3.ホワイト・タイガー・グリズリー

 一行はコータイの村を出て、レインの先導のもと氷原をザクザクと進む。進む先に何があるか、レインは語らない。誰かが聞いても、見てからのお楽しみと、はぐらかすのだ。海獣の子供たちは嬉々としていた。

 ガロは道中教えてくれた。こういったレクリエーションはよくあるのだとか。何もない村では子供たちは退屈してしまう。また、狩りや採取に行けないとしても、やがて大人になるのだから村の外の常識について学ぶ必要がある。そのための予行演習として、危険の及ばない範囲で子供たちを外に連れ出すのだ。


 やがて一行は針葉樹林の一角にたどり着いた。


「さあ、みんな探し物はこの辺りだよ。探してみよう!」


 レインは子供たちに、にこやかに促した。子供たちは顔を見合わせ、蜘蛛の子を散らすように駆け出した。ある者は木の上に駆け登り、ある者は落ちている岩をひっくり返し、反応は様々であった。普通の人間ではないだけあって、その運動量は子供とは言え、とてつもない。

 保護者的立場のバルカはさすがだった。危険がありそうなら、その体躯からは想像し難い身のこなしで、あっという間に子供の首根っこを掴み上げ、優しく諭す。

 ガロも目線の配り方、体の動き方から、バルカの目が届かない部分のフォローに徹しているようである。その息の合い方に俺は感心した。


『なかなかの連携ぶりだの。バルカとお主は付き合いが深いのか』

『ええ。こうして子供たちが駆け回っているのを見ると、昔の私とバルカを見るようです。バルカはいつだって私の上を行きます。兄貴みたいなものですね』


「あれ? こんなところに洞穴があるぞ!」


 ある子供が叫ぶ。ラチャートゥスを一緒に食べたハーコート少年であった。レインはハーコートに向かって飛んでいき、嬉しそうにくるりと舞った。


「よく見つけたね! 探し物はここにあるよ! でも洞穴はどうやって探検すればいいのかな?」

「ええ、どうするんだっけ」

「まずは明かりだろ」どこからか別の子供が答える。

「そうだ、松明を作ろう。みんな、手伝って!」


 種火を作るために石を積んでかまどを作る者、燃えそうな枯れ枝や樹皮を集める者、芯とするのにちょうど良い棒を集める者、それぞれに分かれて松明作りが始まった。なるほど、こうやって子供たちを外に慣れさせていくのだな。


 しばらくして、松明、かまどの準備が整った。火は火打ち石で起こすようだ。


『ガロよ。この世界では火を魔法で付けるとか、そういうことはないのか』

『まほうとは何ですか?』

『火打ち石などに頼らなくとも、念じると火が生じるとか、何もないところから水を出すとかだな。……もしや、知らぬのか』

『スキルにならもしかすると、そういうものはあるかもしれませんが、私は存じ上げません。アスタ様の世界ではそのような概念があるということですか』

『いや、我のいた世界でも魔法は空想上の概念でしかなかった。しかし、我のスキルにより、この世界には魔法が存在しているという示唆があったのだ』

『そうなのですね! ちなみに私は――』

『お主にはそういった才はない』

『そんな……』


 感覚共有により、ガロの落胆がありありと伝わった。本当に面白いやつだ。しかし、魔力ステータス、魔法の類を知らないということは、この世界の住人はスキルを得ているといえど、自分の能力を正確に把握する術がないのであろう。スキルは無意識のうちに発動され、なんとなく自分のスキルを把握するという、その程度の認識しかないように思われる。とすれば、俺の【星の記憶】により、本人の知らない才能を教えることができるだろう。

 ぜひとも指導してみたいのは氷精族のレインだ。高い魔力、そして【魔力操作】スキルの所持。魔法が使えるようになるかもしれない。


 種火の準備が終わり、いくつかの松明に火を付けていく。松明を持ったバルカが洞穴の前にずいと出て来た。子供たちは今か今かと待ち侘びているようだ。


「よーし、お前ら。準備はできたな。ここからは一列になって進め。俺が一番先頭、一番後ろはガロが歩く。横に逸れるなよ。はぐれたと思ったら、すぐに声を上げろ。分かったな?」

「はい」

「声が小さい!」

「はい!」

「では行くぞ!」


 ◆


 一行は洞穴を進んでいった。松明に照らされた洞穴内は案外広い。幅、高さは常に一定という訳ではないが、平均5メートル程度はある。途中、幻想的に光る苔の一帯を通過して盛り上がったり、緊張しながらも楽しんでいる子供たちの気持ちが伝わってくるようであった。

 しかし、ガロの気持ちはどこか張り詰めている。【エンパス】による感覚共有の力のボリュームを下げようとも、それは一向に止む気配がなかった。


『ガロよ。何を気にしているのだ』

『生き物の気配。生き物の気配が少なすぎるんです。こんなに広い洞窟なら、生き物がいて当然なのに、小さな生き物の気配もしないんです』


「ねえ、レイン。いい加減、探し物について教えてよ」


 しびれを切らしたか、ガロがレインに話しかける。レインはふわふわと飛んでいき、ガロの肩にちょこんと座った。


「仕方がないな。子供たちに聞かれないようにね。……実はこの先にすっごくかわいい動物の赤ちゃんがいるんだ。寝てるのを見てただけなんだけど本当にかわいくて、みんなに見せたくて」

