じた。


 ビタァッ!!


 アゲハさんの拳がサクの面前で止まる。その拳の風圧で突風がサクの顔に打ち付けて前髪が全て後ろに流されていくのを感じた。


 拳から放たれた風のせいか、はたまた別の理由かは分からないがサクの目から堪らず涙がこぼれ落ちる。


 サクは全身から力が抜け、その場にへたり込んでしまいそうになった。


「どきなさい、サク君」


 けれど、アゲハさんから放たれた冷たい言葉が崩れ落ちそうなサクの体に鞭を打った。


「い、いえ……どきません」


 アゲハさんに、サクは首を横に振った。いや、首を振れていただろうか。もしかするとただ震えているようにしか見えなかったかもしれない。


 アゲハさんは無感情にサクのことを睨む。それだけでここから消えてしまいたい衝動に駆られる。


「いけません。人に危害を加えた付喪神は悪神として、祓わなければなりません」


「わ、分かってます」


 小刻みに何度も頷きながらサクは答える。それは聡明先輩からさっき聞いた。分かってる。


「なら、どきなさい」


「いやです」


「あなたごとぶち抜きますよ」


「か、勘弁してください」


 アゲハの脅しに屈しそうになりながらも、それでもサクは決してどかなかった。


 何が自分をここまでさせているのかも分からない。今のサクにあるのは困惑と恐怖と、ほんの少しの後悔だけだ。


 そんなサクの姿に冷静さを取り戻したのか、アゲハが少し熱を取り戻した声で問いかけてきた。


「……何故そこまでしてその付喪神を庇うんです?」


 何故……と聞かれても、サク自身よく分からなかった。


 ただ、なんと無くだ。それが何かと言われると答えられはしない。


「え…と……」


 サクは思考を回しながら何とかできる方法がないかを模索する。


 魔法のことについての知識なんてほとんどない。そんなサクがどうやってアゲハを説得できるのか。


 一瞬のうちにここ数日の知識がまるで走馬灯のように頭を巡る。何か……何かいい方法は……。


 そんな時、サクの頭に止まったのは今日の買い物の時の会話。


「……っ」


 これだ、もうアゲハさんを説得するにはこれしかない……!



