第4話 夜間飛行

 クストディオから渡された書状を、ラドミラはベルトポーチの奥にしまい込む。受け取ったのは五通。

 一通はババーコヴァーの隊長へ。連絡機チェルヴィンカ越しに情報は伝えられているし、衛士隊の連絡機チェルヴィンカを傍受されても困りはしないが、連絡した後にカミロの使いが持ってきた情報も追加で入っているため、かなり分厚い。

 もう一通はファハルドの隊長へ。すでにこちらにも連絡は行っているし、明日の朝から総出で一年ほど前の情報を漁ってくれることにはなっているが、いかんせん量が膨大なため時間はかかるだろう、とのこと。古いものだから情報は王都の本部にも届けられているため、そちらで文官達が調べてくれると言っているから、そちらのが早いかもしれない、とは副隊長のラジスラフの言葉だ。

 ラドミラは装備を確認して、ベルトポーチが落ちないようにベルトをもう一度締めた。その上に羽織る寒さ除けのマントのボタンをきつく止めて、落ちないようにするのも忘れない。ベルトポーチの外のポケット、手を伸ばせばすぐに取れる場所にブロッククッキーがいくつも仕舞われているのも確認済だ。

 大平原ウルタードを超えてババーコヴァーまで飛ぶのは初めてだから、これで足りるかどうかは自信がないが、仕方あるまい。

 衛士隊の屋上には、空を飛べる種族の発着場が一応ある。大体使うのは伝書鳩ハロウプカで、ラドミラが使うのは、実は初めてだ。梯子を上り、すでに星の出ている空を見上げる。街はまだ明るい。市場の方は暗いけれど、歓楽街の方は明るいし、住宅街もまだちらほら明かりが見える。

 ラドミラは腰のあたりに畳まれた飛膜を広げた。夜滑族ズラーマロヴァーのラドミラは、鳥系統の種族とは違う。羽ばたいて飛び上がり、風を捕まえて飛距離を稼ぐ飛び方はしない。

 風を読み、風を捕まえて飛距離を稼ぐ。

 ラドミラは発着場でしばらく震えていた。夏とはいえ、夜は冷える。

 これから風を読んで滑り、大平原ウルタードの空を横切るのだ。出来るはずである。ラドミラはまだやったことはないが、他の家族はやっているのだ。ラドミラにできないはずはない。

 アバスカルの衛士隊にいる、空を飛べる種族は自分を含めて三人。これから夜になるのであれば、ラドミラが抜擢えらばれるのは、確かに自然なことだ。


「ぐだぐだ考えても仕方ないのはわかってるけどさぁ」


 声に出していったら、ちょっと落ち着いた。向かい風も、追い風に切り替わったようだ。


「行ってきまーす!」


 見送りに来てくれている非番のみんなに声をかけて、手を振って、ラドミラは夜空へ飛び出した。

 風はすぐにラドミラの体を受け止めて、上空へと運んだ。まず目指すのは大平原ウルタードのそばの町、ハルフテルだ。アバスカルを出てしまえば真っ暗だから、ハルフテルはすぐに視界に入ってくる。その向こうはさらに真っ暗で、きっと大平原ウルタードなのだろう。

 大平原ウルタード沿いに点々と明かりが見える。街道は大平原ウルタード沿いにあり、町もそれに沿って発展した。問題は、その中のどれがババーコヴァーか、だけど。ババーコヴァーは大森林エチュバルリア大平原ウルタードの境にある街だから、きっと日が昇ればわかるはずだ。裏を返せば、それまではわからない。

