21.棺の中

 樹季は誰かが異常に気付く前に、ショッピングセンターの閉鎖部分を抜け出た。平日の真昼間に学生服は目立つので、人の少ない建物の裏を歩く。そして、ポケットに入っていた小銭を使って公衆電話でタケフツ社の辻の直通番号に電話をかけた。


「はい、辻です」

「……樹季ですけど」

「え。樹季君? 今どこにいる? 探しに行った佐久夜くんは本体に戻って来たきり反応ないし、何がどうだか……」

「敵の罠で、なぜか隣町のショッピングセンターの廃墟部分に呼び出されました。初瀬っていう女の子の姿をしたシュラがいて、雅古も何か同胞が宿ってるとか言われて連れていかれて……」


 最初の方は冷静に話そうとしたが、結局はしどろもどろになってしまった。雅古が敵に連れて行かれたという事実を認識するに従い胸の奥が冷たくなって、ちゃんと物事が考えられない。


 ――雅古がいない。消えてしまう。

 動揺した樹季の目から、涙が零れる。こらえようとしたが、それは意に反して頬を流れ続けた。

 泣いていることが電話越しに伝わったのか、辻はそれ以上の説明は求めなかった。


「……とりあえず今はそのショッピングセンターの近くの公衆電話にいるんだね」

「はい」

 樹季は精一杯普通を取り繕って答えた。それ以上の答えを言おうとすると、収拾がつかなくなりそうだった。


「じゃあ、迎えの車を寄こすから十五分後くらいに南門に来てよ。それでいいかな?」

 受話器から響く辻の声は、静かで落ち着いていた。

「わかり……ました」

 何とか言葉を紡ぎ、樹季は了承を伝えた。

「それじゃ、切るよ」

「……はい」

 ちゃんと返事ができていたのかはわからないが、気づけば電話はツーツーと音を立てていた。樹季は涙を拭きながら受話器を戻し、電話ボックスを出た。


 改装後は塞がれている古い入口の跡の階段に腰掛け、樹季は膝を抱えてしばらく泣いていた。そして、約束の時間のころには何とか涙は止まったが、それでも泣き腫らしてひどい顔であった。


 南門には、銀色のセダンが止まっていた。運転手は受付にいつもよくいる青年である。適当なやりとりをして車に乗せてもらい、樹季はタケフツ社に向かった。


 ◆


 タケフツ社に着いた樹季は、まず頬についた傷の手当てをされた。他に異常がないか調べられたが、何もなかったのですぐに終わった。使えなくなったドライバーは修理に出され、代用品が渡された。

 スタッフの人に待つように指示された樹季は、医務室のベットに腰掛けて、何も考えられずにただぼんやりとしていた。暖房がよく効いていたので、上着を脱いでシャツになる。


 ドアをノックする音がして、いつも通りの白衣を着た辻が入ってきた。

「樹季君、おかえり。今回は本当にごめんね。こっちで危険を察知できなくて……」

 辻はまず、謝罪から入った。樹季はどうでもいい気持ちで聞いていた。

 樹季の前に丸椅子を置いて座り、辻は一瞬黙りこんだ。だが、決心した様子で次の話を切り出した。

「雅古君のことは、大体わかったから無理して説明しなくていいよ。あの子がシュラに侵蝕されているのは、結構前の段階から私たちはわかってたし。雅古君は、敵に捕まらなくても遅かれ早かれシュラになるリスクがあった」


 辻のその言葉を聞いた瞬間、樹季の頭は一気にまた動きはじめた。

 ――シュラの正体だけじゃなくて、雅古のことまで全部隠されていたのか!

