5.部活

 走り去った樹季は、教室での不気味な出来事を忘れるために、人のいる場所を求めて運動場へ向かった。


 八百メートルコースをとってもまだなお余裕のある運動場では、野球部やサッカー部が練習をしている。人口の少ない地域の学校であるので、どの部もあまり部員がいない。

 何となく、足がクラブハウス棟にある陸上部の部室に行く。ほとんど幽霊部員であるが、樹季は一応陸上部に所属していた。


 校庭の隅に立つ薄茶の細長い建物が、クラブハウス棟である。かつては真っ白だったそうだが今ではもう薄汚れて、所々の塗装がはげていた。

 ソフトボール部や廃部になっている部活の部室を通り過ぎて、樹季は陸上部の部室の前へと歩いた。

 銀色の金属製のドアに「男子陸上部、部員募集中」とマジックで書かれた張り紙が貼ってある。開けようとしたところで、内側からドアが開いた。中から、友人の杉浦が現れる。


「あれ、鏑木じゃん」

 樹季と同じく陸上部員である杉浦は、やたらうるさく響く声で樹季に呼びかけた。

「何、やっと全国目指す気になってくれたん?」

 杉浦の丸顔が、きらきらと輝く。杉浦は必要以上に、樹季の実力を買っていた。

「いや別に。ただちょっと、体を動かそうかなと思っただけで」

 樹季は適当に受け流した。陸上部では、短距離をやっている。走ることはそれなりに好きだが、極めたいと思うほどの情熱はなかった。


「じゃあ久々にタイム比べだ。小笠原に測るの頼んでくるわ」

 話を聞いているのかいないのか、杉浦は女子マネージャーの小笠原を探して駆けて行った。


 ――でもまぁ、せっかく部活に顔を出したわけだし、活動の痕跡を残すのも悪くはないかな。今日は余りもの中心の献立だし、雅古にも日直で遅くなるかもと伝えてあるから急がなくてもいいし。

 樹季は部室に入り、体操服に着替えた。運動場に出ると、他の部員も声をかけてきた。


「わ、鏑木? めずらしー」

「部活に来たの、一か月くらいですか?」

「うん、まぁ、それくらいじゃないかな」


 アップをしながら、樹季は言葉少なく答えた。個人競技ならではのゆるさに、安心した。

 陸上部の部員数も少なく、全学年含めてやっと十人いるかいないかである。


「鏑木、準備できたぁ?」

 百メートルコースの端から、杉浦の声が聞こえた。反対側を見ると、女子マネージャーの小笠原が、こちらは大丈夫だというような感じで手を振っていた。


「わかった、今行く!」

 樹季はスタートラインへと向かった。このようなきちんとした形で走るのは、久しぶりのことであった。


「お前がバッタなら、俺はアリだからな」

 杉浦は走る姿勢をとりながら真顔で言った。ちょっと意味がよくわからないが、おそらく「アリとキリギリス」の話のことを言いたいのだろう、と樹季は推測した。

 樹季もスターティングブロックに足をかけて両手をついた。


「じゃあ、行くよー! 用意!」

 小笠原が大声で叫ぶ。

 樹季と杉浦は無言でそれに答えた。

 ピッと短く笛の音が鳴る。

 二人はほぼ並んで駆け出したが、スタートはわずかに杉浦の方が早かった。


  ――さすがに、毎日練習している奴は上手いな。

 樹季は素直に感心したが、同時に負けたくない気持ちに火がついた。意識したわけではないが、スピードが上がる。風を切る音が聞こえる。

 気づけば、樹季は杉浦よりも先にゴールしていた。


「鏑木君十秒九七、杉浦君十一秒一二だよ。二人ともまずまずだね」

 小笠原がにこにことタイムを告げる。

 振り向くと、遅れてゴールした杉浦が悔しそうに膝に手をついていた。

「……っ――、やっぱ鏑木、早いな。最初は勝ったと思ったんだけどな」


 杉浦と樹季は、隅にある荷物置き場に移動して、お茶を飲んだ。流れでほかの部員も休み出して、それは結構長めの休憩になった。部員たちは、思い思いに雑談をしだす。


「杉浦先輩、今期のアニメ、何見ます?」

「うーん、ロボットものは三つとも見ようと思ってんだけど、いまいちぴんと来るのがない」

「最近のロボ物、続編ばっかりだもんな」

「それはロボットアニメに限ったことじゃありませんが……」


 不思議なことに、陸上部は部員のほとんどがアニメオタクと呼ばれる人種だった。類は友を呼ぶと言うのだろうか。どちらかと言うとゲーマーの樹季は特にその手の話題に詳しくないので、黙ってぼんやりしていた。


「……で、鏑木はどうする? 来る?」

「え? 何が?」

 急に名前を呼ばれて、樹季はびっくりして聞き返した。


「若葉祭だよ、若葉祭」

 杉浦が、身を乗り出して繰り返す。

 どうやら知らないうちに、週末に行われる祭りに皆で行く話に話題は変わっていたらしい。


「あぁ、今週の土曜日だっけ。どうしようかな」

 樹季はあまり人ごみが好きではないので、乗り気にはなれなかった。

「八十宮と一緒じゃないのも、たまにはいいじゃん?」

 杉浦は正直に雅古への悪感情を包み隠さずに、明るい口調のまま言った。

 問題児で暴力的な不良でほぼ不登校の雅古は、杉浦を含む大多数の生徒にまともな人物として見られていなかった。


 ――俺はろくでなしの雅古の友達をやってあげてる優等生ってポジションとして認識されているからいいけど、あいつは本当に嫌われてるな。

 樹季は心の中で、深いため息をついた。


「一応、行く予定でいるよ」

 仕方がなく、樹季は誘いを受けた。優等生でちゃんとした友達もいるというアリバイのために、土曜日を捧げることに決めた。雅古と友達でいるための、アリバイである。


「それじゃ、五時に境内の前で集合だな!」

 そして杉浦が上機嫌で話をまとめて、練習再開になった。

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