第8話 桜の園①
サクが自宅の戸を開けると日は西に傾いていた。
紅くなり始めた光が目に染みる。
一瞬、冷静になって振り返ってみるがそこには薄暗い家の廊下があるだけ。それを確認してサクはまた前を向いた。
「待たせたな、サク君」
少しそのまま待っていると晴影がサクの隣へとやって来てサクの顔を伺うように問いかけてきた。
「いいのだな?」
「……いいです」
「そうか」
サクの言葉を聞いた晴影はそう言うと歩き始め、一言「着いてきなさい」とだけ言った。
サクはその背中を追いかける。もう振り返ることはしなかった。
「これから、どこに行くんです?」
半ば勢いで家から飛び出してしまったが、これからサクがどうなるのかはサク自身よく分かっていなかった。
荒れていた感情も少し落ち着いて、冷静になった頭を不安が支配する。
「ほんとに……俺、魔法使いなんですかね」
晴影や晴輝からはそう言われたし、信玄のあの態度を見た限りみんなの言っていることは事実のように感じられる。
しかし、当の本人であるサクにははっきり言ってその自覚というものが微塵もない。
何なら魔法の存在についても正直まだ半信半疑な所がある。
確かに晴影さんはサクの握り拳を止めて見せた。
さらに言えば晴輝のあの紙切れも信玄を出し抜いた。
サクにとっては明らかに通常とは違う……即ち魔法と感じられるものではあった。
それでも、今のサクには確信と呼ばれるものが欲しい。踏ん切りをつけられるような、実感と言ってもいい。
サクの心は支えを失ったかのように無様にも揺れているようだった。
「自覚がないんで。自分が魔法使いなのかってこと」
「間違いない。君は由緒正しい魔法使いの家系だ」
そんなサクの不安に晴影は即答した。
「でもまだ魔法が本当に存在するのかも分かってないっていうか。確かに晴影さんが俺に何かしたのは分かりますけど……」
「そうだな……」
そう言うと、晴影は目を凝らして前方の方を見る。サクも真似して前を向くとそこには1本のひしゃげたカーブミラーが立っていた。
確か、数ヶ月前どこかの不良がバイクを乗り回してあそこにぶつかったとかなんとか。それ以来あのままの状態で放置されてしまっている。
車通りもあまりない細い道なので修理の手が行き届いていないらしい。
「ちょうどいい。晴輝、見せてやりなさい」
「はい」
晴影に言われて晴輝が自身のブレザーを捲る。そこに現れたいくつものポケットの中から何やら複数の紙を引っ張り出した。
それは先ほど晴輝に渡された目のような紋様が描かれた人の形をした和紙のようだった。
「ーーーーーー」
上手く聞き取れないが晴輝がブツブツと何かを呟き始める。
「急急如律令」
そして、最後にそう言い放つと、晴輝の周りを静かに爽やかな風が吹き始めた。
同時に晴輝の手に収まっている和紙もパサパサと音を立てながら揺れ、そして次の瞬間パタタタタッ、と音を立てて晴輝の手から飛び立った。
「え……!?」
人の形をした和紙は螺旋を描きながらカーブミラーへ向かい、ぺたぺたとその哀れにも曲がってしまった支柱に巻き付くようにしてくっ付く。
「な、何を……」
「まぁ、見ててよ」
狼狽えるサクに向かって晴輝はなんでもないように告げる。そして両の手をカーブミラーに向け、それを捻った。
ゴキン、と。無機質な音が辺りに響いたかと思うと不格好な姿をしていたカーブミラーはそこには無い。
ただ凛と、背筋を真っ直ぐに伸ばした立派なカーブミラーがあるだけ。見事折れ曲がる前の姿へと戻っていたのだ。
「これもまた、魔法のひとつ。【陰陽術】の式紙と呼ばれる魔法だ」
目の前で起こった奇跡にサクは目を丸くする。
「人型の和紙に言霊を込めて放つ魔法だよ。今は【
「へ、へぇ……」
晴影と晴輝が説明してくれるが専門用語が多すぎてよく分からなかった。
ただ分かるのは晴輝が何やら紙を飛ばしてあのカーブミラーを元の形に戻して見せたことだけ。
