第7話 始まりと終わりの日⑦

 昼を過ぎてやや傾き始めた日差しは古くも立派な旧家の庭に陰を作り、客間もまた薄暗い。


 それが大喧嘩した直後ということもまた重苦しい空気を余計に加速させていた。


「さて、ではサクくん改めて名乗らせてもらおう」


 春に似つかわしくない氷のような空気の中で晴影が最初に口火を切る。


「私は日本魔法連盟、通称【菊の紋】当主、土御門晴影」


「魔法……連盟?」


 聞きなれない単語にサクは晴影の言葉を繰り返してみる。


「そうだ。日本の魔法使いを取り締まる……君の世で言う政府のようなものだ」


 そんなサクに分かりやすいように晴影は解説してくれる。


「突然の事で困惑するかもしれぬが、この世界には魔法と呼ばれる力……そしてそれを行使する魔法使いが存在する」


 突拍子の無い晴影の言葉に普通なら度肝を抜かされるのだろう。もしくは気でも触れているのかと、世迷言だと一蹴されて終わり。


 サクだって今こうして真面目な顔して語る晴影を見てとんでもないことを宣っていると思ってしまった。


「どうだね?これまで魔法と離れて生活してきた君にとって、私の言葉は戯言のように聞こえるか?」


「……不思議と、そこまでは」


 けれど、何故かそれを全くの嘘だとは思えなかった。


 晴影に先程何かをされたからかもしれないが、不思議なことに拒否や拒絶は無い。むしろ、何故か腑に落ちたようにストンと心の中に入ってくるような感覚。


 あぁ、そうだったんだ。感想としてはそれだけだった。


「じゃあ……晴輝も?」


「そうだよ。僕もれっきとした魔法使い。と言ってもまだ駆け出しだからまだまだ精進が必要だけどね」


「いけ好かねぇガキだな。その歳であれだけ高度な【姿隠し】を使えるくせによ」


 晴輝の100点とも言えそうな返答に信玄は舌打ちをしながら呟くように言った。


 大人気ないとか思いつつもサクは信玄の裏をかいた紙切れに目を落とす。


 【姿隠し】


 どうやら晴輝がサクに手渡したこれも、晴影の語る魔法の1つらしい。


 信玄の言葉から察するにその姿隠しは難しい魔法なのだろう。


 魔法と聞いたらファンタジー物語やゲームの世界が頭に浮かぶ。


 真っ赤な炎を操ったり、湖を氷漬けにしたり。もっと、現実離れしたようなド派手なものを想像してしまう。正直なところ、拍子抜けだった。


「何と言うか……もっと凄いのを想像した」


「はっはっは。いやはや、気持ちは分からんでない。実際そのような魔法もある」


 素直な感想を伝えて気を悪くされるかと思ったが、晴影はどこか愉快そうに笑う。


「魔法はなんたるか……まぁそれは今は良い。いずれ君も学ぶことになる」


「晴影。サクに魔法使いの道は進ませねぇぞ」


「黙っていろ信玄。それを決めるのはサクくんだ」


 信玄は殺気だった目で晴影を睨むが晴影は毛ほども気にしていない。


 信玄をいないもののように扱いながらサクの方に声をかけてくる。


「そして、私は同時に【桔梗院】の理事長でもある」


「【桔梗院】?」


 聞きなれない言葉だ。名前から察するにどこかの寺か何かだろうか?


