2.二人の帰り道

 夕日に赤く染まった雲の下広がる青々とした五月の田園を横切り続く、何もない道。それが鏑木樹季(かぶらぎいつき)の通学路である。


「あーあ。説教聞いてたら腹減った。今日の晩ご飯何だっけ?」


 そしてこの通学路を樹季と歩くのが、八十宮雅古であった。

 背が高く、地毛だが脱色したかのように赤茶けた髪を持つ雅古は、男前と言ってもいい部類の精悍で整った顔だ。だが、ほぼ不登校な上に、学校に来たら来たで喧嘩しかしない雅古は、女子とは縁がない。それどころか男の友達も、樹季以外はほとんどいなかった。


「あのさぁ、もう少しで自宅謹慎になるところだったんだから、空腹を満たす以外のことも考えてほしいんだけど」


 今日もまた、上級生数人に対して喧嘩をし、学年主任に呼び出された雅古に、樹季は半ばあきらめつつも反省を促した。


 学生服を着た二人の影が、夕日に照らされたあぜ道に伸びる。

 樹季は自転車、雅古は原付をそれぞれ手でひいていた。原付と言っても、校則違反ではない。二人の通う県立豊比良高等学校は非常に山奥にあり学区も広いので、申請をすれば原付通学も可能なのである。


「樹季が止めるから、せっかくの決め技決めれんかったんじゃん」

 雅古は不満げに口をとがらせた。

「あのままやってたら相手病院行きだったから」

 あきれ顔で、樹季は雅古をにらんだ。

「別に、死ぬほどのことはしてないし」

 だが、雅古はまったく気にしなかった。


 樹季はため息をついた。

 風が、樹季の黒いくせ毛を揺らす。雅古ほどではないにしろ、樹季もほどほどに背が高い。顔もやや薄い造りなものの、小奇麗な方である。その中の上の顔を不満げに曇らせて、樹季は雅古を問いただした。


「あぁ、もう! 何でまたお前は、あんなに目立つ場所で喧嘩をするかな。せめてやるなら見えないところでやれよ」


 苛立つ樹季に、雅古はあっけらかんとした様子で笑った。


「いじめの現場を目撃して、これは喧嘩してもいい理由があると思ったから始めたんじゃん。今回はまぁまぁ真っ当な理由だと思わん?」

「真っ当な理由があっても、先生には話してないんだろ?」

「まぁ、だって俺、基本喧嘩が好きなだけじゃん? 言い訳とか、したくないし」


 笑顔を崩さずに、雅古は手でバイクをひきながら言った。

 樹季は続けるのも馬鹿馬鹿しくなって、それ以上言うのをやめた。


 雅古は基本的には良い奴である。だが喧嘩や暴力を好むところがあり、その程度と方向性は頭がおかしかった。

 雅古は理由もなく人は殴らない。大なり小なり相手に非はあり、理由はあるのである。だが結局のところは、本人にはやりたいからやる以上の感情はなく、周りに対してもそのように振る舞った。さらに彼の暴力は大体にして過剰であり、その行動原理は他人には理解されなかった。


 しかしそれでも、樹季は雅古のことが好きだった。手がつけられない一面があるにしても、樹季にとっての雅古は素直で思いやりのあるところもある幼なじみなのである。


「このまま俺ん家来る? 一回帰る?」


 道の分かれ目で、雅古が樹季に振り返って尋ねる。片方は雑木林、片方は田園が続く道だ。


「ほしい教科書あるから、一回家戻るよ」

「じゃ、また後だな!」


 原付にまたがり、雅古はあぜ道を走り出した。


「うん。それじゃ」


 雅古に手を振り、樹季も自転車に乗って漕いでいく。雅古の姿は遠ざかり、進む先にあるのは見通しの悪い雑木林だ。

 樹季は学校以外のほとんどの時間を雅古の家で過ごしていた。家がというよりは、母親が嫌いなのである。


 友人の家に外泊を続ける樹季は、良い息子ではない。それは自覚している。しかし文月と言う母親と家で過ごしていると、息がつまって死んでしまう気がした。

 文月は息子に過剰な愛を注ぐ母親だった。樹季が嫌がる年ごろになっても、風呂も布団も一緒を望んだ。その一方的な愛情に、樹季は耐えられなかった。仕事で家にいる時間がほんのわずかな父親は、逃げ場にはならなかった。


 片親の上にほとんど不登校で不良の雅古を、文月は息子の友人として認めていない。樹季と雅古が数年前にある事件に巻き込まれてからは、さらにその姿勢を強めていた。

 だが、樹季は雅古と共にいることを選んだ。


 ――俺は家にいない分、それ以外は良くあろうと努力している。定期考査の結果も、体力テストだって良い方だ。でも雅古のことだけは、あの人には従えない。


 樹季は学校ではなるべく優等生として見られるよう振る舞っていた。それは雅古の友達でいることでとやかく言われないためのアリバイ、のようなものであった。

 樹季は木々の間を縫うようにして疾走した。スピードが乗って、顔に風があたるのが心地良かった。

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