13.大人の事情

 菊川は車を駐めると、樹季を建物の中に案内した。

 白色のコンクリートでできた四、五階建てのその建物は、新築っぽい他は何の変哲もない外見だった。中身は少しは変わっているのではないだろうかと期待したが、少なくとも樹季が通された場所はいたって普通だった。ベージュの床材の敷かれた廊下に、白い壁。ドアはすべて木目調の引き戸で、段差は少なく、最近のバリアフリーな建物という感じである。


 玄関のすぐ近くのロビーらしき場所に置かれたソファに、雅古が座って待っていた。足をぶらぶらとさせて暇そうな様子であったが、樹季たちが到着したことに気づくとすぐに立ち上がって駆け寄った。


「やっと来た。俺、待ちくたびれたんだけど」

「急に呼ばれたんだから、仕方がないだろ。真面目に登校してたわけだし」


 不満げな雅古に、樹季は言った。雅古は基本的にだいたい自分の都合しか考えていないので、こういう反応には慣れていた。


「じゃあお二人さん、こっち来てもらっていいかな?」

 菊川が樹季と雅古を手招きしたので、二人はそれに従った。

 社員らしき人たち数人とすれ違ったが、皆それなりに若いということ以外、特別な感じはしなかった。

 菊川の後についてしばらく進むと、突き当りの部屋になった。他の部屋と同じような、真新しいこと以外はごく普通のドアの部屋である。


「辻、入るよ」

「ふぁーい」

 菊川が軽くノックをすると、半分あくびのような返事がした。

 ドアが開けられ、中に入る。


 カーテンが締め切られ薄暗いその部屋に待っていたのは、メタルラックに収められたたくさんのパソコンと、ぼさぼさの頭の眼鏡をかけた白衣の青年だった。

 メタルラックと揃いでしつらえられた机につっぷした姿勢で、こちらを見上げている青年の目はぼんやりとしている。

 佐久夜が冷ややかな目で青年を一瞥する。


「また寝てたんですか? 辻さん」

「うん、まぁ……三時間くらい……」

 結構がっつり寝たな、と見知らぬ年上相手だが心の中で突っ込む樹季。

「三時間て、寝過ぎじゃん」

 雅古の方は、気兼ねすることなく思ったままのことを発した。


 だが、辻と呼ばれた青年は気にしていない。というよりもまだ完全に覚醒しておらず、馬鹿にされたことを理解しているかどうかも怪しかった。


 菊川は慣れた様子で、部屋のあちこちから物を出した。

「この椅子使うよ。あとこの菓子ももらうから」

 半分眠ったまま部屋の主に代わって、菊川はてきぱきと来客の準備を整えた。


 樹季と雅古は並べられたパイプ椅子に腰掛けて、薦められるがままに最中とペットボトルから紙コップに注がれたお茶をもらった。佐久夜も並んで座ったが、お茶にもお菓子にも口をつけなかった。


