第19話 杖渡式②

 しばらくすると、空希さんがとある店の前で立ち止まる。


「ここが杖のお店だよ」


 そう言って見上げるそこには立派な建物。他の店の2、3倍はあるのではないかと思うほど広い屋敷が立っていた。


 暖簾をくぐると古い木の匂いが鼻腔をくすぐる。そして店の奥からメガネをかけた優しそうなお爺さんが声をかけてきた。


「いらっしゃい。桔梗院の生徒さんだね?」


「はい、予約させてもらっていた空希です」


「予約?それは聞いていないが……」


「えぇ!?そんなばかな………………あぁ!?ホントだ!送信忘れてる!?」


 Mnectを弄りながら頭を抱える空希さん。


「まぁ、安心してください。今日はたまたま予定が空いてますんで構いませんよ」


「うわぁ……ありがとうございます……」


 申し訳なさそうに何度も頭を下げる空希。どうやら予約は忘れていたが何とかして貰えるようだ。


 他のみんなも安心したような顔をしている。


「それじゃ、こちらへ」


 そう言って老人はサク達を連れて店の奥へと案内する。そこは旧家の廊下と言った感じでサクの家を彷彿とさせた。


 廊下の両側にはいくつもの障子が並んでおり、蒼い光がユラユラと揺れているのが見える。水の光を反射しているのだろうか。


 サク達は1人1人個室へと案内される。障子を開くとそこには赤い着物に身を包んだおかっぱ頭の女の子が旅館の女将のようにお辞儀をしながらサクを出迎えた。


「ようこそ、おいでくださいました」


「こ、こんにちは」


 幼い声とは似つかない少女の姿に不気味さを覚えつつ、サクは彼女が促してくる赤い座布団の上へと腰掛けた。


 部屋は6畳1間。部屋の中央には口の広い壺が置いてある。その中は透き通るように蒼い光を放つ水で満たされており灯りがない真っ暗な部屋を明るく照らしていた。


「私、同行人のトウカと申します。此度は魔法使いの成年儀礼【杖渡じょうと式】おめでとうございます」


「【杖渡じょうと式】?」


 日本人形の様な表情のない彼女の顔が壺の青い光に揺れて言いようのない不気味さを感じつつ、サクはトウカに尋ねた。


「12歳となった魔法使いが、己の半身とも言える杖を賜る神聖な儀式です。私はあなたの【杖渡式】の案内人という訳です」


「はぁ」


 ようは、杖を受け取る為の儀式の手伝いをしてくれるということか。つまりここがサクの杖をもらうことができる場所という事。


 てっきり大量の杖が並んでいてそこの中から自分の好みのものを選ぶのかと思ったがそうではないらしい。


 次に、サクの視線は目の前の壺へと移る。見たところ、これが何かに必要なことは明白だ。


「……あの」


「はい。なんなりと申してください」


「痛い……ですか?」


「…………はい?」


 無表情な彼女の顔が一瞬崩れる。


「あ、いや……その、忘れてください」


 そんな少女の反応を見てサクの顔が熱くなる。


 得体の知れない場所で、得体の知れない相手と、得体の知れない儀式を行うと言われて情けないことに怖気付いてしまった。


 そして思わず弱音を目の前のこの子に漏らしてしまった。情けない。慌てて取り繕おうとするがもう後の祭り。