「赤ちゃん? それは採取できない訳だね。どんな動物?」

「それが分からなくて。ガロなら分かるかな。赤ちゃんだけど割と手足も大きくて。真っ白できれいな毛が生えてるんだ。黒の縞模様も――」


「バルカ!」「ガロ!」


 ほぼ同時。隊列の前後、大声が交錯する。

 鼓膜を突き破らんばかりの咆哮が洞穴を駆け巡った。


 松明の明かりが届かない暗闇から現れたのは、黒の縞模様の入った白銀の体毛を持ち、海獣たちの数倍の体躯をした熊のような怪物、まさしく魔獣であった。

 白虎熊ホワイト・タイガー・グリズリー。それが奴の種族名だった。ステータスを見てもガロやバルカでは太刀打ちできないことは明らかであった。


「俺とガロが奴を止める! レインは子供たちを洞穴の外に! ガロ、頼む!」


 子供たちの悲鳴を遮るようにバルカが叫ぶ。白虎熊がバルカにその極太の腕を振り下ろした。

 両腕でそれを受け止めるが、白虎熊は次の一撃をバルカに食らわせんと、もう一度腕を振り上げた。


「バルカ!」


 ガロは飛び込むように体当たりを食らわせる。白虎熊が怯んだ一瞬、右の拳に爆発的な力が宿った。

 空気が震撼する強烈な打撃を横っ腹に見舞う。白虎熊は声を上げてうずくまった。圧倒的格上の存在に対抗しうる至極の一撃――これが【海獣の拳術】スキルの力なのだ。


 ガロが後ろをチラと見る。レインと子供たちは無事、ここを脱しているようだ。


「でかした! ガロ!」


 バルカが追撃の構えをとると、淡い光が渦となって脚部に収束する。

 突如、バルカが消失した。いや、白虎熊の上空へと跳躍していたのだ。両足を白虎熊へと突き出し、その勢いのまま白虎熊を洞穴の壁に叩きつけた。


 激しい衝撃音の後、腹の底に響くほどの白虎熊のうめき声がした。バルカは棍棒を持ち出し、その頭を割らんと両の手を振り上げた。


 二度目の咆哮。

 至近での耳をつんざくような叫びにバルカが怯む。


 その隙を白虎熊は見逃さない。首筋に食らいつき、バルカから血飛沫が上がった。


「この野郎! 離れやがれ!」


 ガロは白虎熊の腕を掴んでバルカから引き剥がすと、そのままに組み合った。

 たぎるほどのガロの怒りが伝わる。恐怖心など、とうに塗り替えられてしまっていた。


 突如、白虎熊の感情が流れ込んできた。


――悲しい。


 俺が持つ【エンパス】は感覚共有の力。【エンパス】は確かにそう言ったのだ。


 ガロと白虎熊の激しい息遣いが洞穴に響いている。がっぷり四つに組み合ったまま、完全に膠着状態となっていた。

 白虎熊のあの「悲しい」という感情は一体なんだったのか。いや、今はそのようなことに考えを巡らせる時間はない。そもそもガロと白虎熊のステータスには大きな開きがある。真正面から戦って勝てるような相手ではないのだ。それを示すかのように、ガロはじりじりと壁際に追いやられようとしていた。

 何かできることはないか。ふと、視界の片隅に打ち捨てられた松明が見えた。これだとばかりに、俺は【エクトプラズム】による光の腕を飛ばし、燃え盛る松明を手にした。


『アスタ様! 何を!』

『ガロ! そのまま、持ちこたえろ! 後ろから奴に火をくべてやる!』


 松明の炎をその背に押し付けると、瞬く間に燃え上がった。白虎熊はうめき声を上げ、ガロのことなど忘れてしまったかのように背中を地面に転げまわった。


『今のうちに逃げるのだ!』

『バルカを置いていけない!』


 ガロは倒れているバルカに近づき、しゃがみこんで様子を確認した。かなり血が出ているが、意識はあるようだ。


「何してんだ、ガロ。お前だけでも逃げろ」

「置いていける訳ないだろ!」

「じゃあ仲良く死ぬのか。そんな教えは受けてないだろ」

「僕は君を助ける!」

「いいから行け!」


 目は見開かれ、重傷者のものとは思えない気迫のこもった声にガロは一瞬たじろいだ。しかし、ガロは落ちていた棍棒を拾い、雄たけびを上げると、いまだ消火のために転がり続ける白虎熊に向かって走り出した。