「ええっと、ご紹介が遅れました。ここタケフツ社豊比良支部の責任者やってます。辻夏彦(つじなつひこ)です。君たち二人が新しいドライバーの適応者だね」

 辻は眠そうに眼鏡の下から目をこすりながら言った。

 二個目の最中を頬張りながら、雅古が答える。

「うん。俺が雅古で」

「俺が樹季です」

 雅古に続いて、樹季も名乗った。


「朝から急に来てもらってごめん。今日はいろいろお話したいことがあるんだけど……。ね、二人にどこらへんまで話した?」

 辻はどこからそのまま腕を組んで考え込み、佐久夜と菊川に尋ねた。菊川は何も言わず、そのまま佐久夜を見た。

「ほとんど何も」

 佐久夜が言葉少なく答える。


「それなら最初からだね。ちょっと長くなるけどいい?」

「俺はかまいませんよ」

 面倒くさそうに頭をかく辻に、樹季は急かしたい気持ちで言った。早く本題に入ってほしかった。

「ちゃんとわからんかもしれんけど、俺もいいよ」

 雅古は、好奇心で目を輝かせている。


「じゃ、まずは敵の説明からかな」

 そう言って、辻は音をたててお茶を飲んだ。


「昨日君たちが倒したあれのことを、私たちはシュラと呼んでいるのだけど」

 辻が菊川と目くばせをして、言葉を選ぶ。

「でも私たちもあれのことをよく知っているわけではないんだ。ただはっきりしているのが、あれが何かこの世に恨みを残した亡霊のなれ果てだということだけ」


 辻は嘘をついているというわけではなさそうであったが、全てを話しているというわけでもなさそうな口ぶりだった。菊川は何も言わずに、辻の言葉にうなづいている。

 佐久夜の方は黙って、壁の方を向いていた。

 三人の様子にはどこか引っかかるものがあり、樹季はシュラと呼ばれる化物の正体について、何か隠されているような気持ちになった。


 ――どんな霊かわからないのに、どうして恨みを持っているとわかるんだ?

 だが樹季の疑いにかまうことなく、辻の説明は次に進んだ。


「どこのどういう霊なのかはわからないけど、シュラは人やその他の生き物に憑依しその姿を変質させ、人に害をなす。恐らくずっと昔からあぁいう存在はあったはずだよ。だけどここ数年特にそういうものの出現回数が多くてね」

 辻はあくびをこらえたような顔をして、机に頬杖をついた。

「公に隠すことができる程度ではあるんだけど、シュラの出現による死傷派も年々増加中なんだ。七年前の君たちのように、後からシュラによる被害者だったってわかる例もあるし」


「俺たちの事件も、そのシュラとかいうやつのせいだったんだ?」

 パイプ椅子から身を乗り出し、雅古が聞き返す。

「そうだと思うよ。シュラは消滅した時にその関わった人間の記憶からも消えてしまうから、当時はわからなかったけど。多分、君たちと接触したシュラは、その直後に何かがあって消えてしまったんだね」

 ――そうか、あの事件はシュラってやつのせいだったのか。

 長年考え続けてきた事件の真実が一つわかり、樹季は肩の荷を一つ下ろせた気がした。


「シュラに攻撃されて生きている人間はほとんどいないけど、まれに生き残った場合はシュラへの耐性ができて、戦うことができる力を得ることが多んだよ。だからそれっぽい事件の被害者には佐久夜君に会ってもらって。耐性の有無を確かめてるんだ。佐久夜君、そういうの見分けることできるから」

 辻が佐久夜の方を見てにっこりとほほ笑む。

 樹季は佐久夜がテレパシーのようなものを使うことができることを思い出しながら言った。

「いろいろできるんだな」

「……かわりに、戦闘能力は一切ない」

 佐久夜は少し間を置いて答えた。顔は静かに笑っていたが、その目にはどこか憂いを帯びていた。


 雅古は佐久夜の能力には興味を示さず、菊川に尋ねた。

「菊川って人も、シュラに襲われたことあんの?」

「僕はないよ。僕の使ってるドライバーは、適応できるハードルが低いからわりと誰にでも使えるんだ」

 スーツの袖をまくって、菊川はその下につけている赤銅色の腕輪を見せた。それは色以外はほとんど樹季と雅古が与えられた腕輪と同じに見えた。


「それでも、誰にでもできるってわけじゃないけどね。菊川は菊川でわりと特別だから」

 辻は補足しながら、机を引き出しを開けて会社案内のようなパンフレットを取り出しぺらぺらとめくった。

「で、そのシュラに対処するために作られたのがうちなんだけどね、政府とか自治体とかも絡んでるんだけれども、一応バイオテクノロジー系?の民間企業のふりをしております。実際にやっていることは、君たちみたいなシュラと戦える人材の管理や手配。あとは君たちも昨日もらったと思うけど、このファルヴェルンドライバーの開発・生産だね」


