第3章
エスプレッソとニューヨークチーズケーキ4
新宿のビジネスホテルにて。
コインランドリーで洗濯をしている間、那智は部屋でシャワーを浴びた。
濡れそぼってさらにくすんだ金髪を乾かしてベッドに寝転がり、ぼーっと天井を見つめながら例のウェイトレスのことを考えていた。
彼女の恐怖に歪んだ表情が忘れられない。
俺があの男を殴った時、彼女は俺に対して恐怖していた。
俺が暴力を振るった瞬間、恐怖の対象はあの男から俺へと逆転してしまった。
はぁ、またやってしまったな。
額に手のひらを当てる。火照った手が他人の手のように感じられる。
まあ、これで彼女の記憶に鮮明に残ることができたはずだ。
神は俺の願いを叶えてくれたようだ。なんとも現実的な方法で。
皮肉に苦笑し、那智はメドゥーサの視線を脳内で蘇らせた。
彼女は俺に興味を抱いていた。
多分、彼女も俺の興味に気付いているだろう。
だが、彼女の人間性はどうしても掴めなかった。
やはり恐怖の仮面が彼女の人間性に靄をかけていてうまく読み取ることができなかった。
那智は右目を腫れ上がった瞼の上から撫でた。
右側の世界がない。
まるで右半身ごと透明になってしまったかのようだ。
右目にこれといった思い入れがあるわけではないが、慣れ親しんだ身体の一部がなくなるというのは悲しいものだ。
しかし、あのウェイトレスと右目の異常という共通点があることは嬉しくもあった。
那智は密かにこう切望していた――右目の瞼が開くようになった時、瞳の色が変わっていればいいのに、と。
ああ、どうして彼女のことばかり考えてしまうのだろう。
この心の状態はまるで……そう、まるで恋をしているみたいじゃないか。
那智は噴き出した。
「恋? 恋だって? 俺が恋をしている? はははっ、馬鹿げている!」
俺が恋をするだなんてあり得ない。
俺は今までの人生で一度も恋をしたことがない。
女を魅力的だと思ったこともないし、色恋沙汰に現を抜かす価値もないと思ってきた。
確かに、彼女の隠された美貌には惹かれるところがあるし、俺も彼女のことを魅力的だと思うが……とにかく、これは恋じゃない。
恋に酷似した何か別のものだ。
那智は顔の筋肉を引き締め、一人納得したようにこくこくと頷いた。
わかった、認めよう。
俺は彼女に対してなんらかの特別な感情を抱いている。
だが、それは断じて恋ではない。
俺はただ彼女に興味があるだけだ。
そう、俺は人間観察を通して同類を探していた。
そして、俺は彼女という同類を見出した。
ただそれだけの話だ。
自らを言いわけがましく正当化しつつ、那智は胸を躍らせていた。
ああ、明日が待ち遠しい。
あのカフェに行けば、女神に会える上に美味しいエスプレッソとチーズケーキが食べられる。
あそこはまるで楽園だ。
彼女に触れたい欲望と触れられないもどかしさの板挟み。
それでも那智は明日もカフェに行こうと決めた。
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