 いい歳して怖がってるなんてカッコ悪いと思われているのではないか。そう思うと恥ずかしくて顔もみられないと思った。


「ふふっ。面白い人ですね」


 ところが、無表情だった少女は表情を崩し笑顔を見せた。その様子にサクの強ばった身体もまた緩んでいくのを感じる。


「この儀式を前にして、怖がるなんて方初めてです。緊張なされたりする方はよくいらっしゃいますが」


「す、すみません……」


「いえ。いいんです、むしろ私も少し気が楽になりました」


 そう言ってトウカは目の前の壺の中に自身の手を入れる。水面が波うち部屋を照らす蒼光もまたゆらゆらと揺れた。


「実は、私もつい最近なんですよ。ここで働くようになったの」


「そ、そうですか」


 少女の言葉を聞いてだから何だというのか、と言う感情が頭をよぎるがすぐにどうでも良くなって忘れた。


「さぁ、どうぞ」


 しばらく沈黙が経ったあと、トウカが告げる。


「えと……?」


「あなた様の手をここへ」


「い、入れるとどうなるんです?」


 袖をゆっくりとまくりながらサクは尋ねてみる。もう、今更隠すこともない。不安なことはトウカに聞いてみることにした。


「あなたを知るための旅路が始まります」


「俺を知るための旅路?」


「はい。あなたがどんな人間で、どんな素質を持つのか。そしてそんなあなたに共鳴する生涯の半身を召喚するのです」


 トウカの説明を聞いてもよくわからない。


 サクの晒した右手が壺の上でどうしても止まってしまう。見慣れたサクの手は蒼い光に照らされて水面の如く揺れているように見えた。


 自分を知る旅路。それが何を意味するかは分からない。でも、興味がないと言えば嘘になる。


 自分が何者で、どんな素質があるのか。


「大丈夫。私がついていますよ」


 固まるサクの身体をトウカの言葉がほぐしてくれる。


 1つ大きく息を吸うと、意を決してその右手を蒼い水面へと差し込んだ。


 再び部屋の光が揺れる。


 感じるのは一言で言えば妙な感覚。


 水だと思っていたそれはサクの知る水の感触ではない。濡れてはおらず、どこか涼しい空気の中に入れたような感覚だった。


 中で手を掴んでみるが、ただただ空を切るだけ。そこには何もない。


「よくできました。それでは目を閉じてくださいまし」


 トウカに促されるままサクは目を閉じる。


 身体の全ての感覚が右手に集約されるようだ。


「そう、その調子です」


 そう言うと、トウカが何かブツブツと呟き始める。耳をすましてみるが何を言っているのか分からない。何かの呪文か、と漫然と思った。


 2人きりの空間をトウカの呪文が支配していく。


 ザァ……っと、水が流れるような音が聞こえた気がした。


 その時、サクの意識が何かに飲み込まれる。壷に差し込んだ右手からサクの意識が吸い取られ、溶ける。


 思わず目を開けようとするが体が動かない。ただ真っ暗な視界が広がるだけ。座っていたはずの身体は妙な浮遊感に包まれる。ちょうど水の上に浮かんでいるような、そんな感覚だ。


 瞳を閉じているはずなのに、真っ暗な視界の奥に小さな蒼い光が見えた。


 だんだんとサクの体がそちらに向かって流れていく。


 あれ……俺、あの部屋で座ってたよな?


 座っていたはずなのに身体が流れていく?