「これって、ファルヴェルンドライバーって言うんですか?」

 樹季は鞄の中の巾着から、銀色の腕輪を取り出した。

 辻はうなずき、説明を続けた。

「そのファルヴェルンドライバーは、基本シュラへの耐性がある人にしか使えない装置なんだけど、これを着けることでシュラと戦えることができるファルヴェルン、っていうヒーローちっくな存在に変身することができます」


「ヒーローちっくって……」

 辻の大ざっぱすぎる説明に菊川が吹き出す。つぼに入ったのか、割と爆笑に近い。

「うーん、だってヒーローみたいなもんっていう説明が一番わかりやすいし……」

 菊川の笑いっぷりに、辻は困った顔で腕を組んだ。

 ――ゲームとかじゃなくて現実の話なんだからさぁ、もうちょいちゃんと説明してほしんだけど。

 樹季も心の中で突っ込んだ。


 だが、雅古の方はまったく気にしていないようである。

「ふーん、つまり俺たちは選ばれたヒーローってことなんだな」

 どこの主人公だと問いただしたくなるような話の飲み込みっぷりである。いや、まだどこかの世界の主人公の方が、葛藤をしているかもしれない。


「まぁ、とにかくシュラと戦うことができる存在がファルヴェルンなんだけど」

 辻はむりやり話をまとめ、ファルヴェルンドライバーと呼ばれている腕輪とその付属品のカードを何枚か机の中から出した。

「何でもこれは、人の記憶で動くそうだよ。僕はちょっとした修理しかできないからよくわからないけど、中央にいるえらい科学者が、死者の恨みの記憶で存在するシュラに、生きてる人間の記憶で対抗できるよう、いろいろ考えたとか」


 辻はカードを一枚一枚めくって、樹季と雅古に見せた。

「使用者はこのカードを使って、記憶をこのドライバーを動かす力に変えることができます。変換する記憶によって引き出せる力が違うから、カードもそれに合わせて種類がたくさんあるよ」

 そう言って、辻は昨日樹季と雅古が与えられたのと同じ絵柄のカードを手に取り、二人に見せた。


「それでえぇっと、いろいろお話したけど、ご理解してもらえたかな?」

 話の区切りがついたことに気づいた辻が、樹季と雅古を交互に見て確認する。

 雅古はにっこりと馬鹿っぽく笑った。

「とりあえず、昨日のやつと昔俺たちが会ったらしい化物は幽霊みたいなもんってことだな」


 ――要するに、雅古は最初の方しかわかってないってことか。

 途中から雅古が理解を放棄していたのは感じ取っていたが、樹季は面倒なのでそこには触れないでおいた。


「俺もわかりましたよ」

 樹季は本当のことは何一つわかった気はしなかった。ただ辻が、というかこのタケフツ社という組織が話をどういうことにしておきたいのかは理解した。納得は全然していないが、ある程度の状況は察した。


 とりあえず話を突き通すことができたことに安心したのか、辻はほっと息をついた。

「じゃ、ここからが本当は本題だね。君たちは七年前にシュラに襲われたけど運よく生き残り、シュラへの耐性を持った。そして昨日佐久夜君からドライバーをもらって適応して、見事出現したシュラを倒した。私たちとしては君たちがシュラと戦ってくれる仲間になってもらえると非常にうれしんだけど、どうかな」

