第5話 始まりと終わりの日⑤
信玄と晴影は1階の客間で何やら話をしているようだ。
お茶を持って行こうとしたが、信玄に止められた。仕方ないので晴輝を連れて2階の自分の部屋にいた。
どうやらサクには聞かれたくない内容の話らしい。多少気にはなるが別にいい。
いつもと変わらない南向きの日当たりがいい一室。ここはサクの自室だ。昼の日差しに照らされて今は明かりをつけなくても良さそうだった。
晴輝は部屋に入るなり、そんなに種類のない少し前に流行ったマンガを開いては感心したようにページをめくっている。
一昔前のマンガだが、好きだったのだろうかと思う。ちなみにサクはそこまで面白いとは思えなかった。一度読んでそのままだ。
しかし、晴輝が呟いた言葉はサクの想像を裏切るものだった。
「わぁ……すごいね。これがマンガかぁ」
「何?マンガを知らないのか?」
「うん。噂には聞いてたけど……いやぁ面白いなぁ」
「嘘だ……」
今どき、マンガを知らない?そんな馬鹿な。
でも、晴輝の反応を見る限り嘘をついている素振りは無い。本当に無邪気な子どものように目を輝かせながらページをめくっている。
御曹司だから、こんな庶民的なものに疎いんだろうか。御曹司ってやつも色々と大変なんだろうなんて思いながらサクは晴輝のことを観察してみる。
皺ひとつなく綺麗にアイロンがけされた真っ白なワイシャツに黒のズボン。その上からブレザーのような上着を羽織っている。まるで大人の正装のようだ。
サクが死ぬほど嫌なお堅い服装なのに、晴輝は少しも嫌そうにしていない。慣れているんだろう。
まさに完璧と言う言葉がよく似合う子だ。いい子、賢い子。あらゆる賛辞の言葉が彼にふさわしい、彼のためにあるのではないかと錯覚した。
土御門晴輝。
どこかの大企業の息子か。でも、土御門なんて苗字聞いたこともない。
何者なんだろうと1人思案してみるが答えなんて出て来はしない。
ふと、晴輝の腰に目が留まる。腰に何やら細長いポーチのようなものがぶら下げられていたのだ。リコーダーでも入っていたらしっくりくるような入れ物。一体何が入っているのだろうか。
「……ねぇ、サクくん」
そんな風に無遠慮に観察していると、ふと晴輝がサクの方に目を向ける。
「な、何?」
しまった。ジロジロと見過ぎたか。
咄嗟に視線を窓の外に移しながらサクは何もなかったように取り繕いながら答える。
窓の外はさっきまでの晴空が少し曇っているようだった。
「君はこれを見たことがある?」
そんなサクのことには触れずに晴輝はゴソゴソと彼の腰にかかったポーチの中から中身をそっと引っ張り出す。
ポーチの中身が気になっていたサクは興味にひかれて逸らしていた視線を晴輝の方に戻す。わざわざあんな入れ物まで用意してある御曹司の持ち物。
一体、何が出てくるんだろうとらサクはポーチから現れたそれに目をやる。
けれど、中から現れたそれはサクの期待を裏切る物だった。
「……………………棒?」
一言で言えばただの木の棒だった。
長さは20センチぐらい。色は木の皮を剥いでそのまま削ったような色。
まるでヤスリで磨き上げられたようにツルツルで光沢を持った得体の知れない棒。何の木だろう?……いや、別になんでもいいか。
もっと特別なものがでてくると期待していたサクは少しガッカリしてしまった。
「棒……まぁ、そういう反応になるよね」
何かに1人納得しながら晴輝はそれを手渡してきた。不思議とそれに拒否感はなく素直に受け取ってみる。
「何に使うんだ?これ」
手にとってみると不思議な重厚感を覚えるそれを観察しながらサクは晴輝に問いかける。
先の方に行けば行くほど細くなって、反対側は何やら持って扱いやすいような持ち手がある。指揮棒か何かだろうか。
晴輝の趣味……なんてことも頭によぎる。
「見たことはない?あと他に気になることとか……」
「気になることって言われても……」
見たことはない。気になることと言われて気がついたことと言えば……。
「妙に……重く感じるな」
見たところただの棒切れなのに、ずっしりと手にくるような重さを感じる。
いや、実際はそう重みのあるものではない。振ってみた感じは軽く羽のようだ。けれど確かに感じるこの感覚は何なのだろうか。
「そっかそっか。やっぱりそうなんだ」
腑に落ちないサクとは対照的に1人で納得したように晴輝は笑う。
その態度が癪に触りながら、サクはその棒切れを雑に晴輝に返した。
「じゃあ、どうして僕らがここに来たのかとか……そんなのは一切聞いてないんだ」
「逆に来るって言ってたのか?」
「父さんは言ってたらしいよ。それも何回も何回も」
思い返してみれば暗い廊下の中。時代遅れの黒電話の前で険しい顔をしている信玄の姿をたまに見かけていたことがあった気がする。
しつこい勧誘だとかなんとか言ってたが、あれはもしかすると晴影の電話だったのかもしれない。
「一体何の話なんだ?言っとくけどあの頑固親父は絶対に言うことを聞かないぞ?」
ガチガチの鉄よりも堅い頑固な叔父の姿を思い返しながら晴輝に言ってみる。
信玄は自分の意思を曲げたりしない。それはこの10年サクが一番傍で見てきたのだから間違いない。
見たところ晴影は信玄に何かを言いに来たようだが、はっきり言ってそれはうまくいくとは思えない。
何時間もの口論を経て、やがて晴影が肩を落として諦めることになるだろう。何を言われようと、どんな条件を与えられようと自身の考えは曲げない。
それがサクの叔父、宗方信玄である。
「ははは。それはうちのお父さんも一緒だよ、だからこうきてここに来たわけだし」
しかし、晴輝もまたそう言って笑う。彼もまた頑固なのだろうか。
そう言われれば何度断られても折れずに最終的にここまで乗り込んできた晴影というあの男も相当なものなのかもしれない。
「……じゃあ、何でお前はここに来たんだ?うちの叔父さんに泣き落としだとか子どもの不意打ちなんて効かないぞ?」
そうなると気になるのは晴輝の存在。なぜ彼はここに来たのだろう。考えられるのは晴影の目的を達成するために何か一役買って出るつもりだったとか?