「こ、こいつ!飼っちゃダメですか!?」



「「……………………は?」」


 サクの申し出にアゲハだけでなくリアムと聡明先輩まで唖然とした顔をした。


「ま、魔法使いって……自分のペットを連れてますよね!?」


「それは……式神のことですね」


「そ、そう!それです!!」


「まさか、その付喪神を式にすると言うことですか?」


「は、はい!」


 うわぁ……式神って何ぃ?なんて考えが頭をよぎる。


 でも、それしかサクには思いつかない。魔法の知らないサクが何とか絞り出した張りぼての武器。


 チラリと背中にいる付喪神に目をやる。丸い目がさらに丸くなっているような気がした。


 ただ状況的にこいつも何が何だか分からないと言った所か。そりゃそうだろう。さっきまで敵対していたサクがこうしてこいつを庇って何かしてるのだから。


「……………………」


「ダメ……ですか……?」


 サクと付喪神を見比べながらアゲハはジト目をこちらに向けてくる。恐る恐る、イタズラがバレた子どものようにサクはアゲハさんに質問してみた。


「どうして、この子を式神にしようと思うんですか?」


「そ、それは……」


 アゲハさんはサクの痛いところを突いてくる。


「別に、この子じゃ無くても構いませんよね?この子はあなたを傷つけた。危険な子かもしれないんですよ?」


「……分かってるつもりです」


「なら、別の子にしてください」


「い、いやです!」


「じゃあこの子にこだわる理由は何ですか?」


「………………っ」


 アゲハの茶色い瞳がサクの心を見透かすようにじっと見つめてくる。サクの軽い抵抗などアゲハには簡単に看破された。


「同情ですか?」


 サクは黙って小さく頷く。


 きっと、そうなのだろう。さっき、こいつはサクの願いを聞き入れてくれた。それなのに、ここでこいつを見捨てて死なせるなんて……サクはしたくなかったのかもしれない。


 グチャグチャだったサクの気持ちがアゲハさんの問に導かれるようにクリアになっていった。


「なら、なおのこと許可できません。魔法生物の中にはあなたのそう言った気持ちを利用する生き物だっています。あなたにはそれを律する知識も力もない」


 そして、それを明確にした上でなおアゲハさんはサクにNOを突きつける。無理だ、ここからどうやってもアゲハさんを説得できるような気が起こらなかった。


 これ以上やっても何にもならない。


「……でも」


「でも何ですか?」


 けれど、アゲハさんとの問答にサクは違和感を感じていた。


 頑なにサクの主張を認めない一方で、アゲハはそれでも行動を強硬に移そうとはしなかったから。


 サクが言葉にできない言葉をアゲハは待ってくれているような気がした。


 それに気がついたサクは、ジワリと胸が熱くなるのを感じた。


「……こいつにはこいつで、理由があったのかなって。今思えばすごい必死だった気がするし、最初部屋に来た時はこいつ何もしなかったんだ」


 ポツリポツリとサクは心の中を吐き出す。


 そうだ。もしこいつが本当に危険な奴だったのなら、サクは最初の晩に挽肉にされていたかもしれない。でもこいつはそうしなかった。


「俺だってびっくりしてこいつをぶっ飛ばしたし……お互い様っていうか」


 再びサクは背後の付喪神を見る。


 付喪神は大人しくサクのことをじっと見つめ返していた。


「こいつがあんなに暴れたのも、俺がこいつを怖がらせたから。自分を守るために俺を襲っただけなんじゃないかって」


 アゲハはサクの言葉を否定せずにただ黙って聞いてくれる。


「でも、ちゃんと話をしたら伝わったんです。杖を返して欲しいんだって、大事なものなんだって言ったら、こいつはそれに応えてくれた」


「付喪神が……?」


 アゲハさんは驚いたように聡明先輩とリアムの方に視線を向けた。


「にわかには信じ難いですのですが。確かにその付喪神は宗方サクに杖を返していたように見えた……かもしれんのだ」


「そう…ですか」


 それを確認したアゲハさんはまたサクに向き直る。



「もしこのまま放置して人を怪我させてしまうかもしれないって言うのなら、俺が責任もって見張ります。このまま放置して俺以外の人を傷つけないように、言って聞かせます。もちろんそれはこいつもそう思ってくれたらの話だけど……」



 排除じゃ無くて共存。


 サクは確かに怪我をしたかもしれない。でも、それはサクだって同じ。俺だってこいつに手を出したのだから。


 喧嘩両成敗。お互い様。


 共に生活をして、人を傷つけないようにできるのであればわざわざここで殺してしまう必要はないし、こいつもサクのことを排除しようとしたりしないはずだ。


「……………………」


「ダメ…ですか……?」


 サクの主張を聞いたアゲハはしばらく黙り込んでいる。


 露天風呂に流れる湯の音だけが夜の静寂の中妙にハッキリと聞こえてきた。


「はぁ……全く、あなたは優しい子ですね」


 やがて、アゲハさんが1つ小さなため息をつくと握り拳を緩める。腕の毛が消えて元の綺麗な女性の手へと戻っていった。


「付喪神さん、あなたはどうしますか?」


「キ……」


 そう言ってアゲハさんは付喪神から手を離す。付喪神の体が自由を取り戻し、露天風呂の岩の上に着地した。


「あなたがサクくんの式神になるというのなら、サク君を主人として従う義務が生じます」


「え……いや俺は別に主人とかそんなのは」


「いいえ。これは必要なことです。サク君のためにもこの子のためにも」


 サクの横槍に対してアゲハは言い放つ。


 引かなければならない境界はハッキリさせないといけないと。


「あなたがサク君を傷つけるようなことがあれば、私があなたを砕きます」


「アゲハさん……!」


「サク君の式神になるというのなら、命を賭してサク君を守る義務が生じます。それでも構いませんか?」


「……………………」


 付喪神はじっとサクを見上げるような仕草を見せる。


 少しの間の後、ピョンと小さく跳躍してサクの頭に飛び乗った。


「キキっ」


 付喪神がアゲハに何かを言う。それは人間のサクには理解できなかったが、これまで聞いたこの付喪神の鳴き声で1番穏やかな鳴き声だった気がした。


「……分かりました」


 アゲハには付喪神が言いたいことが何と無く理解できたようで小さく頷く。


「では、ここで契りを交わしてください」


「契り?」


「手を出してください」


 言われるがままに手を出すと、アゲハはその指をサクの額に押し付ける。ちくりとした痛みがサクの額に走った。


 自身の指に目をやると、そこには赤い血が付いている。どうやら付喪神と暴れている間にアゲハさんが貼ってくれたガーゼが剥がれていたようだ。


 そんなことを思っているとアゲハが杖を振る。ボンという音と共に小さな巻物のような物が現れた。


 それは一人でに開くと、奇妙な紋様が描かれているページを開いて空中に浮かぶ。もう、これぐらいのことでは動揺しないぐらいには色々なことがあった。


「サク君、この子に名前をつけてあげてください」


「名前を?」


「えぇ。名は体を表す。つまりはその存在を表す証明になる物。サク君が名前をつけることであなたとこの子に結びが生まれます。それが契り、式神の契約を結ぶと言うことになるんです」


