2.コータイの村
イグルーの外に出ると、辺りは夜のようだった。この村はコータイと呼ばれているとのことだ。まばらに同じようなイグルーがいくつもあり、雪のブロックの隙間から薄明りが漏れていた。外は一層寒く、活気のようなものは感じられない。昼に見れば印象が変わるのかもしれないが。
『ガロ。そういえばレインとやらが族長に報告へ行ったのではなかったか』
『私も族長の居宅に向かう予定です。一人で外に出歩いて、いきなり倒れて、家に運ばれてしまった訳ですから。それから、レインというのは私が一人になってから、よく世話を焼いてくれる氷精族の女の子です』
『お主に親はおらんのか』
『数年前、村に凶悪な魔獣が現れた時があって、その時に命を』
『そうか、悪いことを聞いた』
『いえ、この村ではよくあることですから』
ガロは村の中を歩み進める。やはり人間はいないのか。ガロと同じような、海獣が人型を成したかのような生き物が歩いているのを見る以外、人通りはない。
『それにしても夜の割に人通りがあるようだが』
『いえ、実は今は一日の時間帯でいうと昼間になります。夜としたら少し明るく感じられましょう。この季節は日照時間が極端に減って、昼間はこんな感じなのです。百年程前の天変地異からそのようになったと聞いております』
この現象は極夜に違いない。極夜というのは地球でいうと高緯度、南極や北極の近くで発生する現象だ。ということはこの世界は球形をしているのだろうか。天変地異が起きてからということは、以前は極地に位置していなかったが、六の世界の融合で極地に移動したということだろうか。想像は尽きない。
『族長もこちらに向かっていたようです。アンフィべウス様といいます』
ガロが心の声でそう教えてくれる。目線の先にいたのは、やはり海獣が人型を成したかのような生き物だ。ただ、眉、口や顎周りの髭といった、至るところの毛が伸長した老齢と見られる海獣であった。
白の空間に入ってから【星の記憶】でステータスを覗いてみたが、なんと年齢は115歳だ。その割には壮健のようであり、人間の寿命とは少し違うのかもしれない。種族は海豹族と書いてあり、海獅子族のガロとは少し違うようだ。地球でいうところのアシカとアザラシぐらいの違いといったところであろう。横には妖精然とした氷精族のレインがふわふわと付いてきている。
「族長! ご迷惑をおかけしてすみませんでした!」
ガロは走り出し、アンフィべウスの前に土下座した。
「おお、元気そうじゃな。突然、倒れたと聞いたから肝を冷やしたぞ」
アンフィべウスは見た目に違わず、穏やかにそう言った。ガロは土下座のまま顔を上げる。
「なぜ一人で出歩いたか、理由は聞かれませんか」
「魔獣に襲われた風でもなし。お前のことじゃ。おおかた昨日の流星群を一人、誰にも邪魔されず物思いにふけっている途中で、寒さで気を失ったんじゃろ」
ガロが気を失ったのは寒さではなくて、流星となった俺との正面衝突が原因なのではあるが。その辺りは説明する訳にはいかないよな。
「まあ無事だったんじゃ。今回は不問としよう。お前ももう15になった。あまりふらふらするようなものではないぞ」
「ありがとうございます!」
「礼はお前を探し出してくれたバルカに言ってやりなさい」
アンフィべウスはからからと笑い、長い髭をしごきながら立ち去っていった。
「許してもらえてよかったね、ガロ」
レインがいたずらっぽく笑った。
「どうなることかと思ったよ。怒ると怖いからね、族長は」
「まあね。ねえ明日は暇? 狩りはお休みだったよね」
「え、うん。そうだけど、どうしたの急に」
「ちょっと前に採取でいいもの見つけちゃってね。ガロにも見てもらいたくて」
「それは取ってこなかったの?」
「うーん。それがちょっと難しくてね。付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「明日は特に用事ないし、いいよ」
「やった! ありがとう。じゃあ明日の朝、ガロの家に行くから。バルカ達も呼んでくるよ」
