16.二度目の戦闘
二人は森の木々の間をすり抜けて、四足で走るシュラの前に飛び出した。
異変に気付いたシュラが、ごぽごぽと排水管で水がつまるような音をたててスピードを緩めた。
樹季がまず地面を蹴って、三叉の大刀で一撃を繰り出した。銀色の大刀が、稲妻のように光る。
当てるつもりの攻撃であったが避けられ、大刀はシュラの足下に突き刺さった。
一瞬動きが止まる樹季。
その隙をついて、シュラが胴体の一部の肉塊がぞわぞわと形を変え、赤黒い口のような穴を現した。鋭い針山のような黒い歯が、見えていた。その空洞から、腐った肉のような異臭が放たれる。
次の瞬間、その穴から黄ばんだ粘着性のある液体が発された。
「っと」
樹季は素早く大刀を地面から引き抜き、後方へ跳んで避けた。黄ばんだ粘液は木々の枝に絡まり、葉を溶かした。
そして今度は雅古が、樹季に注意が向かっていたシュラの後ろをとる。
「見ろ、練習の成果っ!」
そう言って雅古は、手にしていた輪の内一つをフリスビーのように放った。
金色に輝いて回転し飛んでいく輪はシュラの脚に直撃し、弧を描いて雅古の手元へ戻って行く。
「どうよ?」
誇らしげに微笑んで、雅古はその輪を受け止めた。木々の間から射しこむ午後の太陽の光に照らされて、赤い鎧が炎みたいにゆらゆらときらめく。
切り裂かれたシュラの傷からはぼとぼとと蛆のような蛭のような肉塊が大量に落ち、赤い内側の肉が見えた。
その攻撃に怒ったのか、シュラが水を啜るような不快な音をたてて雅古に負傷して無い方の脚を上げて跳びかかった。ぽっかりと空いた赤黒い口が、雅古を飲み込もうとさらに大きく広げられる。
雅古はその口から逃げようとはせずに、二つの輪を手に低く構えた。
野犬のような俊敏さで、黒い四足の影が雅古の守備範囲に触れる。
「来いよ、幽霊!」
雅古はその勢いに怯えることなく、両足を力強く踏み込んだ。そして、そのまま左手に握った輪を赤黒い口腔に突っ込み横に切り裂いた。
飛び散った体液が顔に付着する。
深く重大な痛手に、シュラは激しく咆哮した。自分を傷付けた武器を噛み砕こうとして口を閉じ、雅古の左手の輪を白い針山のような歯で絡めとろうとする。
雅古はこれも避けずに、逆にわざわざ輪をシュラに噛ませた。そして、その輪を持った左手でシュラを自分に引き寄せ、右手の輪でシュラを殴打する。
――それはちょっと向こう見ずすぎるんじゃ……。
うまくいく自信があるのだろうが、本質的なところでは自分の身を顧みていない雅古の戦闘方法に、樹季は見ていて不安になった。胸の奥がすぅっと冷えていく心地がする。
だが雅古の方は余裕なもので、笑みを崩さないままシュラの胴体に蹴りを入れて輪を強
引に引き抜いた。そしてさらに、右手の輪で下からもう一撃。
衝撃でシュラの肉塊に覆われた体が後方に吹っ飛ぶ。その口からは、黄ばんだ粘液が漏れていた。
「樹季、そっち行ったから、トドメよろしく!」
野球の送球中みたいに、雅古が樹季に呼び掛ける。
「う、うん。わかった!」
樹季は慌てて、地面と木の幹を順番に蹴って高く跳躍した。そして、飛んでくるシュラの体に大刀を向ける。
飛んでくるシュラは樹季の位置を的確に捉え、その真っ黒な四足の身体で蹴りかかろうとする。
そのシュラには目は見当たらなかったが。樹季はそれと目が合った気がした。
その時、空中で一瞬時が止まったような感覚になって、樹季は相手と自分がこれからどう動くのかがはっきりと見えた。
「くらえ!」
頭の中のイメージに沿わしていくように、樹季はその攻撃するべき場所に大刀を振り下ろした。
三又の大刀は、シュラの胴体を上から真っ直ぐに貫通した。黒い肉塊が勢いよく飛び散って、樹季の青い鎧を汚す。
樹季はそのまま大刀を握る力を緩めず着地し、シュラの体を地面に叩きつけた。
シュラが死にそうな弱弱しい音を発する。その脚は樹季に触れることなく、虚空をあがいた。
――よし。これで終わりだ。
とどめをさせたと感じた樹季は、大刀を抜いて地面に横たわる黒い躰から顔を上げた。
だがそのとき、シュラが最後の力を振り絞り、一瞬の隙をついて樹季の足にかぶりついてきた。
――まだ来る?
