第4話

 

「座れー。ホームルーム始めるぞ」


 どの生徒よりも気怠げに教室に入ってきた担任の錫切すずきり先生。天然物なのか人工的に当てているものなのかは判断できないが、クルクルと畝った髪を目元まで伸ばしていて、半分ほどしか顔が見えていない。噂によると、顔は整っているので、死んだ目と気だるさがなければ、もっと人気が出る気がする。ただ、本人が望んでいない。我がクラスの担任は連休後だからといって、休みの間の感想会などは全くせずに、必要事項のみ伝える。休み明けのテストの実施要項、提出期限が迫っている書類の催促。などなど。


「今日の連絡は以上だ。新橋しんばしは遅刻かー? 休みかー? どっちでも構わんが、もし登校してきたら職員室に来るように伝えてくれー」


 どのクラスよりも早くホームルームを終わらすと、速やかに教室を退出する。一応公務員なので、他クラスの先生と同じような給料をもらっていると考えると、頑張っている先生方が不憫に思えてくる。上の方針なのか、高校には珍しく単位制を採用しているからか、この学校の先生は放任主義であるため、俗に言う熱血教師みたいな人は少ないちゃ少ないのだが。だとしても、錫切先生は極端にいるだろう。一限の地理を担当する、新任先生が作った丁寧な資料を見て改めて、そう感じた。


 まだ不慣れな感のある授業が終わると、賑やかな休み時間が始まる。いつも以上に騒がしいのは、おそらく連休明けだからか。そんな雑談の中に特に知った声があることに気付く。丁度、教室のドアに姿を現したのは、新橋しんばしれん。自身でアイデンティティだと豪語するヘッドフォンを外し、遅刻に対する野次を適当に流しつつ、こちらに近寄ってくる。僕の斜め前の机に、ラバーバンドでデコレーションが施された鞄を置くと、大きく息を吐き出し、着席する。


「おはよ」

「はよ。ごめんな」

「全然。珍しいね」


 柔らかな顔付きではあるが、八重歯とカジュアルなセンスのため年齢よりも少し幼く、いたずらっ子という印象を受ける。性格は見た目より真面目であり、鞄からは一般生徒以上の教科書が取り出される。アルバイトに勤しみつつ、予習、復習を欠かさない。そんな友人だ。


「ああ、妹が体調崩してな」


 妹と言うと、三つか四つ離れていて、今は中学生だったはずだ。実際に会ったことはないが、シスターコンプレックス気味な廉と会話していると、何かと話題にあがるので、存在はもちろん知っている。悪い意味ではない。兄弟がいない僕には分からない感覚であるが、妹という存在は、それだけで”かわいい”ものなのだろう。いや、幻想か。


「大丈夫?」

「あぁ。解熱剤飲ませて、寝かしつけて来たから平気平気」


 気にしていない様子ではあるが、表情はいつもより硬いような気がする。家庭事情を考えると、やはり心配なのだろう。これ以上この話題を続けるのも野暮な話だ。


「ならよかった。登校早々でなんだけと、次の化学、実験だから移動だよ」

「だりい」

「あと、錫切先生が昼休みに職員室に来いって」

「だりいい」


 化学室はホームルームから割と近い方なのだが、本当に休み時間の大半を使わなければ辿り着けない教室も存在する。何の用途のために設けられているのか不明な教室が多々あるのが問題なのだ。ブレーンストーミングルームってなんだ。未踏の領域である。


「お! さえちゃんとかなうちゃんだ」

「ん?」


 廉の指し示すように、窓から二階の渡り廊下に視線を落とすと、和気藹々と談笑する複数人の女子生徒が見受けられる。市内の高校ということもあるのか、この学校の平均顔面偏差値はかなり高い。その中でも一際目を引くのは、やはり、いま挙げた二人。鳩羽はとばさえ美空みそらかなう


「二人とも可愛いよな〜」

「鳩羽さんと仲良いじゃん」

「あー。有難いことに割りと喋るかもな、趣味が合うんだよ」

「へえ」


 これみよがしにペンケースに付けられたキーホルダーが揺れる。自分が自由に使える金額のほとんどをロックバンドのライブや、グッズにつぎ込むほどロックバンドを愛して止まない廉。音楽は世界共通言語だというのも理解ができる。


「逆に美空さんとは全く接点はないな。是非ともお近づきになりたいもんだ」


 美空叶。全校生徒にアンケートをとったら、間違いなく、カーストナンバーワンに選ばれる生徒。才色兼備、眉目秀麗。違うな、きっとそのような言葉では足りない。彼女を表すには、完全無欠とかそういった類の言葉がしっくりくる。ただ、お近づきになりたいかと問われても、一切そうは思わないと答える。


「んー、頑張れ」

「興味なさげだな。まあ、ほまれに言っても仕方なんがっ」


 隣を歩いていたはずの友人は情けない声を残して視界から消えた。膝カックンをここまで綺麗に決められている所を初めて見た。これは、廉に膝カックン耐性がなかったのか、それとも、いたずらが成功した喜びが表情に溢れ出ている夏希なつきが、相当の手練れであったのか。うん。どっちでもいいや。


「おっはよ!」

「普通に挨拶もできんのか」

「えー! 私って普通じゃないの?」


 夏希は悲劇のヒロインのような表情を浮かべる。表情筋が豊かなことで。涙まで溢れそうである。


「少なくとも、出会い頭に不意打ちかますような奴は、俺の周りにはいねえよ」

「つまり、廉にとって私は特別と?」

「だー!」


 ハイテンションだなあ。僕は夏希のことを割と流してしまうからか、あまり戯れあった絡まれ方はしないのだが、蓮はしっかりとツッコんでくれるため、このようなやりとりをいつまでもやっている。とても仲がいい。


「こんなところで何してたの?」

「なんでもねーよ」

「まあ、叶ちゃんと冴ちゃんのこと見てニマニマしてたの知っているんだけどね」

「……」

「是非ともお近づきになりたいもんだ」

「ちょっと静かにしようか青葉あおばさん」

「わあ、廉さん顔こわーい」


 猫とネズミのような追いかけっこが始まる前に止めよう。


「夏希、早めに化学室に行ったんじゃないの?」

「そう! 準備を手伝うことで関心意欲態度だけでも高評価狙う大作戦なのだ」

「化学と物理の点数は本当に洒落にならないもんね」

「なんで理系に来たんだよ」


 生徒の八割以上が、花開院(けいかいん)大学に進学するため、受験勉強をしている学生は少数しかいないが、それでも定期テストや進学テストであまりにもひどい点数を取った場合は、エスカレーターから落っこちるという事件も発生しかねない。


「今年も定期テスト前に呼び出すかも」


 去年の惨劇が蘇りかけて少し気分が悪くなった。

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