第6話
まよいぼし。惑星を意味する珈琲店。
「ここかな」
不思議な空間であった。知らずに見ると街並みに馴染んでいるだが、存在を認識してしまうと、元々そこにあった空間が切り取られ、ジオラマ模型のようにポンっと建物が置かれたような断絶された空気を感じる。
「おー。楽しみ! 入ろっか」
「うん」
女性的なデザインが施されたガラスの扉をゆっくりと開ける。香ばしい珈琲豆の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。窓辺には星をモチーフにしたオブジェが吊り下がっており、西寄りになった日差しを受けて影が伸びる。テーブル席が二つとカウンター席が五つという、小さなお店ではあるが、面積の半分ほどが吹き抜けになっており、外から見るよりも開放感がある。
「いらっしゃいませ」
綺麗な店員さんがお迎えしてくれた。輪郭の曲線美は紛れもないフェミニン。美しくワインレッドの染められた細い髪は、自然な波を描く。その隙間から覗く、インダストリアルの位置に開けられたピアスがアクセントとなっている。
「二名様でしょうか」
「はい」
「お好きなお席へどうぞ」
案内されるがまま、店に奥へと進む。ここで問題なのは、カウンター席とテーブル席のどちらを選択するかだ。一見、顔を見て会話ができるテーブル席の方が良いと思われがちだが、実はソシオペタルの状況を生み出すには、カウンター席の方が適しているのだ。迷いどころだが、今回は学校帰りで荷物もあるため、広めの席を使わせてもらおう。
「テーブルにする?」
「そうだね」
全く汚れのない真っ白なテーブル。見た感じ、カウンターには大理石を使っているようだが、テーブル席は木の質感を感じることができる。所々に木の素材を点在させているからか、コンクリート造なのに温かみを感じる。
「ご来店くださりありがとうございます。ご注文お決まりになりましたら、お声掛けください」
カランという音と共に、限りなく薄いグラスがテーブルに置かれた。食器だけではなく、内装や照明など、何をとってもこだわりを感じる。
「かわいいお店だね」
「うん。綺麗」
そんなことを言いつつ、
「
「うん。そうしようかな」
「私も」
初めて行ったお店では、最もスタンダードな珈琲を頼むという話を、以前にしたことがあったが、藤崎だけが共感してくれた。ちなみに
「すみません。注文いいですか?」
「お伺い致します」
「ブレンドを二つお願いします」
「ブレンドコーヒーをお二つ。かしこまりました」
フェミニンのお姉さんは丁寧にお辞儀をすると、キッチンの方へ注文を伝えに行く。喫茶店の制服なので露出はないが、線の細さと女性らしさを兼ね備えているとわかる。彼女が万が一、一般人なのだとしたら、世の中のスカウトの目は全て節穴だ。おっと。女の子と二人でお茶をしているのに、こんな思考に至るのは失礼な話か。
「二階ってどうなってるのかな」
そんな僕の思考など知ったことのない藤崎は、興味をメニューから二階へ続く階段へ移り変えていた。正確には階段を登った先にあるであろう本棚へ。
「どうぞご覧になってください」
藤崎の視線を察したのかお姉さんは優しく声をかけてくれる。
「あ! ありがとうございます」
「行って来な」
「立花くんは行かないの?」
この店には僕ら以外の客がいないため、席を離れても、盗難に遭うということはないのだろうが、店員からしてみれば商品の提供のタイミングに困るだろう。
「珈琲を淹れるのに、まだ少し時間をいただきます。出来上がりましたらお呼びいたしますので、ご遠慮なくご覧ください」
本当に察しがいいお姉さんである。
「ありがとうございます。では遠慮なく」
階段を登った先に広がっていた景色は未知であった。愛読家と言うほどではないが、それなりに本は読んできたつもりだ。しかし、その本棚に並んでいた本は、見たことも聞いたこともないものばかり。それもそのはずで、一つ一つのタイトルに注視すると、半分以上の本が外国語で書かれているものだった。
「知ってる作品ある?」
「いや。読んだことあるものはあんまり」
「だよね。私も知らない本の方が多いもん。あ、みて、『
「本当だ」
それだけではない、
「お客様」
「はい! 今降ります!」
未知との遭遇に、立ち尽くしてしまったのか。思った以上に時間が経っていたようだ。
「興味のそそるものありました?」
「はい。読んだことのないものもいっぱいあって」
「それはよかったです。完全に店主の趣味でして、私には全然わからないんですけどね」
店主というと、今朝の男性だろうか。店の雰囲気や店員に気を取られて、すっかり忘れていたが、そちらの方が本来の目的であった。気配はするのでお姉さん以外に店員はいるのだろうが、店主ではなさそうだ。
「読んでも大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですよ。なかなか手に入らないものも多いらしく、本を読むために来店される方もちらほら」
「へえ! そうなんですね」
目がキラキラとしている。学校の男子どもはこんな藤崎の姿を見ることはないのだろうと、優越感に浸る。これで彼氏でもいたら僕は笑い者だが。
「後で見に戻る?」
「ううん、多分選びきれないだろうし、また一人で来た時にゆっくり見させてもらう」
また来るのは確定なのか、どうやらこのお店を気に入ったようだ。まだ、肝心の珈琲を飲んでいないが、期待が高まっていることが分かる。
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