だが、子どもの意見なんてきっと聞かない。むしろ、煩わしいと一蹴されてしまうだろう。
「僕?僕は君に会いたくて来たんだよ」
「俺に?何で?」
晴輝から出た予想外の言葉にサクは思わず目を見開く。
「父さんから君の話を聞いて、会ってみたくなったんだ」
「俺はそんな御曹司に好かれるような人間じゃないぞ?」
「御曹司?それ僕のこと?」
しまった。つい本音が。
やってしまったと思わず口を塞いだサクのことを晴輝は咎めるもなくただ変わらない調子で続けた。
「別に僕は御曹司なんてものじゃないけど……まぁ、君と同じだよ」
「同じ?」
こんな完璧な存在の晴輝とサクが同じ?馬鹿げている。
きっと晴輝は分かっていない。この短い間過ごしただけで分かる。
晴輝は万人受けするような人間。いざクラスに現れれば誰も彼を放ってはおかない。クラスの中心になってみんなを引っ張っていくような存在だ。
一方のサクはそんな人気者とは違う。クラスに居てもいなくても変わらない。クラス行事の活動に参加すると「嫌ならやめれば?」と少々気難しい女子に悪態をつかれるような、そんな存在。
料理で例えるなら晴輝がステーキで、サクはポテト……いや、ポテトですらおこがましい。せいぜい付け合わせの申し訳程度の野菜みたいなものだろう。
「そうだね……多分今お父さん達もその話をしてると思うんだけど」
自虐的な思考を巡らせていると晴輝が少し考えるように天井を見上げている。サクもそれにつられて同じように天井を見上げてみた。
そこには変わり映えのない、毎晩見上げている黒ずんだ天井があるだけだ。
「君はさ。今のその生活をどう思ってるの?」
「どう……って」
視線を戻すと、サクの方をじっと見つめる晴輝の目があった。
真っ黒な瞳がサクの困惑した顔を映している。
「今の生活は、楽しい?充実してる?」
どこか丸山教頭みたいなことを告げる晴輝にサクはドキリとした。
丸山教頭に言われた時はただ聞き流すだけだったその問いかけ。それがどういうことか目の前の晴輝に言われると何かが違うような気がした。
胸の奥から何かが飛び出そうとしてくるような、そんな不思議な感覚に陥る。
「……充実は、してない」
その言葉に嘘偽りはない。
何せ、何をやっても無力感を感じる。さっきの卒業式でそれをまた突きつけられたばかりだから。
「君は、君らしく生きることができてる?」
「何なんだよ、それは」
「いいから、聞かせて欲しいんだ」
まるで何かの哲学者みたいなことを言う晴輝。
けれど、彼のまっすぐな瞳に導かれてサクの心の奥底に沈む気持ちが掻き回されるようにゆらゆらと揺れる。
これまで揺れたことなどない心が湧き上がるような感覚を覚えた。
自分らしく生きる。
口にしてみれば簡単なこと。自分が思うがままに生きていくこと。
一見簡単そうに聞こえるけれど、サクにはどうしてもそれが脆く儚い幻想のように思えてしまう。
世界平和。戦争のない世界。
誰もが理想として掲げて足掻いても、決して実現しないユートピア。サクにとって晴輝の言うそれはそれと同じものだった。
「俺らしくって、何だろうな。疎外感……ていうのか。俺がここにいていいんだろうって気持ちはいっつもだ」
でも、そう言うものなんじゃないか。
誰しもが自分らしさを求めて足掻いている。でも実現しない。
きっとそう思っているのはサクだけじゃないはずだ。
そうしてみんな何となく生きているんじゃないか。少なくともサクはそうだ。
もしかすると、他の人達もそうであってほしいという希望が混じっているのかもしれない。
「そりゃ、そう言うものかもしれないけどさ。君の場合は少し事情が違うかもしれないよ」
「事情が違う?」
事情が違うとは一体どう言うことか。
「そう。えっと……」
晴輝はそう言うとブレザーの胸ポケットの中に手を突っ込む。
よく見ると彼のブレザーの内側には普通よりも多く内ポケットが縫い付けられており、そのすべてに何やら怪しげな紙切れや木でできた古ぼけた何かが顔を覗かせていることに気がついた。
そう言えば、部屋に入ってからも彼は一切ブレザーを脱ごうとしなかった。これが理由だったんだろうか?