 最悪の選択だ。しかし、俺には責めることなんてできない。むしろ人として正しい選択肢を選んだ――これがガロという者の性質なのだ。

 ならば、俺は二人を必ず生還させてやる。光の腕をガロの眼前に飛ばして手の平を向け「止まれ」の意を示す。

【エクトプラズム】の発動可能時間が3分を割っていた。もうあまり時間がない。


「どいてください!」

『ガロ。我に策がある』

『一体何を……』心の声での会話に戻り、少し頭が冷えたようだ。

『あの魔獣がなぜ襲い掛かってきたのか分からぬが、確かに奴は悲しいと言ったのだ』

『悲しい? アスタ様は奴の心が分かるのですか』

『うむ。怒りではない以上、奴と対話ができるかもしれんのだ。ここを退いてもらう、あわよくばお主のスキルで奴を従えるのだ』

『そのようなスキル、私は――』

『我を信じよ!』


 ガロは棍棒を構えることをやめた。どうやら任せてくれるようだ。ガロには魔獣を従える力がある。【狩人】スキルに内包された【テイム】の力が。

【テイム】は人以外の生物と心を通わせた状態で使用すると、その者と精神的なパスが繋がり、使役することができる。いちかばちかだが、やるしかない。


 白虎熊は既に消火を終え、息遣いを荒くしながらも立ち上がっていた。恐るべき生命力である。俺は白虎熊に光の腕で触れ、語りかけた。


『お主は何を悲しいと言ったのだ』


 白虎熊は驚いたように光の腕を見遣った。


――腹、減った。食べ物、ない。子供、死んだ。悲しい。


【エンパス】により身を引き裂かれそうな思いが伝わってきた。初めての子。どう育てれば良いのか分からずも、愛をもって接して来た。しかし、無情にもその子は天に召されてしまった。行き場のないこの悲しみをどうすれば良いのか分からなかったのだ。


『さぞ、つらかったろう。お主の棲家を荒らしたことは謝る。しかし、もう二度とこんなことが起こらない、良い暮らしをさせてやるとしたら、お主は我らに与するか?』


――いい。


 毒気が抜かれたように、白虎熊はその場にへたり込んだ。光の腕は時間切れで消失した。俺の視界が滲んでいる。ガロが泣いているのだ。目を擦り、ガロは言う。


「僕と一緒に行こう」


 ガロが近付こうと、白虎熊は微動だにしない。ガロが白虎熊に触れると、スキルの発動を感じた。


「【テイム】」


 その言葉とともに触れた箇所から二つの光が出て、ガロと白虎熊に溶け合った。白虎熊は穏やかにこちらを見ているようだった。


『ふむ。【テイム】成功かの。試しに何か命じてみよ』

「本当に言うことを聞くのかな。……バルカの前でしゃがんで。運んでもらいたいんだ」


 いつの間にか気を失っていたバルカの前に白虎熊は伏せの体勢になった。


「わ、本当に言うことを聞いた。ちょっと待ってて」


 ガロはバルカの首が締まらない程度に革材で止血をし、白虎熊の背に乗せた。


「じゃあ行こう」

 落ちていた松明を拾い上げ、ガロと白虎熊は洞穴の入口へ進んでいった。途中、何度か後ろを振り返る白虎熊に気付いたか、ガロは白虎熊に話しかける。


「君の子供、置き去りのままなんだよね。また後で来よう。せめてちゃんと埋めてあげるから」


 言葉が伝わったか、それきり白虎熊は振り返ることはなかった。


 ◆


 洞穴の外はもう夕暮れのようであった。新鮮な空気が体に染み渡るようだ。それにしても、あっという間に日が沈んでしまうのだな。


「ガロ! なんで魔獣と! それにバルカは!」


 レインは洞穴の入口で待っていたようだ。子供たちは遠巻きに様子を窺っている。


「バルカは気を失っているけど無事だよ。ほら、こいつの背に乗ってる。傷がひどくて手当てがいるから、レインたちは早く村に戻ってみんなに知らせて」

「その魔獣はどういうこと!」

「ごめん。話せば長くなるから。今は僕の言うことを聞いてくれているから大丈夫」

「大丈夫じゃないよ! どう考えても普通じゃない!」

「ごめんね」

「ガロのバカ! 絶対、後でちゃんと話しをしなさい! みんな、急いで村に戻るよ!」


 レインが飛んでいき、子供たちもそれを追いかけていく。ハーコートだけはこちらをまだ窺っているようであったが、他の子供に小突かれ、渋々といった様子で付いていった。


『少し面倒ごとになりそうだの。ここまで魔獣への忌避感があるなど思わなんだ。森に放っておけば、今なら直接見た者も少なく、言い訳のしようがあるやもしれぬ。……お主はこれからどうするつもりだ。このまま連れ帰って、このような強力な魔獣を従えることができるなど、村の皆に説明できるのか』

『良い暮らしをさせると約束したんです。私はこいつの面倒を見なければなりません。絶対にみんなに分かってもらいます。だから全てを……アスタ様のこと、みんなに話そうと思います』

『こやつへの説得でああは言ったものの、スキルのくびき自体を断つことも可能なのだぞ』

「それでも……です」

『そうか。我は止めぬ。お主の人生だからな』

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