 樹季は激しい口調で、辻を問いただした。

「わかってた? わかっててあなたたちは、雅古を利用したんですか?」

「利用したとは心外だなぁ。救う方法だって考えていたよ。放っておいても危険なんだし、手元で見守るためにあぁいう身分を与えたって、罰は当たらないでしょ」

 辻はお得意のごまかしで、樹季をなだめた。確かに、辻の言い分にも一理あった。しかし、やはり樹季は辻たちのやり方は道理に反した部分があるように思えた。


「そうやって物事を円滑に進めるために、あなたたちは嘘や隠し事が得意なったんですね。だからシュラの正体も僕たちから隠したんですか?」

 樹季は辻をにらみつけた。最初から胡散臭いとは思っていたが、今はそれ以上の不信感があった。

「やっぱり、あの女から聞いちゃったか」

 辻は気まずそうに、ぼさぼさの頭をかいた。

 その様子に樹季はさらに確信を深めた。


「あの話は、本当のことなんですね」

「公式には認められていないけど、まぁ概ね真実だね。でも、本当かどうかはもうあんまり関係ないんじゃない? 子孫も未来もない彼らシュラの目的は、復讐以外に何もない。国が欲しいとかじゃないから、和平交渉だってできない。倒すしかない存在なんだから、言い分が正しいか正しくないかという問いに、価値はないよ」


 眼鏡の奥の辻の目には、あきらめの色が浮かんでいる。建前やごまかしではなく、これが辻の本音なのだろう。完全に、真実や正しさへの興味を失っていた。


「そういう問題じゃ、ないですよ」

 樹季は、その割り切り過ぎた辻の姿勢をとがめた。樹季には辻の思考は理解しがたかったし、したくもなかった。

 辻は何も言わずに、目をそらしてしばらく黙っていた。


「……他に聞きたいことはある?」

 とりあえず義務だけは果たそうと思ったらしく、気乗りしない様子で辻は樹季に尋ねた。

 辻のことはまったく信頼はできないが、今ならだいたいのことは真面目に答えてくれるだろうと感じたので、樹季は最後に残った疑問をぶつけることにした。


「あいつ……佐久夜は、どういう存在なんですか?」

「それは、まぁ、本人から聞いた方がいいかな。今はもう話せるみたいだから、地下のB25号室に行ってみて」


 答えにくそうに、辻は佐久夜のいる部屋を教えた。佐久夜のことは、辻ですら多少は思うところがあるらしい。

 辻への用がなくなった樹季は、ベッドから立ち上がり部屋を去った。


 ◆


 一階のごく普通のバリアフリーな新しい建物、という雰囲気とはうって変わって、地下には近未来的な雰囲気があった。薄暗い廊下に並ぶドアはどのドアもきちんと密閉できそうな造りで、暗証番号とかを読み込む機械がついている。樹季は地下を歩くのは初めてだったので、落ち着かない気持ちで進んだ。

 B25号室を見つけると、ドアは自動的に開いた。


「来たな、鏑木樹季」

 中には、銀色の棺みたいな機械の箱に腰掛けた佐久夜がいた。佐久夜の能力を考えれば不思議なことではないが、樹季が来ることはわかっていたらしい。

「お前、幽霊だったんだな。でも、生きている……?」

 樹季は部屋の中に入り、恐る恐る尋ねた。思い返せば、佐久夜は他の人に見えているのか怪しいところがあった。


「そうだ。僕の本当の体は、この機械の中にある」

 佐久夜は自らが座る、銀色の機械の箱をそっと撫でて答えた。その白く整った顔が常日頃まとっている仄暗い雰囲気が、今日はより濃く浮かんでいた。


「今の僕は物に対しては触っているように見せることはできるけど、生きてる人に触れることはできない。十一歳のときに僕の家はシュラに襲われた。母親と父親は死んで、妹は体を初瀬と名乗るシュラに奪われた……。僕も死にかけたが、死ななかった。生霊のような形で生きていた」

 佐久夜の語る過去は、樹季が今までの情報から想像していたことから大きくずれてはいない。だがその明かされていく事実は、改めて本人から聞いてみると十分すぎるほど重い。


 ――そう幸せな人間じゃないとは思っていたけど、こんなに不幸だとは思わんかった……。

 樹季はただ黙って、佐久夜の話を聞いていた。

 どうやらうつむき銀色の箱に視線を落とす佐久夜の横顔は、誰にも触れることができないものであるらしい。


「生霊になってからの僕は、シュラを感知する能力などのいろいろな力を得た。シュラと戦う能力だけはないが……。だからこうして延命に延命を重ねて、僕の存在は生かされ続けた。多分、ここから出る日は来ないだろうけど」

