第4章
エスプレッソとニューヨークチーズケーキ5
冷蔵庫を開けると、観葉植物を育てているような気分になった。
昨日、大量に買い溜めしたグリーンサラダとミネラルウォーター。
このまま何日も放置したら、プラスチックの容器を突き破って芽が生えるかもしれない。
やがて芽から蔦が伸び、水を欲してミネラルウォーターを握り潰すかもしれない。
成長した蔦がこのアパートを侵略し、グリーンサラダの城を築くかもしれない。
橙樺はくすりと笑った。
グリーンサラダとミネラルウォーターさえあれば生きていける。部屋から出なくてもいいし、男に恐怖しなくてもいい。
本当にグリーンサラダが城になってくれたらいいのに。
リビングに戻ると、テーブルの上には昨日描いた絵がそのままになっていた。
眼帯の少年の絵だ。
彼とまた会えたのはよかったけど、まさかあんな怖い思いをすることになるなんて……ううん、あれは私が悪いのよ。
いくら足を引っかけられたとはいえ、私がもっと注意していればこけることはなかった。
彼は私を助けてくれたのよね。
それなのに、私は涙を流してばかりでお礼も言えなかった。
私って、とことん駄目だな。
グリーンサラダをつまみつつ、橙樺は新しい画用紙に鉛筆を滑らせた。
三十分かけてまた例の少年の絵を描いた。
が、昨日とは表情が違った。
昨日は悲しみの表情を描き、今日は怒りの表情を描いた。
彼の怒りの表情は人間的ではなかった。
彼には全てを捨てた勇ましさと潔さが宿っていた。
人間という生き物は、なんだかんだと言っては物事に拘泥する。
人間はよほどのことがない限り全てを捨てたりしない。
彼は旅をしていると言った。
彼はどうして全てを捨てたのかしら?
私は全てを失ったけれど、彼とは違う。
でも、と橙樺は内心で付け加えた。
彼には私と似ているところがある。
それでいて、やっぱり私とは対極の場所にいる。
彼には……そう、人間を憎悪している節がある。
色のない左目からは何も読み取れない。
未完成の絵から得られるものは何もない。
橙樺には永遠に絵を完成させることができない。
橙樺は画用紙の上に鉛筆を転がした。
彼は男だから怖い。
でも、彼にまた会いたがっている自分がいる。
あのミステリアスな視線に射抜かれると、磔にされたように身動きが取れなくなる。
不思議な視線。
不思議な人。
「明日も来てくれるといいな」
橙樺はおかしな気持ちと共にシャツを脱いだ。
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