第6話 始まりと終わりの日⑥
暗く冷えた廊下を進み、サクと晴輝はそっと信玄と晴影が話し込む部屋の襖を廊下の陰から覗き込んでいた。
襖からは部屋から漏れた光が1本の光の筋を作っている。
結論から言って、サクは驚いていた。
いつもなら、ここまで来たら信玄が「何してんだ!」と飛び出してはサクを追い払うのが通例。
なのに、今日に限ってはそれがないのだ。
信玄にバレずにここまで来たのは初めて。記録更新だ。
「よし、それじゃここからが本番だね」
晴輝がサクに耳打ちをしてくる。彼の清涼な匂いを感じながらサクはゴクリと息を呑んだ。
まさか、本当にバレないだなんて。正直実現しないと思っていたから心の準備ができていなかった。
バレないかと言う緊張と、何を話しているのかと言う興味。2つの感情でサクの手が震える。
「くれぐれも、その紙を離しちゃダメだよ。それがないときっとすぐにバレるからさ」
「…………」
胡散臭いが、どうやら晴輝の言う通りこれのお陰らしい。
半信半疑だが、事実としてここまで来ることができているのだから、晴輝の言うことは本当だったのかもしれない。
忍び寄ることができるだけで驚きなうちの叔父も常人離れした人間と言えなくもないが。
足を上げずに、するようにしてサクは信玄のいる部屋の方へと進む。古い家だから普通に歩けばギシギシと木が軋む音がしてしまう。
古びた木の床がザラザラと足の裏で擦れる。
後ろに目を向けると晴輝もサクの真似をして足を擦っているのが見えた。
「……か…ん、…………に……を」
「う……ぇ!サ…………らみ……な………………るか」
やがて、襖の向こうから先ほどのように言い争う信玄と晴影の声が聞こえ始める。
まだ彼らがなんの話をしているのかは分からない。だが心なしかサクの名前が出ているような気がする。
まさか……本当に何か俺の事で話をしているのか?
気がつけば、手のひらにジワリと汗が滲んでいる。緊張しているのか。
早まる心臓を抑えるようにしてサクはまた一歩、また一歩と進む。
「それ……める……サ……だ!……じゃ……」
「だま……ろ!サク…………目……わせ………か!」
徐々にはっきりとしてくる2人の声。はっきりとサクの名前が出ていることが確認できた。
気がつけば、もうバレることすらも忘れて無心にサクは光溢れる襖へと足を進ませる。
後ろで晴輝が何かを言っている気がするが、そんなのも気にならない。
もう、手を伸ばせばそこに部屋へ繋がる襖があった。
そして、そこでサクは確かに聞いた。
「サクくんは魔法使いだ!それを隠して生きるのはもう限界だろう!?いい加減、彼を彼らしく生かしてやれ!」
「だまれ!サクに魔法使いの道は歩ませるか!そんなこと知らねぇ方があいつは幸せなんだよ!!」
サクの時間が止まる。
魔法…使い……?
普通、こんなこと聞いたらどう思うんだろう?
「ありえない」「何かの冗談だ」。そう思うと思う。さっきまでのサクもそうだ。
頭ではこう思う。何を意味がわからないを言っているのか、と。
けれど、サクの胸が。心の奥が。そして魂が。
その瞬間、確かに熱く熱を持ち始めたのを感じる。
隠そうとしても隠しきれない何かが身体の中で暴れているような気がした。
「もう、真実を伝えてやれ!これ以上は酷だ。魔法使いとして生きるか、元の生活で生きるか。決めるのは我々ではない、そうだろう?」
「あいつはまだまだガキなんだ!あいつにそんな事を決めさせる必要はねぇ!俺が必要ないと言うんだからいらねぇ!」
「……っ」
サクの中で生まれた熱が、今度は別の意味で熱くなるのを感じた。
俺が……ガキだから?決めさせる必要は無い?