 その簡単な説明だけで、機械の中にいる佐久夜の本当の姿が樹季の脳裏に浮かんだ。

 一生暗い箱の中で横たわり続ける、ほとんど消えかけた命。あまりにも救いようのない佐久夜の状況に、完全に言葉を失う。


 樹季は、気づけば涙を流していた。ショッピングセンターから連絡するときに泣いてしまってから、涙もろくなっていたのかもしれない。ちゃんとは理解していない自分がこのような形で佐久夜に同情してしまうのは、申し訳ないことのような気がしていた。だがどうしても、こらえきれない。


 ――こんな人生って、ないだろう……。

 ぽろぽろと頬をつたう涙を、樹季はシャツの袖でぬぐった。

 泣き出した樹季に、佐久夜は焦り戸惑っているようだった。しばらく考えこんだ後、銀色の箱から下りて、樹季に近づいてそっとささやく。


「僕は別に、君に泣いてほしくて話したわけじゃない。ただ、僕は君たちのことを全部知っていたから、僕のことも全部話さないとフェアじゃないと思ったんだ」

 佐久夜の憂いを宿した瞳に、さらさらと黒い前髪がかかる。それがなぐさめなのか、言い訳なのか、樹季にはわからない。だがどちらにせよ、佐久夜なりの真面目な気遣いが感じられた。


「俺は……」

 樹季は触れられないとわかっていたはずだけど、思わず佐久夜に手を伸ばしてしまった。その手は佐久夜を肩をすり抜けて、空気を掴む。

 その瞬間、再び何も言えなくなってしまった。どんな言葉をかけようしていたのかも、思い出せない。


 口を閉ざして、樹季はうつむいた。いまだ止まらない涙が、ぽたぽたと床に落ちた。

 佐久夜はその涙を、そっと手のひらで受け止めた。生きている人間には触れないけれども、物には触っているように見せることができると言っていたのを、樹季は思い出した。

 佐久夜はうつむく樹季の顔をのぞきこみ、つらそうな顔をして言った。


「僕は君たちを利用している。それでも君は僕のために泣くのか? 僕が君に雅古を殺すことを強要しても、それでも?」

 その低い声は震え、かすれていた。

 ――俺が雅古を、殺す……?

 佐久夜の声が聞こえてはいたが、樹季は意味をすぐには理解できなかった。だが次第に、佐久夜が何を言おうとしてるのかがわかりはじめる。


「お前の妹みたいに、雅古も殺せって?」

 樹季はぽつりとつぶやいた。声に出してしまってから、その問いが佐久夜に対する思いやりに欠けていることに気がつく。だが、後悔してももう遅い。


 佐久夜の瞳の奥が揺れて、一瞬虚ろになる。だがすぐに冷静さを取り戻して、佐久夜は答えた。

「そうだ。シュラに乗っ取られた人間は殺すしかない」

 言い切る佐久夜の声に、迷いはない。


 詳しい事情は知らないが、佐久夜の妹は初瀬の憑代となり殺されているらしい。だが初瀬は佐久夜の妹の次の体を得て、今も存在し続けている。

 樹季は自分をのぞきこむ佐久夜の顔から目をそらした。


「……殺したって宿ってるシュラが絶対死ぬわけじゃないんだろ?」

「だが、その体からシュラを引きはがすには殺すしかない。いたずらに体を利用され続けるよりは、そっちの方がずっといいと、僕は思う」


 佐久夜は静かにそう言った。

 妹を殺すといういう決断は、佐久夜にとっても苦渋の決断だったはずである。だがそれでも実行したのは、シュラとして生かされるよりは死ぬことの方がずっといいと、それが妹のためでもあると信じたからだと思われた。佐久夜は雅古のことも同じように考えているのであろう。