戦闘は終わったものだと思っていた樹季は対応に出遅れ、うろたえた。
だが、その歯が樹季に届くことはなかった。
雅古が樹季が気づくよりも先に反応し、輪をシュラに向けて投げていたのである。
輪はシュラの胴体を真っ二つに切り分け、雅古の手元に戻っていった。
完全に息の根を止められたシュラは、黒い霧となって蒸発した。
「樹季はつめが甘い」
雅古が変身を解いて、樹季を笑いながらたしなめた。
「……ごめん」
樹季も変身を解いて、気まずそうに耳をかいた。最後に自分に非があったことは、素直に認められた。だが、途中の雅古の行動には注意しなくてはならないと思ったので、言い返した。
「だけど、雅古のあのわざと敵の攻撃を受けるような戦い方もどうかと思うよ?」
とがめるような口調の樹季に、雅古はまったく悪びれずに頭の上で両手を組んだ。
「いいじゃん。別に怪我してないし」
「今日はしなくてもさぁ」
樹季は雅古のしれっとした顔をにらんだ。
その時、ふいにどこかから歌声が聞こえた。
「この歌声……」
何を言っているのかはわからなかったが、それは確かに小さな女の子の歌声だった。
「これってあの祭りの夜にも聞こえた歌だよな」
雅古にも聞こえているようで、あたりを見回す。樹季も森の中に目をこらすが、歌声の主は見えない。
「どこに……?」
樹季はふと、木々の隙間から空を見上げた。青く澄んだ、雲の少ない晴天である。
すると、空の高い場所に黒い大きな怪鳥に乗った人影が浮かんでいるのが見えた。
目をこらせば、それは十二歳前後の少女だった。5月も半ばなのに真っ黒なコートを着て、こちらを見つめていた。
――女の子……? っていうか何で飛んで……?
しかし瞬きをすると、その姿は消えた。
歌声も、いつの間にか止んでいた。
樹季は雅古をひじでこづいた。
「雅古、見た?」
「え、見てない。何が?」
雅古は、少女の姿を見ていないようであった。
「雅古が見てないなら、気のせいかな……」
樹季はそうつぶやきつつも、気のせいではなかったと確信しつつ考え込んだ。
少女の存在は、どう考えてもシュラと関係があるとしか思えなかった。
――今まで戦ったシュラはどれも、どこからどう見ても化物だった。だけど、人間の姿をしたシュラも存在するのか?
樹季は不安な気持ちで、少女がいた場所をもう一度見た。
意思疎通ができない黒い塊と戦うのと、言葉が通じる人の形をした敵と戦うのでは、まったく覚悟の決め方が変わってくる。
――佐久夜、きっと俺の声、聞こえてるんだろ。何なんだよ、あの女の子は?
樹季は頭の中で、佐久夜に問いかけた。だが、佐久夜は聞いていないのか、聞いていないふりをしているのか、答えない。
「無視かよ」
小さくつぶやいて、樹季は毒づいた。
だが雅古はさっさと謎の歌声のことは忘れて、樹季の肩に手を置いた。
「ま、とりあえず、これで晴れて俺たちはこの街を守るヒーローに名実ともになったわけだ」
そして、精悍で整った地黒の顔で、樹季ににっこりとほほ笑む。
「まぁ、ね」
樹季は複雑な気持ちでその手の上に自分の手を重ねた。雅古の手は大きく暖かいが、不安は消えない。
戦う決心をしたと思ったら、今度は敵の存在に謎が出てきて揺らぐ。樹季はなかなか迷いを捨てられない。
しかし、今は考えても仕方がないことなので、笑顔を取り繕った。
「とりあえず、家に帰ろうか」
「うん。今日はせっかくだし、豪華な晩ご飯で!」
雅古は異常にテンションを上げて、声を弾ませた。
樹季と雅古は、とりあえず各々の自転車と原付を取りに森を歩き出した。木々を照らす大洋の光は、もうオレンジ色になりつつあった。
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