3.半同居
雅古の家は、樹季の家から自転車で四十分ほど走った場所にある。樹季は家に戻って教科書をとるとすぐに、雅古の家に向かった。
周りを田んぼに囲まれたその家には、一年前まで雅古と雅古の祖母が暮らしていた。だが、雅古の祖母がとうとう完全に呆けて介護施設に行ってからは、雅古一人だった。書類上は雅古の母も住んでいることになっているようだが、彼女が戻ってくるのは稀だった。
一階は台所と、台所につながった居間、風呂、トイレ、そして寝室が二部屋あり、二階はさらに三つの部屋がある、中くらいの大きさの家である。立ててかなりの年数が経過しているらしく、全体的にレトロな雰囲気だ。
「樹季、コンピューター相手も飽きたんだけど」
雅古が居間のテレビで格闘ゲームをしながら言った。年季の入った古いブラウン管のテレビである。
「だから、俺は今、夕ご飯作ってるんだってば」
樹季は台所に立ち、味噌汁に刻んだねぎを入れながら言った。
雅古の家には、祖母が住んでいたときのなごりで買い物に行けない年配の人向けの食品配達が届くようになっていた。それを調理するのは、最近は樹季の役目だった。料理の経験はなかったが、やってみると案外楽しかった。
――こんなとこかな。
樹季は味噌汁をお玉ですくって味をみた。少量でもしっかりとした、赤味噌の濃さが口の中に広がる。
「できたよ」
樹季は居間でだらだらと寝そべる雅古に声をかけた。
「わかった!」
雅古は俊敏に反応してコントローラーを放ると、台所にやってきた。配膳の手伝いをする気もないようで、そのまま椅子にどっかりと座って、食事が並ぶのを待つ。
仕方がないな、と思いながら樹季はご飯や味噌汁をよそって食卓に並べた。今日の献立は大根とわかめの味噌汁に、カレイの煮付、そしてほうれん草のおひたしだ。
「食べていい?」
雅古が樹季が席につくのを待ち切れない様子で尋ねる。
「どうぞ」
前掛けを外しながら、樹季は答えた。
全身から嬉しそうなオーラを出して、雅古は手を合わせた。
「じゃあ、いっただっきまーす!」
食事を前にしている雅古を見ると、樹季は保育園のころ給食の前に「手をあわせてください」「あわせました」という挨拶をやっていたことをよく思い出した。それくらい、雅古の表情は幼かった。
――よくも悪くも、こいつは単純なんだよなぁ。
椅子に座って自分も箸を手にしながら、樹季は思った。
満面の笑顔でかれいの煮付と一緒に白米をかきこむ雅古。その何も考えていない具合が、樹季は愛おしかった。ふと、二人出会ったときのことが、思い出された。
◆
二人が出会ったのは、小学生のころだった。
樹季はその日、母親から逃げて家出をしていた。だが、他人の家に居座ろうとするほど非常識な子供でもなかったので、行くあてがなかった。
日が暮れてどんどん暗くなっていく山奥の田舎の村。もともと人の気配がなくてさみしい場所なのに、夜になるとさらに怖さも生まれた。樹季はただ家にはいたくない一心で、林の中で膝を抱えていた。
どこかに帰りたくて、樹季は泣いた。でも月が辺りを照らすだけで、樹季はどこにも行けなかった。
そのとき草を踏みしめる音がした。誰かが樹季に近づいていた。
母親かと思って身構えて見上げる。
だが、立っていたのは同じ学年の雅古だった。
樹季は家出中だったが、雅古は違った。日が暮れても家に帰らないことは、雅古にとっては特別なことではなかった。当時の雅古の保護者は祖母だったが、すでにもう半分は呆けていた。彼女は雅古を放置し、何をしてもとがめなかったのである。
「お前もこの場所、気に入ってんだ」
「いや、僕は……」
樹季は言葉を濁した。
雅古は今も昔も問題児だった。小学校でも口をきいたことがなかったし、あまり関わりたくないと思っていた。雅古のような嫌われ者と同じ場所にいるのが、嫌なような気もしていた。
だが雅古は樹季の反射的な拒絶を気にもとめず、その腕を掴んで顔を近づけ尋ねた。
「何でお前泣いてんの?」
思いやりとかではない、単なる疑問の言葉だった。
「何でって、だって……」
樹季の目から、さらにぽたぽたと涙が落ちる。答えられないその状況が、涙を流させていた。
「げぇ、もっと泣く? 俺、何もしてないじゃん」
さすがの雅古も、慌てて顔色を変えた。
樹季は何も言えなかった。話そうとすればより泣いてしまう気がして、必死で涙を止めようと、うつむき口をつぐむ。
雅古は困り果てた顔で、腕を離した。そして、恐る恐るその手を樹季の頭の上に置いた。
「泣いてるやつには、こうするといいんだよな。たしか」
想定した通りの結果になるか確かめるように、樹季の顔をのぞく雅古。
――いや、それは逆効果……。
その手の暖かさに、せき止めようとしていたものがあふれた。
樹季はしゃくりあげて泣いた。顔を上げないようにして、両目からこぼれる涙を必死でぬぐう。
「えぇ、さらに泣く? 何で?」
雅古の途方に暮れた声がした。
後のことは覚えていないが、何やかんやと言いながら雅古がずっと側にいてくれたことは確かだった。
その日から雅古は樹季の友達になり、樹季は雅古の友達になった。
正直、誰でもよかったような気がしないでもない。だが、雅古だったのだから、仕方がない。
◆
――だけどあの時は、こいつがここまで手間のかかるやつだとは思わなかった。
樹季はしみじみとほうれん草のおひたしを噛みしめ、早くも食べ終える勢いの雅古を見つめた。
雅古の友達でいるのは、なかなかの努力が必要だった。とりあえず人の言うことはだいたい聞かないし、いつも学校以外のどこかへ行ってしまうし、とにかく反社会的な子供であり続けた。
だが、樹季はこうして雅古の面倒を見るのが嫌じゃなかった。
ある時からその気持ちに雑音が混じってしまってはいたが、それでも雅古の隣は樹季の大切な居場所だった。
樹季にとっての家は、母親のいる実家ではなく、雅古のいるこの家だった。
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