第5話
放課後。どうも今朝の出来事が気になってしまうので、本日の予定を変更し、例の珈琲店を目指していた。折角、珈琲を嗜むのならば、その時間を有意義に過ごしたいという気持ちになる。となると、やはり読書は欠かせない。鞄に読み進めている小説が入ってはいるが、新たな環境で佳境の物語を読むことに抵抗がある。そのため、新しい本を探していた。本当は
そんな訳で、遠回りにはなるが、駅前の本屋に寄った。大きな書店ではないが品揃えは決して悪くはない。特にアテがあるわけではないので、とりあえず、店内をぐるりと周ろう。
「あれ?
「
「こんな所で会うなんて奇遇だね」
「だね。探し物?」
「うん。ちょっと参考書を探してて」
藤崎は二冊の参考書を手にしていた。科目は数学。
「流石優等生」
「立花くんだって成績いいじゃない」
「全国模試三位には負けるよ」
「国語だけね」
本人は謙遜するが、文系クラスで最も勉強ができるのは藤崎ひなこであると断言できる。国語がずば抜けてはいるが、その他の科目も非常に優秀であり、上位のみを掲載する本校の定期テストでも休載経験がない。
「あ、そうだ」
「ん?」
「優等生の立花くんにお聞きします。これ、どっちの参考書の方がいいかな」
表紙をズイと向けてくる。運良く、どちらとも目を通したことのある物であった。
右手の参考書は予備校が出しているもので、傾向と対策を第一とし、形式を知っているか知らないかで、問題を解くスピードが大きく変わるような公式を取り上げている。練習問題も多く、どちらかと言えば、受験対策用のイメージだ。
左手のものは、基礎的な話を深め、どのような理屈で公式が成り立つのか、と言う部分を重点的に説明している。こちらは教科書の補足に近いが、難関な公式の導入にも繋がる。
「僕なら左手に持ってる方にするかな」
「こっちね。ありがとう」
何一つ説明を言葉にしていないのだが、なんの疑いもなく、決定したようだ。勉強は参考書よりも本人のやり方なので、元々優秀な彼女にしてみれば、どちらでも良いのだろうが。
「お役に立てて何より」
「立花くんも探し物?」
「んや、藤崎に会えたからやめた」
「……どういうこと」
会話を二つくらい省略した話し方をした為、難しそうな表情を浮かべている。そりゃそうだ。
「今から時間ある?」
「今から?」
「朝に話したお店に行くんだけど、もしよかったら一緒にどう?」
「いいね」
即答であった。目の色が変わるとはこのことだ。ここで藤崎に出会った時から誘うことは決決まっていた。そして、誘いに乗ってくることも決まっていた。
「家族に連絡だけさせて」
「もちろん」
「どこら辺なの?」
「学校から五分くらいの所。少し戻らないとだけど」
「近いね」
こんなにも学校の付近なのにも関わらず、検索にヒットしないため、あの男に騙された可能性もあるが、それは現地に行ったらわかることだ。もし店がなかったりしたら、僕が虚言癖のある人間のように写ってしまう。まあ、藤崎ならば、話せばわかってくれるはずだ。
「藤崎、まだ買うものある?」
「うんん、これだけ」
「なら、遅くならないうちに行こうか」
「うん! これ買ってくる」
「ん。先に出てるね」
先に外に出ると、日が傾きかけていた。
「お待たせ」
「ううん。いこっか」
思い返してみると、藤崎と二人で並んで歩くのは初めてである。何度か一緒に出掛けたことはあるが、夏希がハッピーセットであったので、この距離感や、歩く速度に新鮮さを感じる。
「立花くんは普段どんな本読むの?」
「ジャンル? 作家?」
「作家の方が気になるな」
僕は割と雑食であり、タイトルだけで本を選んだりもするので、社交辞令の際は有名な作家を挙げるようにしている。しかし、藤崎との会話ならば話は別だ。
「……
灰咲仄は僕が読書を好むようになったきっかけの人物。一切メディアに出ることのない秘密主義の作家である。性別も年齢も不明。素性を隠して執筆活動をする作家が珍しい訳ではないのだが、名前以外の情報が全くないというのも稀である。
「ああ。『
「そう」
藤崎の言った『狭谷潤のカルテ』とは灰咲仄の代表作だ。狭谷潤という外科医が旅をしながら、世界中の難病患者を医するという物語。
「シリーズは全部読んでる。面白いよね。繊細な文体で書かれる、おとぎ話みたいな旅の話、でも、臨場感もあって。どこか……」
「切ない」
「そう、そんな感じ」
「僕もあの世界観に惹かれる」
完全なフィクションなのか、それとも体験談に近いのか。ただ、登場する病名は現実のものなので、医療の知識があるのは間違いない。
「本当に。何より、
いつもより饒舌な彼女に、少し表情が緩んでしまう。大人っぽく見えるが、やはり高校生なのだ。
「あんな自由気ままで、腕のある医者はなかなかいないだろうけど」
「潤先生なら"
その名前を聞くと、今でも空気が冷たくなる。数年前に流行した、不治の病。今でも特効薬は見つかっておらず、発現した当初は災害規模で人が亡くなった。その病の診断は寿命の宣告と同義。髪が真っ白になってしまう症状と、衰弱の過程が自然死と酷似している為、この病で亡くなることを白然死と呼んだ。おそらく日本人なのだろうが、どこの誰が付けた名前なのか。
「現実にもあんな先生がいればいいのにね」
「いるよ。きっと。今も何処かで病気を治す術を探していると思うな」
彼女の言葉に嘘はなく、本気で信じているのだ。そんな救世主の存在を。
「そうだね。きっと」
自分の口から出た虚言は泥の味だった。
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