 ラドミラはベルトポーチからブロッククッキーを取り出して口に含んだ。唾液で少しふやかさなければおそらく歯が立たない。だから、今の内から口に含んでおくのだ。

 大平原ウルタードの上空には、各種の鳥型モンスターが覇権を争っている。だから、空を突っ切ることを通常は行わない。行うことができない。

 けれど夜ならば。覇を競う者たちもいないはずである。


 ラドミラの口の中で、ブロッククッキーが溶け出すころ、風の流れが西コトではなくフラへと向かいだした。

 ラドミラはその名の通り、滑るように飛ぶ。羽ばたいて風に逆らい飛ぶのは得手ではなく、風に乗って滑るのを得意とする。けれど、いつもそうとは限らない。

 奥歯で、ブロッククッキーをかみ砕いた。ラドミラの羽が淡く輝く。ゆっくりと動かして、自分の体を船に見立ててこぐ。フラへ向かう風の流れから抜け出して、西コトへと向かう風の流れへと乗り換えた。


「っふう」


 無事にその身を風の流れに乗せたラドミラは、大きく息を吐いた。疲れる。そもそも今日は昼番で、大した休息もなくの飛行だ。元々体は疲れているし、そこに無理矢理の風の流れの移動を行えば疲れも増す。

 ラドミラはベルトポーチに手を伸ばし、次のブロッククッキーを口に含んだ。

 まだ、夜は明けない。

 まだ、大平原ウルタードの横断は終わっていない。

 ラドミラは空を見上げて、星と月の位置を確認した。今夜は三日月フメロヴァーで、星が見やすい。満月ホホロウシュだったら、星はうっすらとしか見えなくて、きっと飛行を困難なものにしただろう。フラの空にあるはずの琴座ツィブルカはやや後方に、西コトに見えるはずの大三角チュトヴルテはやや前方にあるから、大きな方角は間違っていないはずだ。

 進行方向は西コトではなくて南西ツレクだから。


 ラドミラはそれから、朝まで同じように空を滑り続けた。月を見、星を見、方角を調整しつつ。太陽はやや背後から昇るから、その光の伸び具合によっては、ババーコヴァーを見つけるのはすぐではないかもしれない。

 ブロッククッキーの残りが心もとなくなってきたころ、太陽が少し、顔を出した。まだ、森の輪郭がうっすらと見える程度だ。けれど、うっすらと見えてくれれば、それでいい。


「あったぁ~」


 うっすらと見えた森の輪郭に、同じくうっすらと街の輪郭が見えた。

 ひときわ高いのは時計塔だろうか。とりあえず、街へ向かう風へ乗り換えるために、ブロッククッキーを噛み砕いた。


「こっちでーす!」


 声がする。

 街に入って、しばら経った。やはり一番高いシルエットは時計塔で、衛士隊の発着場はどこだろうと思っていたら、向こうから声をかけてくれた。

 ババーコヴァーは職人の街だ。あちらこちらから煙突が伸びているせいで、初めて来たラドミラにはどこに行けばいいのかわからない。けれど案内があれば別で、そちらに向かって滑るのはもう難しくない。


「アバスカル衛士隊のラドミラ隊員で間違いありませんか」

「間違いありません。急ぎの書状を持ってまいりました」


 出迎えてくれた隊員が敬礼をするから、ラドミラを敬礼を返した。さっきまではとてもとても眠かったのに、こうして別の街の衛士にあってしまえば、体が勝手に仕事モードになる。そのための、日々の訓練であるのだ。


「まずは詰所の中へどうぞ。自分は副隊長のマルツェルです。部屋の準備はしてありますので、シャワーを浴びて夜までお休みください」

「ありがとうございます。助かります」


 発着場の梯子を降りて、衛士隊の詰め所へと入る。どこも似たような造りで、ラドミラは少しほっとした。

 三階にある女性向けの部屋へと案内し、マルツェルはラドミラから書状を預かった。隊長が起きてくるのはもう少し後だ。

 シャワーの場所だけ教えて、通し勤務になってしまっているラドミラにはすぐに休むようにと伝えた。この後また夜には、山のふもとまで飛ぶのだから。

 出来れば陽が沈む前に起きて、ハンブリナの町の場所を確認しておいて貰いたい事でもあるし。

 ラドミラは、その提案に甘えさせてもらうことにした。彼女の仕事はまだ終わっていないのだ。夜通し空を滑ってここまで来た彼女よりも、詰め所にいたこの街の副隊長の判断の方が優れているはずである。そう、判断した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る