6.未解決事件

 豊比良市二児失踪事件と呼ばれるその出来事が起きたのは、九月中旬のことだった。樹季も雅古も、事件の記憶は全く残っていない。

 ただ知っているのは、事件後に読んだ記録に書いてあることのみである。


 ◆


 七年前の九月十二日、豊比良市井河町で、豊比良小学校に通う男子児童二人が、行方不明になった。その二人が、樹季と雅古である。

 樹季の母親・文月が息子が戻ってこないことを不審に思い、豊比良分署に通報したことがきっかけで、事件は発覚した。


 当初、事件の被害者は樹季一人と考えられていた。樹季と雅古が二人で農業用道路を歩いていたという目撃証言があり、警察が雅古の証言も得ようと八十宮家を訪問したが、祖母しかおらず、雅古も行方不明になっていることが判明した。雅古は夜遅くまで家に戻らないことが多く、祖母はまったく通報を考えていなかった。母親にいたっては、雅古が戻っていないことすら知らなかった。


 最後の目撃証言が御比良山の方へ歩いていたということで、捜査は御比良山を中心に行われたが、一つの手がかりすら見つからなかった。

 そして警察も打つ手をなくした四日後、早朝に山菜を取りに山を歩いていた老人に二人は発見された。


 樹季は意識はなかったものの外傷はなく、搬送中に目を覚まし、次の日には家に戻った。

 だが、雅古の方は全身に裂傷があり、息はあるものの非常に危険な状態だった。完全に意識を取り戻したのは一週間後のことである。


 樹季も雅古も事件のあった日の記憶をすべて失っており、その後の捜査は難航した。雅古は何によって怪我を負わされたのか、二人が遭遇したものは何なのか。そもそも事件なのか事故なのか、それすらも曖昧であった。


 結局事件は未解決のままである。だが、多くの謎を残しつつも死人のいないこの事件は、すぐに人々の記憶から薄れていった。周辺住民は神隠しだとささやいていたが、そういった声もそのうち消えた。


 ◆


 というのが、樹季と雅古の巻き込まれた事件である。


 樹季は、新聞の切り抜きなどをまとめたファイルをぱたんと閉じた。白い組み換え式の学習机の引出を開け、奥の方にファイルをしまう。樹季の部屋は全体的に白い家具でまとめられている。それは母・文月の趣味であった。

 机と揃いのデスクチェアの背にもたれて、樹季はいらいらと腕を組んだ。


 ――なぜあの佐久夜とかいう転校生はこの事件のことを……?


 佐久夜の存在のことは、一日中引っかかっていた。だが事件のことを思いだすうちに、樹季の思考は次第に佐久夜から雅古のことへと移っていく。

 雅古の方は事件の日の記憶どころか事件があったという事実すら忘れているようだが、樹季の方はそうはいかなかった。


 樹季は自分が無傷で雅古が重傷だったのは、自分が雅古に何かから庇われたからだと考えていた。そういった記憶があるわけではない。ただ直感として、確信していた。


 ――あの日から俺は、あいつに謝りたくてしょうがない。でもあいつは多分、俺が何を謝りたいのかを理解しないだろう。


 樹季は一度だけ、事件後まだ意識が戻っていない雅古と面会する機会を与えられたことがある。恐らく、何か思い出すことを期待されていたのだと思う。結局何も思い出せなかったが、その面会の時のことは、今でもはっきりと覚えていた。


 ベッドの上で管を何本も繋がれて横たわる雅古を見たときから、樹季はずっと負い目を抱えて生きてきた。

 樹季が雅古の側にいるのは、雅古のことが好きだからである。しかし、どうしてもそこに、罪悪感や償いといったものが入ってきてしまう。


 ――何があったにしても、傷を負ったのはあいつの方だった。俺はあいつに、雅古に何ができる?


 樹季は机のすぐ前の窓から空を見上げた。田舎の深夜の、星の多い空である。

 その問いの答えになるかもしれないことを、樹季は実行し続けている。しかし、本当の意味で気が晴れたことは一度もない。

 そして明日も明後日も、樹季は雅古の隣にいるための自分であり続けるのである。

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