22.決断

 樹季はその後、ただ漫然と日常に戻った。家や学校でも普通を取り繕う。雅古を失った樹季にとってもう普通を維持する意味は薄れていたが、それでも樹季は優等生の鏑木樹季で居続けた。普通には普通の価値があったはずだからである。しかしその価値は、樹季の虚ろを埋めるには至らなかった。


 雅古がいなくなって数日たっても、誰も気づかない。何の滞りもなく回っていく世界に、樹季は雅古が自分のことをいらない人間であると言った意味の重さを実感する。樹季以外は誰も、雅古がいなくても困らないのである。


 ◆


 終礼を終えてがやがやと皆が教室を出ていく中、杉浦が鞄を肩に背負いながら樹季に聞く。


「鏑木、今日も部活来んの?」

「ごめん、今日はちょっと……」


 部活に行く気にはなれないので、とりあえず断る。

 だが、部活に行かなかったところで行く場所はない。母親のいる家にいたくないので雅古の家に行っていたが、雅古がいない家にいても苦しいだけである。


「そっか、わかった。じゃ、またな」

 断られるのがいつも通りな杉浦は、気にせずにさっさと教室を出て行った。こういうときに何も察することなく放っておいてくれる友達というのも、ある意味ありがたい存在ではある。


 樹季も行くあてもなく鞄を持って歩き出した。家出をしているわけでもないのに、どこへ向かえばいいのかわからない。雅古と出会う前の、森の中で迷っていた自分に戻ってしまったような気持ちになる。


 どうしようもなくなって、樹季は屋上へ行ってみることにした。高校に入ってから二年くらいたつが、足を踏み入れたことがない場所は案外ある。屋上もその一つであった。

 階段を上がると、通用口がある。普通に内側から開けられる鍵をひねって外に出れば、屋上であった。

 風が強く、樹季の髪をぼさぼさにした。樹季はくせっ毛の黒髪を手で押さえて、外に出た。鉄製のドアが、音を立てて勢いよく閉まる。


 ――思ったよりも汚いな……。

 人が頻繁に立ち入ることを想定していないので仕方がないが、屋上は砂埃と鳥の糞で汚れていた。落下防止の白いフェンスも、寄りかかると確実に服が汚れそうな具合に粉っぽい。

 ただ、眺めだけは悪くはなかった。学校の裏にある山を背にして立てば、下ったところにある家や、遠くの街が良く見えた。夕日の中で、その景色はオレンジ色にきらきらしていた。


 樹季は屋上の中心に立ち尽くし、ただぼんやりとしていた。あまり何も考えたくはなかった。


 どれくらい時間がたったのか、夕日の色がさらに赤く色の変えたころ、樹季の頭の中に久々に佐久夜の声が届いた。


『聞いているか、樹季?』

 聞こえてはいたが、樹季は何も答えなかった。

 それでもちゃんと聞こえてはいると向こうにはわかったらしく、佐久夜は樹季に語りかけた。

『初瀬が現れた。雅古……だったシュラも連れている」

 とうとうこの時が来た、と樹季は目を閉じて思った。もう迷いは許されない。自分の行動を決めなくてはならないのである。


 佐久夜は粛々と、必要な情報を樹季に伝えた。感情を押し殺しているようだった。

『出現場所はタケフツ社のある工業団地の近く。そのうち、本部を見つけるかもしれない。菊川さんが対処しているが、お前はどうする?』

「今、行く」

 樹季は目を開けて、そう答えた。

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