ペタペタとミラーの支柱を撫でてみるが損傷などまるで嘘のように綺麗さっぱり無くなっており、見上げるとそこには寂しげな顔をした少年の姿が映っていた。
「魔法……あるんですね」
「受け入れられたか?」
「まぁ……はい」
手の込んだドッキリ番組でもない限り目の前で起こされた状況を説明は出来ないだろう。
魔法と言うものがこの世にあること。まだ自分が晴輝のように涼しい顔で魔法を扱えるビジョンは見えないがまぁその彼らが言うのなら自分も魔法使いなんだろう。
自分のことなのにまだどこか他人事のように感じていた。
「じゃあ……この後俺はどうなるんです?叔父さんが反対してるのにどうやって魔法学校に入ればいいのか……」
先程のやり取りだって、言わばサクが怒って家を飛び出しただけ。普通学校に通うとなれば手続きや親の承認、その他もろもろ面倒臭いことがありそうだと子どもながらに思う。
そんなことをあの叔父が……しかもあれだけのことをしでかしたサクのためにやってくれるとは思えないし、何より信玄はサクが魔法使いになることに対して反対なのだ。
頑固な信玄がそう易々と折れるはずがなかった。
「いや。それについては問題ない」
サクの懸念を察してか、晴影が緩やかに歩きながら告げる。
「君は【魔法孤児】だからな。そう言った手続きは我々菊の紋で行うことができる」
「【魔法孤児】?」
また出てきた聞きなれない単語にサクは首を傾げる。
「親を亡くした魔法使いの血を引く子どもの事だよ」
そんなサクの隣を歩く晴輝が口を挟む。
「【魔法孤児】は自分の進むべき道を自分で選ぶことができるようになっているんだ。
「例えその保護者が魔法使いになることを反対したとしても、本人が望むのなら我々菊の紋は本人の意思を尊重しその必要な諸々の手続きや費用を肩代わりするという制度があるのだ」
「へぇ……」
色々と難しい言葉を並べる2人に困惑しつつも、要はサクが魔法使いの学校に入ることができるということだけは何となく理解できた。
「随分……太っ腹なんですね」
率直な感想だった。子どもの意思を尊重したり、その為に費用まで工面するなんて。大盤振る舞いも良いとこだと思う。
「魔法使いの権利を守るための法だ。過去に
魔法使いとして目覚めた若者は末恐ろしいものだ、と呟きつつ晴影は告げた。
その辺の事情はよく分からないが、サクにとっては渡りに船。つまり叔父さんの協力を得ずとも魔法使いの学校に行くことができるということである。
安堵する反面、本当にもう引き返せないのだと言うことが改めてサクの心をよぎった。
振り返ってみてももう家は見えない。
「これから、どこに行くんです?」
とは言え、魔法の学校に行くにしても今サクは信玄と決別し飛び出してきてしまった身。
これから自分はどうなってしまうのだろうと言う疑問と不安があった。
「これから向かうのは奈良だ」
「遠いですね……」
ここは兵庫県。電車に揺られて2時間と言ったところ。目的地に着くころには一体何時になっているのだろうと考えるとさらに気が重くなった。
「遠い……ふっ。まぁそう感じるかもしれんな」
何やら含みを持たせた笑みを浮かべながら歩く晴影。
「え?あの……」
そこまで話してふとサクは妙なことに気がついた。
晴影が駅とは真反対、山の方に向かって歩き進めていると言うことだ。
「駅……反対ですけど?」
「問題ない。着いてきたまえ」
暗く沈んでいく街並みを背中にサクは動揺を隠せない。
奈良に行くのに電車を使わないとなると移動手段は車。
どこかに車でも停めているんだろうか。正直知り合って間もない人と長時間車の中で一緒というのは気疲れしてならない。
面倒くさいことになったなぁと思いつつもサクは晴影達の後に続いた。
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