第20話 付喪神①

 杖選びを終えて、桜の園に着いたのは午後6時を回った頃だった。


 尻尾をちぎれそうなほど振ったアゲハが暖かくサク達を出迎えて、豪華な夕食を準備してくれていた。


 今日は清水に出かけた5人で食事をとることになった。


 沙羅は楽しそうにニコニコと会話の花を咲かせ、凪がやる気のない返事を返す。


 ドロシーとリアムは物静かに箸を進めていた。


 サクはというと、沙羅の語る魔法の世界の話が新鮮だったので興味深く聞いていたが、乏しい魔法の知識が露呈しないように気を遣いながらだったのでとても気疲れした。


 結局、ドロシーとリアムは先に部屋に戻り、サクは延々と話し続ける沙羅とMnectを触り続ける凪に挟まれて帰るタイミングを失ってしまい、沙羅の気が済むまで話を聞くハメになった。


 階段のところで沙羅と凪と別れ、部屋に戻ってこれたのは夜の10時だった。


 眠い目をこすりながらサクは自室の扉を開ける。


 多少は興味深かったが、毎日これではサクの身がもたない。


 「明日もお話ししよーねー!」と満面の笑みで帰っていった沙羅を思い出しながら身震いする。


「沙羅の話を聞くのもほどほどにしないとな……」


 暗く静まり返った部屋を眺めながら1つ息をつく。落ち着くと同時にどこか1人で過ごすには広いような気もした。


 リアムはもう寝ているのだろうか。うるさくすると面倒なのでさっさと風呂に入って床につこうとアゲハにつけてもらった電灯のスイッチに手を伸ばす。


「……ん?」


 月明かりが照らす部屋の中。今度は別の違和感を覚える。


 何だろう。朝はあまり深く考えずに過ごしたが改めて自分の部屋を見渡してみる。


 闇の中に淡い光を揺らすあんどん。その隣には4足の机が置いてある。布団はサクが畳んでそのまま放ったらかしになっていた。


 次に目がいくのは茶の間。確かそこには掛け軸と、桜の枝が差さった花瓶が……。


「……あ」


 ようやくここでサクは気がついた。そうだ。朝起きた時は茶の間にあったはずの灰色の花瓶がそこにはない。


 窓枠の上。窓のそばにまるで夜空を眺めているかのように花瓶が物言わずに置いてあった。


 あれ……そう言えば、この部屋に初めて来た時も茶の間ではなくそこになかったか?


 静かな自室にいやな緊張感が漂う。


 誰かが……勝手に部屋に入った?ならアゲハさんだろうか?それともこいつが勝手に動いたとか?


 普通に考えればただの花瓶が動くはずもない。だがここはこれまでの普通が通用しない魔法の世界。何が起こるかなんてわかったものじゃない。


 壁をつたいながらじりじりと花瓶に近づく。当然花瓶は何も言わずにそこにあるだけだ。


 恐る恐る花瓶に手を伸ばしてそっと持ち上げてみる。サクが手を触れても何も起こらないようだ。


 やはりそうだ、馬鹿馬鹿しい。魔法の世界に来たからと言って何でもかんでも魔法のせいにするのはよくないと自分に言い聞かせる。


 花瓶が動かないことに安堵したサクは改めてそれを観察した。


 真ん丸なボールのような花瓶。下の方は濃い灰色で上に行くにつれて薄い灰色へと変わっていくような何の変哲も無さそうな無難な文様。


 もしサクが花瓶を作るとしたら、きっとこんな文様になるだろうか。そんなことを思う。


 花瓶を軽く振ると中に溜まった水が揺れる。それと同時に何かカラカラと中で動くような音がなったような気がした。


「中になにか入ってんのか?」


 1人そう呟きながら、サクは花瓶の中を覗き込もうとした。


 その時だった。



 ドンッ!!



 突然サクは胸に激しい衝撃を感じた。


「がっ……!?」


 肺から空気が抜ける。そして気がついたらサクは今日の朝まで寝転がっていた布団に倒れ込んでいた。


 倒れ込んだ腰から鈍い熱が伝わり、サクの脳に危険信号を送る。生存本能だろうか。胸の痛みも忘れて勢いよく体を起こして窓際に目をやる。


 そしてサクは確かに見た。


 そこにあった……いや、正確にはそこにいた。


 頭から桜の枝を生やした花瓶。その一部が墨汁でもかけたように黒ずんでいる。そこに黄色い満月が2つ浮かぶ。それが、目玉だと言うことに気がついたのは、そいつが部屋をぎょろぎょろと見渡したからだ。


 先程まで花瓶だったソレがまるで命を吹き込まれたように動き出したのを見て頭から血が引いていく。


 そしてそれと同時、花瓶の底から黒い獣のような足と暗い尾が生えたかと思うと、狂ったように部屋を駆け回り始めた。


「わ、わっわっわぁぁぁぁぁあ!?!?」


 サクもそいつから逃げ回るように身体の軋みも忘れて走り回る。


「キッ、キキーーッ!!」


 すると、甲高い小動物の断末魔のような声が部屋に響く。それが花瓶の化け物の鳴き声だと言うことに気がつかないほどにサクもまたパニックになってそいつから逃げる。


 布団を踏んでバランスを崩したサクが襖に突っ込んで穴を開ける。その音にびっくりしたそいつは風切り音を上げながら飛び上がり、バリバリと音を立てて天井に突き刺さった。


 サクが見上げると体を震わせたそいつが木屑ともに落ちて来た。


「うわああああああ!?」


 あられもない悲鳴をあげながらそばにあった枕でそいつを跳ね返す。


「キッ、キッ、キーーッ!?」


 そいつは弾力のあるボールのように部屋をボンボンと跳ね回る。座卓の足を1つへし折り壁を凹ませ掛け軸を吹っ飛ばした。


 ドンッ!!