レインは舞うように飛んでいった。しかし、ガロっていいところのお坊ちゃんのような話し方をするんだな。俺に対してはかしこまった喋り方をするから分からなかった。自分に自信がないのかもな。その辺りも今後、解決してやりたいところだ。
イグルーに戻った後、俺はガロに話しかける。
『この世界について、もう少し色々と知りたいところではあるな』
『どのようなことをお知りになりたいでしょうか』
『うむ。まずは地理的なところかの。コータイの村の外はどのようになっておるのだ』
『外についてですか。村の近くは一面が氷原で、何もないところですよ。少し北の方角へ歩くと、海があって流氷地帯になっています。アスタ様とお会いしたのは、その辺りですね。そこで魚を獲ったりすることもあります』
『ほう。どのような魚か。味はよいのか』
ガロは部屋の棚から干魚を取り出し、尾鰭の方を掴んで見せた。巨大なアジの丸干しのようで、かなり美味しそうに見える。
『ラチャートゥスといいます。この辺りの海でよく獲れて、このように干しておけば日持ちもします。味は正直、自分はそんなに……といった感じです。年中獲れるので、森での狩りがうまくいかないときは仕方なく、ですね』
『異界では同じような物を食していた故、親しみがあるな。それと森が近くにあるのか』
『はい。村から南の方へ歩くと森があります。ここでは木の実の採取、動物や魔獣の狩りが行われていますね』
『魔獣か……。先ほども魔獣という言葉を聞いたが、異界ではそのような生物は実在しておらんかった。動物と魔獣の違いとはなんであろうか』
『明確な区別といいますと難しいですね。我々に危害を加えるかどうか、というところでしょうか』
違いは攻撃性の有無といったところであろうか。倒したら光になって消えるとか、戦利品を落とすとか、そういうものではないようである。
『ちなみにコータイの村はなぜ森から離れた場所にあるのだ? 近い場所にあれば、採取や狩りに都合がよいであろうに』
『それについては、魔獣が近づいたことを早くに察知するためですね。氷原に村があれば、辺りに何もないので魔獣を見つけやすいのです。森だとそうはいきませんよね』
『なるほどな。では村の西や東には何がある』
『西は北と同じような流氷地帯で東は山脈があります。山脈は族長の言いつけ――村の掟で近づくことを禁じられていて、その先に何があるのかは分かりません』
『ふむ。山脈の先に何があるのかは気になるな。他の集落があったりするのか』
『それも分からないのです。元々栄えていた都が天変地異で崩壊し、住民が散り散りになったとは聞いていますが、もしかしたら、コータイの村以外の集落があるのかもしれません』
族長のアンフィベウスというのは、かなりの情報統制を敷いているようだ。そこまで強権を発動するというのは、何か理由がありそうなのであるが、今の自分では推測がつきそうもない。
『この辺りのことについては大体分かった。お主が外の世界を求めるのも分かる気がした。そのためにも、早く独り立ちできる力をつけなくてはな。ところで、先ほどのラチャートゥスが気になっていてな。今日の夕飯はそれでどうだ』
『干し肉がまだ残っているのでご勘弁いただきたいですが、アスタ様がそうおっしゃるのなら……』
ガロは渋々といった形で了承した。その後もこの村での暮らしや文化など、一通り話をしたところで、辺りが本格的に暗くなり、ガロの腹も鳴り始めたのでラチャートゥスを食すことになった。
目の前の皿にラチャートゥスの干物が鎮座していた。ガロの喉がごくりと鳴る。そこまで魚が嫌いなのか。
「では、いただきます」
ガロはラチャートゥスを両手で掴み、かぶりつこうとする。
『いや、待て待て。お主、魚を生で食らうのか』
『それ以外に食べ方があるのですか』
カルチャーショックを受けた気がした。寒冷地で腐敗しにくい環境であるがため、食べ物を焼いて食すという習慣がなかったのか。もしかすると、ガロが魚嫌いなのは、生魚の臭みのせいなのかもしれない。
