19.少女と真実
樹季が目を覚ますと、そこはどこかの廃墟のような場所だった。埃っぽい床に横たわっていた体を起こして見回せば、だだっ広く柱が無数にある薄暗い空間が広がっている。
いつか、この場所を見たことがある気がした。まったく同じ光景ではないにしろ、その一部一部にはなぜか懐かしさがあった。
天井を見上げれば、円形に世界地図のような柄が描かれている。
――あ、ここってまさか、昨日来たショッピングモールの閉鎖部分?
小さいころに見た、改装オープンしたショッピングモールの前身である商業施設の玩具売り場。その天井の柄と、今見ている柄は同じであった。棚も商品も全てなくなってがらんとしてはいるが、よく見れば確かに来たことある場所である。
「あなた、記憶力いいね」
後ろから、幼い声がした。
振り返るとさっきまでは誰もいなかったレジ台の上に、黒いコートを着た少女が座っていた。昨日レストラン街で見たあの少女である。少女の膝には、気を失って寝かされた雅古の頭がのっていた。雅古の顔はいつも昼寝しているときと変わらず、普通に眠っているだけのように見えた。
樹季は状況が呑み込めない。
「君、何者……? っていうか、何で雅古を?」
「あぁ、この人は私の同胞の憑代なんだよ。ちっとも覚醒しないから、強制的に起こそうかと思って呼んだの。そしたらあなたまで付いてきちゃって」
少女は黒いタイツを履いた足をぶらぶらさせながら、雅古の髪を愛おしげに撫でた。
「で、私は初瀬……。この体の名前は綾だけどね。一応、本人の許可を得て使わせてもらっているよ」
樹季はうっすらと、少女の正体を理解した。恐らく、少女はシュラの元となっている亡霊の中でも、かなり人格をはっきり持っている方の存在なのだろう。だからこそ、普段戦っているシュラと違い、物や動物ではなく普通の人間の体を乗っ取っているものと思われた。
「君も……シュラなのか」
自分の直感を確かめるように、樹季は問いかけた。
「私たちをシュラと呼ぶのはあなたたちだけだよ。私たちには、私たちでしかないもの。私たちは、あなたたちをコトヒトって呼んで区別する」
初瀬の瞳の奥に、怒りがこもる。今度は初瀬が、樹季に尋ねる。
「樹季君、だったっけ。ここはどこだと思う?」
「この地方最大らしいショッピングセンター?」
「もっと大きな意味で」
「日本」
「もっと」
「地球?」
少女の姿にふさわしい、小学生のような問答。自分の望んだ答えが出たことに満足した様子で、初瀬が頷く。
「そう、ここは地球だね。でもあなたたちの地球じゃないよ。ここは、あなたたちが住んでいた地球とは違う、別の次元の並行世界にある私たちの地球。だけど、あなたたちコトヒトが私たちから奪った」
「は?」
あまりに突飛な初瀬の話に、樹季はまぬけな声を上げてしまった。だが話についていけてない樹季に構わず。初瀬はさっさと話を進める。
「四、五百年くらい前……あなたたちの歴史じゃ西暦二二○○年代、だったかな。隕石の衝突か何かで世界滅亡を目前にしたあなたたちは、別の次元にあった私たちの地球を見つけ、自分たちが暮らすためにそのまま移住することにした。でも一つ問題があった。その地球には、その地球の住民がいた。それが私たち」
初瀬の声は小学生らしく甲高いが、そのたたずまいは淡々として、常にどこか憤りを秘めていた。
「共生する道もあったはず……。でもあなたたちは、私たちを滅ぼす道を選んだ。私たちの文明はあなたたちよりも進んでいなかったみたいだから、私たちは簡単に焼かれ、殺され尽くされた」
ふさふさのまつげの奥の黒い瞳に、激しい感情が帯びていく。怒りに絶望、悲しみが、本来ならば屈託なく過ごしているはずの年頃に見える少女の顔に刻まれた。
――俺たちが侵略者だって、そう、この子は言ってるのか……?