 サクがこの付喪神に名前をつけることで式神としての契約をすることができると言うことらしい。そんなに簡単にできてしまうものなのかと少し驚いた。


 名前か。頭に乗った付喪神を両手で持って見てみる。


 元は桜の枝が刺さった花瓶のような付喪神。


 さて、どんな名前がいいのだろう。突然そんなこと言われても何もいい名前が浮かばない。


 生き物だってこれまで飼ってきたこともないし、学校で生き物係みたいなものに携わったこともない。何かに名前をつける経験なんててんでなかった。


 ツボ……マル……。


 付喪神の形や色で色々連想して見るが、どれもしっくりこない。


 どうしたものかとふと天を仰ぐ。するとそこに広がっていたのは……。


「さくら……」


 春を迎え、満開に咲き誇る桜の花。それが風に舞ってその花弁を散らせていた。


 そう言えば、いつだったか。


 宗方サク……。サクの名前がサクラみたいだって言われたことがあったな。


 桜咲くとかなんとか。


 いつの記憶だかも分からないが、何故かそんなことがサクの頭をよぎる。


「サク……サクラ……」


 じーっと付喪神を見つめながら、ふとサクはこぼす。


「クラ……」


 サクとクラ。2人合わせてサクラ。


 ダジャレか、と思わず笑いが零れそうになった。


「クラ……なるほど。それはいいかもしれませんね」


「え……あぁ!?ちょっ……」


 ポツリとこぼしたサクの言葉をアゲハはしっかりと拾う。


「いいじゃないですか。契りを交わすのにはいい名前だと思いますよ」


「でも何と無く思いついただけで」


 こんな理由で名前をつけるなんて馬鹿げているような気がした。こんなのただの思いつきだ。けれどアゲハさんは首を横に振る。


「それで構いませんよ。そう言ったインスピレーションは大切ですから」


 そう言うとアゲハは巻物を指さす。その先には2つの空白の四角がある。


「ここに、血でサク君の名前。そしてこっちに書いてあげてください。この子の名前……宗方クラちゃん」


「う……」


 本当にこんなんでいいのかと思ってしまうが、もうアゲハは乗り気だし撤回もできなさそうだ。


 指についた血でサクは自身の名前と「宗方クラ」と言う名前を書き込む。すぐに血がかすれてしまうと思ったが不思議と最初につけた血だけでサクはおろか宗方クラの字も書き切る事が出来た。


 最後の文字を書き終えた瞬間。巻物がギュルルと勝手に元の状態へ巻き戻る。


 そして元の巻き取られた状態になったかと思うと、ぐるぐると渦を巻くように回転し、そのままポンという軽快の良い音と共に霧散してしまった。


「さて、これで契りは完了です。あなた達は無事に式神の儀式を終えることができましたよ」


 そう言うアゲハの言葉とは違い、何の変化も感じない。


 サクの手の中でこちらを見上げる付喪神……いや、クラでさえ何の変化も見られなかった。


「ふふっ、そうですね。その変化を感じられるのは学校が始まってからだと思いますよ」


「そうですか……?」


「ええ。桔梗院の日本魔法学の授業で式神についての魔法も学ぶはずです」


「桔梗院で……か」


 この桜の園に来てから驚きの連続。


 動く花瓶に半分獣の姿をした人間。言葉を話す地蔵に一人で空飛ぶ魔法の本……。


 あげればあげるほどキリがない不思議の連続。


「……ちょっと、楽しみかもしれないな」


 普通だったら、こんな環境の変化についていけずに困惑してしまうものだろう。だがサクはそれらをなんだかんだで受け止めて、納得できてしまっていた。


「キキっ」


 そんなサクを見ながらクラは小さく鳴く。


「これからよろしく、クラ。頼むからもう暴れたりしないでくれよ?リアムがまた怒るからさ」


「あぁ?何だ俺が悪もんみてぇに」


 何だかんだ言いながら最後までこうして付き合ってくれたリアムに苦い顔をしながらクラに言い聞かせる。


 目玉だけなので表情は読み取れないが、何と無くサクの気持ちは伝わったような気がした。


「さぁ、もう夜も遅くなりました。今日はお休みしましょう!サクくんはしっかり身体を拭いてから寝てくださいね」


 桜色の湯船の中。流れる温かい泉の真ん中でサクに新しい式神クラが誕生した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る