『ラチャートゥスを焼いてみんか』
『薪がもったいなくありませんか』
『いいからやってみろ』
『……はい』
ガロは部屋の中央に掘り込まれている炉に燭台の火を灯した。
『雪を溶かして水を作るとか、よほど寒い時に暖をとるとかにしか、使わないのですけどね』
『お主らは寒さに強そうだしのう。枝をうまく組んで、串に刺したラチャートゥスを焼いてみてくれ。焦げないようにじっくりな』
手際よくラチャートゥスを火にくべると、ほどなくして魚の脂が溶ける、なんともよい匂いが立ち込め始めた。脂が火に落ち、煙が出始めていたが、燻製のような香りが少しアクセントとなり、全体の印象を一段と押し上げているように思った。
『これは……正直、驚いていますが、魚を焼くとこのような良い香りがするのですね』
『うむ。頃合いがよさそうだな。食してみよ』
「あちっ!」
ラチャートゥスを串から外すときに、あやうくガロが落としそうになった。落ちなくてよかった。せっかくの熱々が地面で冷たくなったら興覚めだ。
さて、目の前の皿には生の干物から、焼き魚へ華麗なる変貌を遂げたラチャートゥスの姿があった。
またもガロの喉がごくりと鳴った。先ほどとは、意味が真逆なのであろうが。
「では今度こそ、いただきます」
ガロが両手でかぶりついた。ガロの舌を通して、俺にもラチャートゥスの味が伝わる。
脂がのっていて、ホロホロとほぐれる。口いっぱいに程よい塩味と凝縮された豊かな旨味が広がった。癖がある方だとは思うが、直火で焼いたことによる香ばしさが、嫌みのない旨味へと昇華させていた。
『アスタ様! これは、うまいです! これなら、毎日ラチャートゥスでよいです!』
『うむ。新しい発見ができてよかったのう。異界の魚とも遜色がない。むしろ上かもしれぬ』
口いっぱいに幸せを頬張っていると、イグルーの換気窓から誰かが覗く気配がした。海獣の少年であった。
「ねえ、ガロ! それ、何? すごくいい匂いがするんだけど」
「ハーコートか。君も食べてみるかい?」
「食べたい!」
近所の少年、ハーコートを招き入れ、ガロはラチャートゥスをもう一尾、棚から引っ張ってきた。火にかけ、こんがりと焼きあがったラチャートゥスを二人で頬張る。その日は和やかに過ぎていった。
◆
翌朝。レインの声がしてガロがイグルーを出ると、レインの周りには大小様々な海獣がいた。
「バルカ! 昨日、僕を探してくれたって聞いたよ。ありがとう」
「本当に出歩いて大丈夫なのか? 具合は大丈夫なのかよ」
「うん。もうバッチリだよ」
集いの中で最も大きな体躯をしている、バルカと呼ばれた胡麻塩模様の海獣は腕組みし、見定めるようにこちらを見ていた。ガロとは少し体型が違っている。ガロは横にも縦にも大きく、マッシブな上半身であり、例えるならヘビー級プロレスラー。一方、バルカの体型はガロと同じく大きいが横方向に偏重しており、下半身がどっしりとしている。例えるなら力士といったところだ。
もう気になったら即、白の空間で【星の記憶】を発動させている。調べてみると、族長アンフィベウスと同じ海豹族のようだ。年齢はガロより少し上の17歳で、ステータスは全体的にガロより少し高い。【海獣の蹴術】スキルを取得しており、蹴り主体の戦闘スタイルということも分かる。
氷精族のレインは体も小さく、さすがに力強さなどではガロやバルカに大きく劣る。しかし、素早さに優れ、魔力も高めのようだ。おまけに【魔力操作】スキルを所持していた。ついに異世界で魔法をこの目にすることができるのであろうか。
『アスタ様。この者たちは行動を共にするよう定められている、同じ組の者です。親の狩りや採取に同行できない幼き者を主に私、バルカ、レインで面倒を見ています』
『ふむ、そのような生活が成り立っておるのだな。お主は少し頼りないようだが』
『……精進いたします』
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