「君が今日卒業した【移人うつろいびと】の学校のように、我ら魔法使いにも魔法使いのための学校があるのだ」


「【移人うつろいびと】?」


 聞いたことのない言葉の連続にサクは困惑する。


 同じ日本語のはずなのにまるで外国語を聞かされているような錯覚を覚えた。これでは話の半分も理解できそうにない。


「【移人うつろいびと】って言うのは魔法を使えない人達のこと。僕らはそう呼んでる。そして僕ら魔法の力を持つ者の事を【常人とこしえびと】って言うんだ」


「へぇ……」


 頭を抱えるサクの疑問を晴輝が補足してくれる。


 晴輝は気が利くというか、心を見透かしてくるというか。


 先程の信玄が驚くような魔法の才能があることを見せつけられたサクは目の前でニコニコと笑う晴輝が少し不気味に見えてしまう。


 そんなサクの心も見透かしているのかよく分からないが、晴輝は桔梗院について詳しく説明してくれた。


 【桔梗院】


 どうやら話をまとめると、魔法使いは中学生に上がる歳で魔法使いのための学校に進学することが決められているらしい。


 そこでは基本的な魔法の知識や、実際の魔法の使い方、魔法の世界のことを詳しく学ぶことになっているそうだ。


「当然魔法使いの家系であるサクくん、君にも桔梗院で学ぶ資格がある。だから私達は君の意思を確認するためにこうして足を運んだというわけだ」


「話は分かったけど……」


 どうやらサクは魔法使いの家系に生まれたらしい。


 両親はサクがまだ物心着く前に事故で死んだと叔父さんから聞いた。


 黒い服に身を包んだ人々の波の中、何も分からなかったサクを抱きしめながら叔父さんが何かを言っていたのを朧気に覚えている。


 両親のことは気にならなかったと言えば嘘になるが、叔父さんもいるし周りも腫れ物に触れるようにその話題を忌避しているのが幼心ながらに分かったので聞かないように生活していた。


 その、亡くなった両親が魔法使いだったと言うのだ。


「俺本当に魔法使いなんですか?これまで魔法とか何とか、不思議なことなんて一度もなかった気がしますけど」


 これまでサクは普通の人と何も変わらない生活を送ってきた。不思議な出来事なども一切なく。


 例えばある日突然物が触れなくても宙を舞ったとか、手から炎が出たとか。不思議な経験があったのなら「あれはそういうことだったのか」と受け止められたかもしれない。


 けれど、今日あった赤の他人から突然「君は魔法使いだ」なんて言われただけ。はっきり言ってピンと来ない。


 それに、両親が魔法使いだなんてこと信玄は一言も言わなかった。


 隣に座る信玄に目を向ける。信玄はあからさまにサクから視線を逸らした。


 その態度にさっき収まったはずの熱がまたぶり返しそうになる。


「それが普通だ」


 怒りが溢れそうなサクの疑問に答えるように晴影は言う。


「魔法の力が行使できるようになるのは丁度君らで言う中学生にあがる頃だ。それに加えて君は今の今まで魔法使いである自覚もなかったからな」


「何で中学にあがったら魔法が使えるようになるんです?」


 胸が抉られるような感覚を飲み込みながらサクは何も言わない信玄ではなく晴影に質問をする。


「詳しいことは桔梗院で学ぶことになるが、まだ自我が未熟だからだよ」


「自我が未熟?」


「魔法とは己が心の輝きを顕現させる力。この世に魔法として顕現させるだけの精神力が培われるのが【移人うつろいびと】の言葉で言う思春期と呼ばれる頃からだ」


 晴影の言う理屈はいまいちよく分からなかったが、要するに中学生になる頃になるまでは魔法が使えないってことらしい。


「だから魔法学校に入学するのは12歳からと決まっている。そして【移人うつろいびと】の学校を卒業した君を迎えに来たのもその為だ」


 だから、彼らはこの時期にサクのもとにやってきたと言うことか。


 中学生に入学する年。それが魔法発現の頃合。それに合わせて魔法を本格的に学ぶ魔法学校への入学。


 全て理にかなっていると感じた。


 だからこそ、サクは晴影と晴輝の話を素直に受け止めることができたのかもしれない。


 話をまとめるとサクが魔法使いで、魔法学校へ入学するかしないか問うために晴影さんと晴輝がやってきた……ということ。状況はしっかりと把握できたし自分でも驚くほど受け入れることができている。


 だが、1つ重要な問題が残っていた。


「何で言ってくれなかったんだよ、伯父さん」


 こっちを見ようとしない信玄に対して苛立ちを隠すこともなく言葉をぶつける。


 これまでの様子を見る限り信玄は知っていたのだろう。


 これはサクの人生にとって大きな転機。文字通りこれから先の人生を大きく左右する運命の選択だ。


 なのに何故そんな大切なことを話してくれなかったのか。


 納得のいく説明が欲しかった。何か理由があってそうしたのだと。それならこのふつふつとした気持ちも収まってくれるかもしれない。


「サク、これまでお前は魔法使いとは違う……【移人うつろいびと】の世界で生きてきたな」


 だが、信玄の言葉はサクの想いを裏切るものだった。

 


「だったら……もういいだろ?そんな魔法の世界なんてもん」



 もう……いいだろ?