 ――確かにそれが一番正しいのかもしれない。でも……。

 樹季には、佐久夜の考えを受け入れられなかった。それは雅古のためになる選択なのかもしれないが、結局のところは都合が悪いから殺してしまうだけのように感じられた。

 樹季は涙を流したまま佐久夜から離れた。かぶりを振って、にらみつける。


「お前も、あの初瀬って女も、一体何の権利があって、あいつの生き死にを決めるんだよ! 俺は絶対に、あいつを殺さない!」

 考えるよりも先に、樹季は叫んでいた。


 佐久夜の端正な顔が悲しげに見つめ返すのが、涙でにじんだ視界の中に映る。

 樹季その姿に背を向けた。佐久夜は何も言わなかった。

 樹季は迷いながらも足を前に踏み出し、部屋を出た。


 ◆


 その後は車で学校まで送ってもらって、自転車に乗ってそのまま雅古の家へ行った。

 合鍵を使って玄関を開ける。引き戸の音がガラガラと、持ち主の消えた家に響いた。

 冬が近づき日が暮れるのが早くなったので、まだ四時だが開いた戸から射しこむ光は赤かった。かかとの潰れたスニーカーが二、三足並ぶ土間に、樹季の影が黒く浮かび上がる。


 ――いつもなら、雅古の声が迎えてくれるはずなのに。

 そう思った瞬間、また樹季の目に涙がにじんだ。今回はこらえて、家に上がる。当然のことではあるが、誰もいないので薄暗い。


 樹季はただ何となく居間へ行った。ゲーム機やペットボトルのジュース、菓子パンの空き袋などが出しっぱなしになっていたので片付ける。何もやることがなくなり、ちゃぶ台を前にして座ってみる。雅古がいないので、料理をする必要もない。

 時間だけが過ぎて、日が傾いていく。


 ――雅古は、まだ寝てるのかな。

 樹季は連れ去られた雅古が今どうなっているか、考えた。最後に会ったときは眠っているように見えた。弥雲とかいう名前のシュラに記憶を侵蝕され続けているのかもしれないし、考えたくはないが、もう雅古ではなくなってしまっているのかもしれない。

 想像すると、息がつまるような心地がした。目の前が真っ暗になって、頭の中がぐらぐらする。


 ――佐久夜は雅古を殺せって言う。雅古が雅古でいられないのなら、やっぱり殺さなきゃ駄目なのか?

 それは難しい問いだった。

 樹季は考えた。ありとあらゆる方向から考えた。


 例えば、もし樹季がシュラになって殺されるべき存在になったら、雅古はどうするのか。……見当もつかなかった。佐久夜のように決断して殺しにくるかもしれないし、逆に樹季を殺そうとする佐久夜や辻と対立し戦うかもしれない。

 しかしどちらにせよ、雅古は今の樹季のように何も決められないということにはならないだろう。


 どんな決断であれ、決めて実行するには強さが必要とされる。佐久夜の前では言い切ったとはいえ、実のところ樹季には雅古を殺す強さも、殺さない強さもなかった。殺さない……というよりも殺せないのであるが、ではどうすると言われると答えが出ない。


 ――雅古は今、どう感じているのだろう?

 眠っていた雅古が、この状況をわかっているのかどうかは定かではない。だがそう考えたとき、樹季は雅古が春祭りの夜にシュラと対峙した際に言った言葉を思い出した。


『でも俺は、いらない人間だから別に死んだっていいだろ』


 そうである。

 雅古はこういうやつである。


 他人のために命を投げ出せるというよりは、ただ自分の命に無頓着。勇敢なように見えるが、結局は根明な自暴自棄。だから戦闘中も、自分の身を顧みず危険な行動をとる。

 したがってほぼ百パーセント、雅古が今何か樹季に言うのなら、大した葛藤もなく自分を殺せばいいと言うだろう。


 ――だけどそれは、俺が嫌なんだよ。

 樹季は春祭りの日に出した答えを、再び今日ここで出した。

 例え雅古が親には忘れられ、学校では嫌われ、雅古自身ですら生きる価値をあまり見出してなかったとしても、樹季は雅古に生きていてほしかった。


 そもそも雅古の本質は、捨てられた子供である。親に放置されて育ったせいか、どこか心が幼く、人として必要な何かが欠けていた。

 本人が拒否しないからと、自分たちの都合を未熟な子供に押し付けて死なせてしまうことは、どう転んでも正しくはない。やはり雅古を殺すのは間違いであると、樹季の中の決意が固まっていく。


 しかし、シュラが宿った繋がりを断ち切ることができなければ、樹季が殺さなくても別の誰かが雅古を殺すであろう。


 ――俺は、どうすればいい? どうすればお前のその呪いを解くことができる?

 樹季は畳の上に寝転がり、頭を抱えた。天井は低く、電燈は古い。


 樹季は結局、その日は何も決められなかった。

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