「違うだろう!?彼はもう立派な12歳。これから本格的に魔法の才に目覚める年頃だ。そろそろ自分と
「気付きやしねぇよ、お前らが来なけりゃな!だからとっとと帰れ!」
なんだよ……なんなんだよ。それ。
「あ……ちょっと待ってサクくん……」
晴輝の言葉なんて、今のサクには聞こえやしない。耳が、全神経が。すべての細胞がこの1枚の板の向こうで繰り広げられるやり取りに集中していた。
一言一句たりとも聞き逃してなるものか、と。はち切れそうな何かを抑えながらサクはグッと拳を握る。
「相変わらず貴様は頑固な奴だな!サク君が真実を知った上で魔法とは無縁の生活を望むのなら我々もここまでせん!信玄、お前が真実を隠そうとするから多少強硬な手にも出ねばならん!分からぬか!?」
「分かんねぇな!あいつは自分のことだってまだ知らねぇガキなんだから!」
サクは限界だった。
これ以上、聞いていられなかった。
「どういう事だよ!叔父さん!!」
気がついた時、サクは襖の隙間に手を差し込んで惜しみなく力一杯にこじ開けていた。
「サク……!?」
いつも動じない信玄がこの瞬間だけ明らかに動揺したような顔をしている。
一方の晴影の方は腕を組んだままの体勢で微動だにしない。
「な、何でお前がそこに……!?」
サクがここに現れたことに信玄は驚きを隠せないようだ。
時間にして僅か数秒だっただろう。
弾かれたように立ち上がるとサクの手の中の和紙を奪い取った。
「……っ。まさか、【姿隠し】の霊符か!?」
姿隠しの霊符。
聞きなれない文言に一瞬だけサクの思考が逸れたが、すぐに先程までの熱がぶり返す。
「……そうだ。よくやってくれた、晴輝」
「いえ。僕もサク君と話せて楽しかったです」
ふと気がつくと、サクの後ろにいたはずの晴輝がサクの真横に立っていた。
いつの間に、と思ったがそんなことはどうでもいい。今肝心なのは信玄のことだ。
「意味が分かんねぇ。俺が魔法使いって何だよ!」
「お、お前には関係の無い話だ!口を挟むな!」
狼狽える叔父に、サクは一歩も引かない。
何かを隠している。10年一緒に暮らしてきたサクにはハッキリとそれが理解出来た。
「関係の無い話……!?俺のことだろ!」
だからこそ、許せなかった。
確かに晴影はサクのことを魔法使いと言った。
だったら、むしろ話の中心にいるのはサクであるはず。なのに信玄はしきりにサクをこの話題から遠ざけようとしているように見えた。
信玄の態度がサクをイラつかせる。
その苛立ちが一体何なのか、サク自身にもよく分からなかった。
「どういうことだよ!?その俺が魔法使いって言うのが俺のこの気持ちと関係があるのかよ!?」
ただ荒ぶる感情のままに信玄にサクは言葉をぶつける。
「関係ねぇ!これは大人の話だ!ガキのお前が口を挟む話じゃねぇ!!」
「俺はもうガキじゃねぇ!もう中学生だろ!」
「なおさらガキだろうが!いいから黙って部屋に戻ってろ!!」
信玄の言葉にサクの中で何かが吹っ切れる。
何だよ……そんなに俺の事をガキ扱いして。俺の事を一体なんだと思ってる!?
思わずサクは拳を強く握りしめて、信玄に向かって飛びかかっていた。
硬く硬く握られたそれを、激情のまま信玄の左頬へと振りかぶる。
力いっぱいに信玄を殴り飛ばしてやろうと、生まれて初めてそう思った。
「【
「……っ!?」
その時、薄暗い部屋の中に1つの白い閃光が飛ぶ。
何か晴影の手の先から放たれたのが横目で見えた。
それはサクの右手へと着弾し、弾ける。同時にサクの腕が硬い握りこぶしのまま、何かに掴まれたように動かなくなってしまった。
「な、なんだよこれ!?」
動かなくなった自身の右腕を引っ張りながらサクは暴れる。けれど右腕はまるでその空間に縫い付けられたようにぴくりとも動かない。
身体いっぱいに引っ張っても、何ならその右手にぶら下がってみても。信玄に向けられた怒りの象徴はそのままの姿でそこに釘付けだ。
「サクくん。気持ちは分かるが少し落ち着きたまえ」
体を捻るサクに向けて晴影が声をかける。それは森のような静けさと深さを感じさせた。
同時にこれだけサクと信玄が争っているのに全く動揺していない晴影の姿にサクは不気味さを覚えた。
「君は、魔法とは無縁の生活を送ってきた。だから突然言われても困惑するかもしれない。だが私が今から口にすることは全て真実だ」
「おい!晴影てめぇ……」
「もう諦めろ、信玄。ここまでしたのだ。もう今更隠すことなどできはせんよ」
「……くそ」
また何か怒鳴ろうとする信玄だったが、晴影の言葉はもっともで、今更何を誤魔化されようとサクは納得なんてしない。
今何が起こっているのか。信玄がサクにこれまで隠してきたことは何なのか。
そして、先ほどから何度も出てくる魔法と、今のこの右腕……それが一体何なのか。
話してもらわなければ納得など出来はしない。
「もう戻れないことになる。それでも君に、聞く意思はあるか?」
晴影にそう問いかけられる。
怖さはあった。得体の知れない底なし沼へと足を踏み入れてしまうような。
入ったら最後。もう戻っては来れない。これまでのくだらなくてどこにも熱のない、言わば平穏な日常には帰ってこれない。そう感じた。
「………………」
でも、信玄が何かを隠していたとしたら。それを知らずにこんな不完全燃焼な人生を送ることに何の意味があるのだろう。
こんな何にも関心が持てない虚しさを抱えて生きていく。それでいいのか?
何を持って信玄がサクに黙っていたのかは分からない。分かろうとも思わない。
ふざけるな。
俺はもう中学生だ。
自分のことぐらい自分で決められる。勝手に子ども扱いして、遠ざける信玄の姿に失望した。
だったら、いいよ。叔父さんが隠すと言うのなら、自分で飛び込んでやる。俺を見下している叔父さんの思い通りになってたまるか。
真実を知りたいという気持ち半分と、信玄への反抗心。
その2つの気持ちに後押しされて、サクは頷いた。
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