ストレンジャー3
胸を躍らせながらカフェを出る。
しかし、ビジネスホテルに帰る気にはならなかった。
カフェの外で彼女を見てみたくなった。
そこで、那智は路地裏からさらに枝わかれした路地裏に隠れて彼女を待つことにした。
ストーカーと同じことをしているが、那智は純粋に彼女を見たいだけであった。
別に後をつけていこうという不埒な考えはなかった。
カフェのドアが軋み、彼女が出てきた。
那智は息を押し殺した。
彼女はカーキのチェスターコートを翻して路地裏の角を曲がった。
後をつける気はなかった。
が、好奇心には勝てなかった。
彼女のことをもっと知りたくなって、那智は後を追った。
せめて彼女がどこに住んでいるのかを知りたかった。
小説のためだと自らを釈明しようとしたが、それはうまくいかなかった。
頭の片隅にはやはり後ろめたさがあったからだ。
彼女は人通りの少ない路地裏を進んでいった。
普通、女が一人で路地裏を歩くのは危険だが、男性恐怖症の彼女にとっては通りを歩くのも同じくらい危険だった。
尾行しているというよりは、彼女が無事家まで帰れるように見守っているかのようだった。
すると、彼女がふっと消えた。
突然、闇の中に引きずり込まれてしまったかのように。
那智は不審に思った。
俺に気付いて撒かれてしまったのか?
いや、足音は忍ばせていたし、この距離ならいくら耳がよくてもばれないはずだ。
じゃあ、彼女は一体どこに消えた?
なんとなく嫌な予感がした。
ラジオのニュースが脳裏で再生された。
那智は彼女が消えた路地裏へと急いだ。
激しい衣擦れの音がした。
ぼそぼそしゃべる低い男の声も聞こえた。
怖る怖る陰から路地裏を覗いて、那智は目を疑った。
彼女はアスファルトの上に横たわっていた。
その上には黒ずくめの男が馬乗りになっており、彼女のチェスターコートとシャツを強引に脱がせていた。
那智は思考が脳を支配する前に動き出していた。
男の背骨に膝が直撃し、前のめりになって倒れた頭部に追い打ちの蹴りを食らわせる。
男を乱暴に仰向けにし、何度も拳を振り下ろす。
男の顔面が血まみれになっても殴り続ける。
「下衆野郎が! 俺はお前のような卑劣な人間が大嫌いだ! よくも彼女に手を出しやがって!」
那智は激怒して我を忘れていた。
男がぴくりともしなくなると、ようやく手が止まった。
血液で汚れた両手は、通りの方から伸びた街灯の明かりでてらてらと鈍く黒々と光っていた。
男は死んでいなかったが、ほとんど半殺しの状態だった。
もし近くに鈍器があったら殺してしまっていたかもしれない。
那智は男を引きずって通りの方まで移動させ、黒ずくめの衣服の裾で両手の血液を拭ってから彼女の元に戻った。
彼女のことを考慮して、警察は呼ばないことにした。
事態を大きくしても彼女が迷惑するだけだ。
彼女は横たわったまま微動だにしなかった。
ショックで動けなかったのだろう。
ただ、冷ややかな涙がこめかみの下を伝っていた。
シャツのボタンはいくつか弾け飛び、その下の薄紅色のキャミソールを露わにしている。
病的なまでに白い鎖骨。
女性的かつ官能的な膨らみ。
暗闇にもかかわらず、彼女の肌は白い輝きを放っている。
那智は我に返り、彼女を起こそうとした。
手が触れた瞬間、泣きじゃくる彼女はびくりと肩を竦めた。
彼女は震えていた。
嗚咽で過呼吸気味になりながら、彼女はゆっくりと立ち上がった。
那智は彼女を支えて歩き出した。
彼女は俺のことを怖がっている。
当然だろう。
彼女は俺のことを何も知らない。
互いの名前さえ知らない。
彼女はカフェのウェイトレス、俺はその客。
まだ常連にすらなってない。
せいぜいそれくらいの関係だ。
こんな男に支えられても不安だろう。
それでも今は彼女を支えてあげたい。
そうしないと、彼女が細い木の枝のように折れてしまうような気がするから。
那智は彼女の歩調に合わせて歩いた。
おぼつかない足取りだったが、彼女は支えられながら一歩ずつアスファルトを踏みしめて歩いた。
夜のバイパスの空気は澄んでいた。
深呼吸すると、雪女の息吹が肺を凍てつかせた。
雪が降る日もそう遠くはなさそうだった。
15分ほど歩いただろうか。
彼女は小綺麗なアパートの前で足を止めた。
彼女のことを気遣ってそこで別れようとすると、彼女はか細い声で「入って……」と言った。
那智はどうするべきか迷ったが、彼女の言葉に従って中に入ることにした。
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