「はい、これ」
なんて事を思っているとサクの目の前に1枚の紙切れが差し出された。
「何だこれ?」
長方形の白い和紙のようなそれには何やら赤い染料で見たことのない紋様やら古い日本語……いや、中国語か?
とにかくよく分からないことがびっしりと書かれている。
「確かめに行こう。君の叔父さんが何を隠していて、君が何者なのか」
「隠してる?まさか、叔父さんは別に隠し事をするような人じゃ……」
そう口をついてみるが、冷静に考えれば叔父は隠し事ばかりだ。決して庇えないじゃないか。
言葉の先を紡げないでいるサクの顔を見て、晴輝は拍子抜けしたような顔をして、そして楽しそうに声を上げて笑った。
不思議とそんな晴輝に嫌な気はしなかった。
「どうだろうね。それを確かめにいくんだよ。君がどこの誰で、何者なのかってことをね」
「俺が何者なのか……?」
別に、自分がどこの誰でもいいだろうに。ましてやどこかの王子だか勇者だとか、そんなことはありえないことはサクが1番わかっている。
夢がない……と思われるかもしれないが、もう中学生なのだからこれが普通。現実を見る年頃だ。
馬鹿らしいと思うサクに晴輝は続ける。
「うん。僕の父さんと君の叔父さんの話を聞けば、全て分かるはずだから」
「それは……無理だと思う」
自信満々に告げる晴輝には悪いが、盗み聞きなんてできるはずがないという悪い自信があった。
信玄はどう言うわけか異常に勘が鋭く、かくれんぼをしても家を忍び出ようとしても、全てことごとく失敗に終わってきた。
なんなら、こんな広い旧家。サクがどこにいるかなんてわかるはずもないだろうに用事がある時はいとも簡単にサクの居場所を見つけてみせるほど。
まるで家中に目がついているんじゃないかと、そう錯覚するほどだった。
「大丈夫。そのためのそれなんだから」
そんなサクの心配をよそに晴輝はその紙を指差して笑う。
手元の紙を見下ろす。描かれた目玉のような紋様がじっとサクのことを睨んでいるようで少し頭が痛くなるのを感じた。
お気楽なものだ。これがバレても後で冠を食らうのはサクだけなのだから。
「気が乗らないな」
「でも、気になるんでしょ?」
「……」
気にならないと言うと、正直嘘になる。
この、なんとも言えない無力感。この疎外感の正体が分かるかもしれない。
いつ頃からか支配されるようになった虚しさが払拭できるのなら。もっと自分が堂々と生きていけるというのなら。
世の中の怪しげな詐欺まがいの宗教団体に乗せられる人の気持ちはこんなものなのだろうか?
「騙されたと思って……さ。やってみようよ」
「…………」
この言い草、ほんとに詐欺師みたいだな。
「……分かった。やる、やるよ」
少し思案した後、サクはため息をつきながら首を縦に振る。
どうせ、晴輝のイタズラだ。御曹司の戯れというやつだろう。サクを小馬鹿にして楽しんでいるに違いない。
だったら、最後に晴輝も巻き込んでやろう。
何の話をしているのか分からないけれど、あの切り詰めた空気はそう軽い世間話をするような状況ではないだろう。
そんなところに2人でこんなわけの分からない紙を握りしめて乗り込んで。晴輝だってあの晴影に怒られるに違いない。
例え騙されたとしても、そうなるなら別にいいと思った。
それにあの叔父がサクにそれほど深刻な隠し事をしているとも思えない。少なくとも信玄はサクのことに関して何だかんだと言いながら卒業式にだって来てくれるし、参観日だって来てくれていた。
その度に丸山教頭と一波乱あったが、少なくとも家族として受け入れてくれているのだとそう思っている。
今回のこの件もきっとやれ叔父が無礼を働いたとかそんな話だろう。それだったらなおのこと叔父に1つ文句を言ってやらなければならないし。
「それじゃ、行こうか」
足が重いサクを手招きしながら晴輝は静かに襖を開けて忍足で暗い廊下へと出ていく。
それに続きながら、サクも静かに晴輝の背中を追いかけた。
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