 すると、壁の向こうから何かを殴るような音が聞こえる。リアムから大騒ぎするサクへの抗議としての壁ドンだろう。しかし、そんなものに構ってられるほど今のサクに余裕なんかない。


 このままでは埒が開かない。こいつを何とかしなければ。だがこんな未知の生物に何ができると言うのか。下手すれば食われるかもしれないし、くびり殺されるかも知れない。未知とは恐怖そのものなのだ。


 たまらず今日清水で受け取った杖を腰のポーチから引っ張り出して花瓶の獣へと向ける。


「や……ややややんのかコラァ!?」


 何かのヤンキー漫画で聞いたようなセリフで張りぼての威圧感を出す。


 裏返った声で情けないことこの上ないが、今のサクにそんなこと気にする余裕なんてない。


 そして、杖なんか向けてもサクは魔法の使い方なんて何にも知らないのだ。ただの脅しでしかない。


「キッキッキー!!」


 そんなサクの強がりに対して花瓶の獣はなんとまるで弾丸のようにサクの顔めがけて飛んでくるではないか。


「はぁ!?」


 気がついた時にはもう遅い。サクの顔に硬い花瓶が直撃した。


 あまりの衝撃にサクは背中からまた布団へと倒れ込んでしまった。一方の花瓶の方もサクと同様に床を転がりプルプルと震えている。


 一見無機物のようだが、痛がっているように見えた。


「お、お前……!」


 お互いしばし悶え苦しんだあと、サクは痛みを堪えながら顔を上げる。鼻から生暖かい液体が溢れた。どうやら鼻血が出たらしい。


 花瓶の獣を睨みつける。花瓶の方はフラフラと立ち上がるところだった。


 頭に突き刺さっていた桜の枝が無くなっていた。多分さっきの衝突の時にどこかにいってしまったんだろう。


 小さく呼吸をするような鳴き声を上げる付喪神。こいつも疲弊しているのだろうか。

 

 暗い部屋に流れる張り詰めた空気。


 鼻から流れる血が、身体の痛みがサクの怒りに火をつける。興奮が恐怖心をかき消して、ついにサクは声を荒らげて怒鳴った。

 

「いい加減にしろ!人の部屋に勝手に入ってきて、散々暴れ回りやがって!とっとと出ていけ!ここは俺の部屋だ!!」


「キキーッ!キッキッキー!!」


 サクの言葉に付喪神もまた甲高い鳴き声を返してくる。


 何を言っているのかはさっぱりわからない。だがその姿はどこか必死さを感じさせるものだった。


 目の前のこいつは壺の形をしている。顔は無く、唯一何かを探れそうなのは壺の表面に黒い影を落とした部分。


 そこからは恐らく目と思われる黄色い光が漏れているだけで口も鼻も耳もないのだ。他にこいつを生物と関連づけるものはその獣のような足と黒い尻尾だけ。


 だから、感情なんてものを読み取るなんてことできるはずがなかった。


「……っ」


 だと言うのに、何故か目の前の付喪神の感情が流れ込むような感覚を覚える。


 何…だ、これ?


 胸が張り裂けそうなほどに痛む。


 それと同時に感じるのは何かの想い。


 絶対に譲れない、何かの願い……?約束?


「お前……一体……」


「うるせぇ!いい加減にしやがれぇ!!」


 刹那。暗い部屋に差し込む光と同時に響くサクとは別の怒号。


 見ると、そこには痺れを切らしたリアムが全身の毛を逆立てながら怒鳴り込んでくるところだった。


「キキーーッ!!!」


 突然の第三者の乱入に動揺したのか花瓶の獣は飛び上がったかと思うと、2回ほど部屋の中を回って、そのまま風のように走りリアムの足の下を抜けて部屋を飛び出して行った。


「な、何だぁ!?」


 リアムの騒ぎ声を聞いて何人かの桜の園の男子生徒が集まってくる。


「おい、お前何拾ったんだ!?ありゃ何だ!?」


「お、俺だって知らないよ」


 最初に駆けつけたリアムがサクの部屋に乗り込んでくると胸倉を掴みながらサクの体を揺らす。


「ふむ……これはまた派手にやったようだな」


 一波乱あった部屋の惨状を眺めながらフロアリーダーのグラン先輩と聡明先輩が部屋に入ってくる。


「聡明、アゲハさんを呼んできてくれないかい?さっき飛び出して行ったアレのことは一旦後回しだ」


「分かりました」


 鼻血を垂らすサクにタオルを手渡しながらグラン先輩が指示を送り聡明先輩が部屋を飛び出していく。

 

 穏やかな桜の園が騒がしくなり、その中心にいるのはサクだ。


 面倒なことになったと肩を落としながら鼻血が溢れる鼻を押さえることしかできないのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る