 サクの視界がグラりと揺れる。右も左も分からなくなるサクになおも信玄は続けた。

 

「お前は魔法とは無縁の世界で生きていけ。魔法使いになんざなる必要はない」


「信玄!」


「うるせぇ。晴影は黙ってろ」


 先程までとは違って静かに燃えるような圧を飛ばして信玄は晴影を睨む。


 そんな信玄の姿に晴影は言っても聞かないと理解し黙った。


「サクが魔法の道に進むことは許さねぇ。必要がねぇ。それで今まで生きてこれたんだ、それでいいだろう?」


 それでいいだって……?


 そんな……そんな軽い言葉で済まされるのか。


 信玄はサクのことをそんな風に思っているのか。それ程までにどうでもいいと思われていたのか。


 そりゃ、確かに居候の身だよ。だけど……それでも。何か特別な絆が2人にはあると思っていた。


 それこそ、家族と呼べる存在があるのなら、きっとそれは信玄なのだと。そう思って生きてきた。


 信玄のその言葉は、そんなサクの想いを裏切るものだと思った。


「それでいいって、そんな簡単な言葉で片付けるなよ!俺は……」


「そもそも、魔法とは無縁の生活を送ってきたお前が魔法使いの奴らとやっていけるはずがねぇだろうが」


 サクの異議を信玄は上から押さえつける。


 信玄の言葉にサクは痛いところをつかれたと思い、次の言葉を見失う。


「ただでさえお前は周りと馴染めなかったんだ。お前がよく知る【移人うつろいびと】の世界でもな。そんなお前が未知の世界に飛び込んでみろ、すぐ孤立するぞ」


「そ、そんなもんやってみないと分かんないだろ!?」


 反抗心からサクは信玄に言い返す。だが、その反論にサクの気持ちはこもっていないような気がした。


 魔法使いではない世界で、はっきり言ってサクは上手くやれていなかったと思う。


 別に孤立していたわけではないが、それでも生きにくさを感じていたのは事実。


 その魔法使いの世界に飛び込んだとして果たしてうまくやっていけるのだろうか。


 今、初めて魔法使いの話をされたサクにとって魔法なんて夢物語。きっと分からないことだらけだろう。


 余計に居場所がなくなって、虚しさが増すだけなのかもしれない。


 だから、信玄の言う通りこのまま現状維持して生きていくという道もあるのかもしれない。


 だが、それはあくまで可能性の話。


 逆かもしれない。魔法使いの血が、魔法使いじゃない人……【移人うつろいびと】と言うらしいが、その人達と過ごすことに違和感を覚えさせていたのかもしれない。


 魔法使いの世界常人とこしえびととして生きていく方が上手く行く可能性だってある。


 実際の所は誰にも、サク自身にすら分からないのだ。


「でも俺のことだ!どっちの道を選ぶかは俺が決める!叔父さんが決めることじゃない!」


 だが、あくまでこれはサクの人生。サクが自分で決めることであるべきだ。


 大事なのは結果よりもサク自身で決めることだと、そう思う。


 全てをひた隠しにされて、勝手に自分の生きる道を決められることは嫌だった。


 それぐらい、分かってくれよと心の底で叫ぶ。


「だまれ!この10年誰がお前の面倒見てきてやったと思ってる!?」


 だが、信玄も譲らない。サクの想いに反して信玄は怒声を返してきた。


 そしてそれがサクと信玄の第2ラウンド開始の合図となった。


「それは別の話だろ!?そりゃ確かにここまで育ててくれたのは感謝してるけど、それをここで引き合いに出すのは違うだろ!?」


 互いが互いに火を付け合って、厳しい言葉をぶつけ合う。


「さ、サク君、ちょっと落ち着いて……」


「落ち着いていられるか!こんなもん、納得できやしねぇよ!!」


 隣で晴輝がサクの手を引っ張って何か言う。そんな晴輝の手を振り払いながらサクはなおも続ける。