 そんなことを思っていると、サクの視界が一気に開けた。


「ぁ……」


 サクは薄暗い空間に立っていた。


 辺りは霧で包まれていて、よく見えない。手で必死にかき分けてみるがその霧は決して晴れてはくれない。


「トウカさん……!?空希さん!?」


 たった1人残されたサクは誰かを探して駆け出す。


 地面を蹴る乾いた音が虚空へと消え、進んでも進んでも何の景色も変わらない。


 それでも必死に駆けた。何かが変わるまで。


 しかし、そんなサクの思いも虚しく世界は何も変わらない。


 胸に穴が空くような感覚。それにもう立っていられなくなる。


 もう走れなくて、苦しくて。サクはその場に膝をつく。


 その時。サクの目の前に1つの人影が見えた。


「だ…れ……?」


 息も絶え絶えのサクは目の前のその人影に問いかける。


 人影はただサクを見下ろすだけ。だが、サクには不思議な既視感がある気がした。


 何だったか……。忘れてしまったような気が……。


 胸を押さえながら目の前の人影に目を凝らす。けれどその人影は白い霧の向こうへと歩き去ってしまう。


 引き止めようとしても喉が声帯を震わせてくれない。乾いた空気が漏れるだけだ。


 サクは這って進むように影を追いかけて目の前の影に手を伸ばす。死に物狂いで伸ばした手は歩き去るその足を掴まんとした。


 まさにその瞬間。サクの身体が引っ張られるのを感じる。


 先程走った空間が飛ぶように前へと流れていき、サクは激流の中を揉まれるようにして身体を突き飛ばされた。


「うわっ!?」


「お疲れ様でした」


 気がつくと目の前に優しく微笑むトウカの姿。


 さっきと変わらない蒼い光が揺れる1間にサクは戻ってきていた。


 まだ鼓動が早まり、落ち着かない。さっきのあれはなんだった……いや、誰だったのか。


 それよりも、胸が苦しい。いや、痛い。そこにある何かが失われたかのような喪失感に呼吸を荒げる。


「よく、頑張られました」


「はぁ…はぁ……あ、あれは何だったんだ……?」


「あなたの心の核です。随分お辛い経験をなされたのですね」


「辛い……経験……?」


 そんなの、サクには分からなかった。いや、覚えていないのか。


「えぇ、桜の園の生徒さんには多いのです。お辛い体験をさせてしまい申し訳ありません。ですが……」


 そう言ってトウカはそっと壺から手を抜く。それを見てようやくサクも自身の右手に感覚を戻した。


「あ……」


 サクの手に、何か硬いものが握られている。震える手を持ち上げてみるとそれは姿を現した。


 真っ黒でザラザラの表面をした木製の杖。長さは20〜30cmほどで羽のように軽く、重さを感じさせなかった。


 そう、それは紛れもなく杖。


 これがサクの半身。腹の奥から高揚した気持ちが湧き上がって先ほどの不快感はどこかへと消えた。


「それでは、早速……」


 自分の半身に見蕩れていると、トウカがすぐ隣に座っていることに気がつく。彼女は優しくサクの杖に触れた。その時にお香のような香りがサクの鼻をつく。


「素材は真黒檀ですね。表面は荒削りで杖そのものは鉄のように硬い」


「それってどういう意味なんです?」


 杖の特徴を淡々と語るトウカにサクは尋ねる。


 それにいったい何の意味があると言うのだろう。


「杖はあなたの半身。言わばあなたの心の姿と言い換えても差し支えないでしょう」


「じゃあ……俺の心は真っ黒で鉄のようってことですか……」


 トウカの理屈で言うなら、サクの杖は鉄のように硬くて真っ黒。心の冷たい人間だと言われた気がして悲しくなった。


「杖そのものは鳥の羽のように軽やかで、鉄の硬さの中にぬくもりも感じます」


 トウカの白くて細い指がサクの杖をつつく。指が触れる度にコツコツと鉄のような音を立てた。


「一見は荒削りで粗暴な素質も見られますが、その奥には大空のように広い心と、太陽のような暖かさも併せ持たれているのではないでしょうか」


「そ、それはちょっと……」


 トウカからの言葉にサクは言葉を返せなかった。


 トウカは良いように言ってくれるが、それは学校とかでよく聞く「乱暴だけど優しい子」と、先生が子どもをフォローする為の決まり文句のように聞こえた。


「えぇ。あくまで素質というだけでございます」


 お香の香りが離れていく。


 再びトウカはサクの正面に座り直すと、深々と頭を下げた。


「あなた様の旅は、これから始まるのでございます。先程見ていただいた光景は、あくまであなた様の原点。人生という名の旅路の始まりに過ぎません」


「随分……大袈裟に言いますね」


「かもしれません。ですがあなた様が見たそれには必ず何か意味があります」


 意味がある……か。今思い出してもよく分からない。あの白いモヤは?その向こうにいたのは?


 原点と言われても、それが何なのかはっきりしない。


 それはまさに、今のサクそのものを表しているような気もした。


「……よく分かんないけど、分かりました」


 頭を回してみたが、それ以上の言葉は見つからなかった。

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