 辻はあくまでお願いするかたちをとって、接していた。


「選ぶ余地があるんですか?」

 樹季はその姿に胡散臭さを感じて、つい反抗的な口調で聞き返した。

 辻は微笑を崩さずに答えた。

「私たちは無理強いはしないよ?」

「昨日は問答無用でしたけど」

「あれは佐久夜君のやり方だから」

「年下の僕に責任転嫁ですか。まぁいいですけど」

 佐久夜は冷ややかに辻を見た。辻はしれっとお茶を飲んでいた。

「俺は、やるよ」

 とくに迷う様子もなく、雅古は言った。


「雅古、」

 そうなるだろうなと思いつつも、樹季は少し雅古をよく考えさせたい気持ちになって名前を呼んだ。

 軽く椅子から立ち上がって、雅古が樹季を見下ろす。

「だって面白そうじゃん。樹季はやらんの?」

「そういうわけじゃないけど……」


 樹季はその何も考えない強さを持った瞳を真っ直ぐ見ることができずに、うつむいた。

 辻はその曖昧な返事を、非常に前向きに捉えていた。


「そっか、引き受けてくれるんだ」

「やるとも言ってません」

 樹季は即座に辻の言葉を否定した。


 ――今の話で「はいそうします」って言えるほど、俺はおかしい人間じゃない。

 断りたいわけではないが、納得したとは言い難かった。腑に落ちない話に、乗りたくはなかった。


「君はどうする?」

 菊川がじっと樹季を見て尋ねる。

 樹季は顔を上げて、はっきりと言った。

「少し、考えさせてください」

「えぇー、何で?」

 雅古が心底不思議そうな声を出す。

「何でって、お前は簡単に決め過ぎなんだよ」

 樹季は雅古の不満げな顔を見た。雅古のことは好きだけど、雅古のように全てを直感で決めることができる人間の気持ちはわからないと思った。


「わかった。じゃあ、私たちは待ってるよ」

 辻が仕方がなさそうに、肩をすくめた。

「これで樹季君も来てくれたら、シフトも大分楽になるんだけどなー」

 菊川が期待の目で、ちらちらと樹季の様子を伺う。


 シフト制、という意外な響きの単語に樹季は思わず聞き返した。

「え、そのファルヴェルンとやらってシフトで動くんですか?」

「まぁ、正義のヒーローが土日休みじゃ困るでしょ」

 菊川は面倒くさそうにどぎつい金に染めた髪をいじった。とてもその姿は正義のヒーローには見えない。


 辻は樹季を安心させるように、笑顔で説明を重ねた。

「でも何もなかったらどこにいてもいいし、学業優先でも大丈夫だよ。菊川なんかはシフトに入ってないときは死んでも出てこないからね」

 菊川が慌てて、辻の言葉に自分でフォローを入れる。

「あ、でもさすがに世界滅亡ってなったら出るよ。僕も困るし」

 ――死んでも出ないって、他人が死んでもってことかよ。

 フォローがあまりフォローになっていないのであるが、この場には樹季以外そのことを気にする人間はいないようだった。


「じゃあ、俺、このファル何たらバーの力、もっと試してみたいんだけど」

 雅古が目を輝かせて、辻の前にある机に身を乗り出す。

「ファルヴェルンドライバー、ね。いいよ。敷地内に練習室みたいなのがあるんだけど……、樹季君はどうする?」

 辻は途中で言葉を切って、樹季の様子を伺った。

「……今日は帰ります」

 少し考えて、樹季は答えた。さすがについていけなかった。


 菊川が立ち上がり、ポケットから車の鍵を出す。

「そっか。じゃあ僕が車で家まで送るよ。途中で学校寄って自転車を拾おう」

「母親にあれこれ聞かれるの嫌なんで、途中で下してください」

 樹季は切実に要望を伝えた。あの過保護な母親が今の自分の状況を知ったらどんな反応をするか、考えたくもなかった。

「じゃあ菊川、そうしてあげて」

 異常に冷たく母親の話をする樹季を、興味深そうに辻は見ていた。


「じゃ、な。樹季」

 雅古は適当にさよならをした。すっかり新しい力に夢中になっている雅古は、樹季のことをあまり気にしていない様子であった。

 菊川と一緒に部屋を出ようとする樹季に、佐久夜が駆け寄ってささやいた。


「いい返事を待っているよ、樹季」

 そう言って樹季を見つめる色白の顔は、やはり端正で美しかった。

「お前に待たれても、俺の考えには関係ないね」

 樹季は言葉だけは強気に答えて、部屋を出た。


 その場はそうして解散になった。

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