「俺は叔父さんの操り人形じゃない!」


「だが、俺が拾ってやったガキだ!」


「拾ってくれって頼んだのかよ!?」


「拾わなきゃお前はどうなってたんだ!」


 思い出されるのは過去の情景。


 黒の喪服が乱列し、立ち尽くすだけのサクをいないもののようにして流れていく大人。


 それを想起しながら、何故かサクの目からは涙が溢れていた。その張り裂けそうなその気持ちが何なのか、サクには理解できなかった。


「恩着せがましいな!あんたに拾われたからって俺はあんたの思い通りに生きる必要なんかないだろ!?」


「んだと!?俺はお前が魔法なんざに関わっても碌なことにならねぇ!お前のために言ってやってんだ!言うこと聞け!!」


 それでも折れない頑固者の叔父。


 本心じゃなかったと思う。言ったことを後から死ぬほど後悔もした。


 きっと、サクにとって人生で1番の失敗。


 言ってはならないことだったと、それを理解できるのはもっと先の話。


 だが、サクは止めなかった。止められなかった。どうしようも無かった。


 激情のまま、触れてはいけない禁断の言葉を叔父に叩きつけた。

 



「俺の本当の親でもないくせに!こんな時だけ親ヅラすんなよ!!」


 


「……っ!!」



 

 バシンッ!!!


 


 サクの視界が激しく揺れ、遅れて頬に張り裂けん程の痛みが走る。


 信玄が、サクの頬を引っぱたいたのだ。


 じわり、と鉄の味が広がる。口の中が裂けたらしい。それと同時に悔しさか、惨めさか……あるいは怒りと失望だったのかもしれない。


 ヘドロのような感情がサクを支配した。


「信玄……!」


 破裂音の後に訪れる氷の沈黙を、晴影さんの言葉が切る。

 

「……」


「……」


 サクは熱を持った頬を抑えながら、滲む視界で信玄を睨んだ。


 信玄がどんな顔をしているのかすら、分からなかった。


 もう、どうでもよくなった。


 いや、何かが吹っ切れたような気がした。


「……決めたよ、晴影さん」


 もう引き返せない。収まりを知らない感情が溢れ、サクの激情を後押しする。


「俺が行きたいって言えば……魔法学校に行けるんですよね?」


「サクくん……」


「やめろサク!!お前に魔法使いの道は進ませや……」


 焦ったように肩を掴もうとする信玄の手を荒々しく払い除けながら、サクはサクよりも高い場所にある信玄の顔を睨みつけながら言い捨てた。




「あんたの思い通りになんかしてやるもんか!俺は魔法使いの学校に行く!魔法使いになってやる!!」




 ドロドロの胸のつっかえに顔を歪ませ、サクは止めることができなかった。


 涙で滲む視界はまるでモヤがかかったようで、晴影や晴輝、目の前にある信玄の顔ですら見えない。


「見てろ!!絶対に魔法学校で上手くやってやる!!1人前の魔法使いになってあんたを見返してやる!!」


 先程までの悩みは消し飛び、怒りに振り回されるような形でサクは決断した。


 信玄がサクに魔法使いになって欲しくないのなら、むしろなってやる。サクなりの反抗だった。


 うまくいかない、魔法使いになることを拒む信玄に対する最大の仕返し。それはきっとサクが魔法使いの学校に通い、魔法使いになること。


「………………」


 サクの宣戦布告を聞いて、信玄は何も言わなかった。


 どんな顔をしているのかすら分からない。


 ただ、そんな信玄をサクは卑怯だと思った。



 こうしてサクの新たな人生は、吐き戻すかのような胸くそ悪い感情と、割れるような頭の痛みからはじまった。

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