初瀬の話の内容は、なんとか理解できた。だが、それが自分たちの世界の話だとは到底思えない。どこかのゲームか漫画の設定としか、考えられなかった。
しかし、目の前で静かに怒りを秘めてこちらを見つめる少女は現実で、冗談や嘘には見えない。
そのまま初瀬はゆっくりと、樹季の属する世界の罪を糾弾した。
「私たちを滅亡に追い込んでから、あなたたちは少し前の文明の段階からこの地球でやり直したみたいだね。さすがに最初から高度な文明ごと移住するには、時間も資源も足りなかったんでしょう。そしてあなたたちは、私たちを滅ぼしたことを忘れてこの地球で生きている」
初瀬の表情が一層冷たく、厳しいものになる。
「そんなこと、許せるわけない。だから、私たちは、復讐するんだよ。魂だけの存在になって、未来がなくて、どっちにしろ消えゆくだけの存在だとしても、私たちはあなたたちに仇を成す」
深い憎しみを込めて、初瀬は言い切った。
得るものも失うものもない存在の恨みの救いようのなさを、そのとき樹季は感じた。
初瀬たちシュラの目的は、自分たちの復活でも、世界を取り戻すことでもない。ただただ樹季たち人類を不幸にするためだけに、存在する。
そういう感情と戦う樹季たちの勝利条件は、シュラたちよりも限りなく遠く難しい。
少女の言葉に偽りは感じられない。だが、樹季はどうしても現実のことだとは信じられずに目をそらした。
「……そんなヨタ話、信じられるわけないだろ」
「じゃあ、これで信じてもらえる?」
初瀬は真っ黒なコートからのぞく白い手を雅古から離し、樹季にかざした。すると赤い光が手のひらから発され、樹季の目の奥に幻を映した。
背の低い家屋が並ぶ集落……だったはずの場所が燃えている。そのほとんどは崩れ、焼け焦げ燃えていた。赤く染まった空には、爆撃機であろう銀色の三角形が飛んでいる。
炎は激しく広がり、黒い煙があたりに立ち込める。その中を焼けただれた人間が、折り重なって倒れていく――。
幻はそこで終わり、樹季は我に返って目を見開いた。まるで先ほどまで自分が焼かれていたかのように、息が上がっていた。
「――今のは?」
「私、つまりあなたたちの言うシュラ、の記憶の一部だよ」
初瀬は落ち着いた口調で、再び眠る雅古の頭に手を戻した。今樹季にしたことと同じことを、雅古にはずっとしているのだろうか。
「こんな記憶っ……」
樹季はそれでもなお信じられずに否定しようとした。生々しい幻覚ではあるが、確たる証拠だとは思えなかった。思いたくなかった。
「こんな、って言われたって、私たちは記憶だけの存在だもの。それ以外は、出せないよ」
初瀬は自分を認めない樹季を責めるように、顔をしかめた。
しばらく、二人は無言でにらみ合っていた。どちらが折れるか、試しているような時間が過ぎる。
――どうもこれは、本当のことなのか……?
少女の迫力に押され、樹季は初瀬の話を信じつつあった。
そして負けたのは、樹季の方であった。
「さっき同胞の憑代って言ってたが、まさか雅古も?」
樹季はためらいがちに、初瀬の話が真実だということを前提に尋ねた。
初瀬は小さく笑って、それに答えた。慈しむように、膝の上の雅古に目を落とす。
「そうだよ。この人には、酷く苦しんで焼け死んでしまった私の同胞……弥雲っていう名前なんだけど、その子の魂が宿っている。私が把握している同胞の中でも一番強い力を持っているんだけど、人格を保てないほど深く傷付けられた未熟な魂だから、なかなか目覚めてくれなくて。でも多分、もうすぐきっと起きてくれる」
「それは……あの失踪事件の日、雅古に宿ったものなんだな」
樹季はその時、やっと初瀬の話を本当の意味で理解し始めた。
――だからあの日、雅古だけが死にかけたのか……。
ずっと引っかかっていたことと結びついた瞬間、樹季の中で全てが腑に落ちる。
初瀬は、急にものわかりが良くなった樹季を見上げて説明した。
「察しがいいね。あの日、弥雲の母親の魂はあなたたちコトヒトとの戦いの中で摩耗して、消失寸前になっていた。だから自分の子の魂の憑代としてこの人を選んで消えたの」
嬉しげに微笑み、初瀬は続ける。
「結構弥雲の魂の憑代になるのって大きい負担だったと思うんだけど、この人、ちゃんと生きててくれたみたいで良かったよ。これで一人また、私の同胞が蘇る」
得体の知れない魂を体に入れられた雅古の事情を一ミリも考えていない初瀬の言葉に、樹季は手を握りしめた。
――雅古は、別にこいつらのために生きているわけじゃない……!
今まで感じたことのなかった、シュラという存在への根源的な嫌悪感が樹季に芽生える。幻を見せられた時に感じた同情も薄れる。
想像はついたが、震える声で樹季は確認した。
「……その場合、雅古はどうなる?」
「弥雲は他の同胞よりも憑代の記憶を侵蝕する力が強いから、雅古って人の人格が多少残ったとしても全部忘れた残りカスみたいな存在だね」
初瀬は大したことなさそうに答えた。初瀬にとっては、コトヒトという侵略者である雅古や樹季の記憶は、どうでもいいことなのだろう。
――雅古は雅古だ。俺の友達だ。こいつらにどんなに不幸な過去があったとしても、雅古の記憶を奪う権利は絶対にない!
樹季は、はっきりと初瀬という少女を敵として認識した。
「そんなこと、させるかよ」
学生服の内ポケットに入っているカードに手を伸ばし、樹季は身に着けたままの腕輪にスライドさせ変身しようとする。
だが、初瀬の反応も早かった。
「イツマデ、来て!」
初瀬が叫ぶと、どこからか黒い怪鳥が姿を現し樹季に飛びかかった。ひどく耳障りなしわがれた鳴き声が、樹季の三半規管を乱す。
それでも何とか踏みとどまり、樹季は腕輪にカードをスライドさせた。しかし、腕輪はいつものようには光らず、変身も何も起きなかった。
「くそ、何で……」
樹季はもう一度、カードを入れてみた、だが、結果は変わらない。
「変身できないなら、あなたはただの男子高校生だね」
自分の元に怪鳥を呼び寄せ、初瀬はその背に雅古を置きレジ台から下りた。そして、声を押さえて歌いだす。すると、初瀬の体が赤い光に包まれた。
歌の効果なのか、ばりばりと音をたてて、樹季の真上の天井がはがれて降ってくる。樹季は慌てて後ずさり、それを避けた。だがそれでも、細かい破片の一部が頬に当たり傷を作った。
樹季はその血をぬぐい、余裕の笑みを浮かべる初瀬を見据えた。幸い傷は浅かった。
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