第3話

 

 花開院けいかいん大学付属高等学校は、京都市内に位置する関西でも有名な難関大学の附属校である。京都と大阪を繋ぐ京阪本線の駅、七条駅を最寄りとし、一千人弱の生徒が登下校を行う。ガラスを多用した現代的なデザインからか、あまり高校をいう感想は受けない。校舎もまだ新しく、そこに関して不満はない。ただ、生徒数のわりに敷地面積が些か広すぎるのではないだろうか。


「……」


 この規模の建築物に何故ゆえ、エスカレーターを設けないのは甚だ疑問だ。しかし、そんなことを言っていても教室には辿りつかないので、嫌々、四階まで続く階段を一歩ずつ踏みしめる。僕のクラスルームが三階であることがせめてもの救いである。友人と挨拶を交わしつつ廊下を進み、南校舎の端にある三年一組の教室に到着。


「お! ほまれー。おはよん」


 青葉あおば夏希なつき。笑顔が絶えない、名前の通りの爽やかなクラスメイトは、今日も今日とて、周囲に愛想を振りまいている。老若男女問わず、友好関係がとても広く、学校外においての多くのコミュニティを持っている。綺麗な二重幅と大きな瞳。アシンメトリーのショートヘア……ん?


「おはよ。……前髪どした?」


 最後に彼女と会ったのはゴールデンウイークに入る前だ。その時には目にかかるか、かからないかくらいだった前髪は眉毛の少し上辺りまで切られていて、よく見たら髪の量も少し減っている。


「え、やっぱり切りすぎかな」

「いや、かわいいと思うけど」

「うわ! 絶対思ってないし。短くしたい気分だったの」

「いいと思うよ」


 ジト目でこちらを睨む夏希の前を通り窓際の自身の席に向かう。切り上げたつもりだったが、まだ彼女との会話は終わっていないらしく、あとをテコテコとついて来る。何故か大事そうに古典の教科書を抱えているが、今日の時間割に古典はなかったような。いや、あったけ?


「あれ? れんは?」

「なんか遅刻するっぽい」

「えー、珍しいね。またバイトで遅かったのかな」

「バ畜だからね」


 放課後だけとはいえ、テストや課題に追われながら週四以上のシフトをこなしている友人には尊敬の念を抱く。廉に限らず、自由な校風故に、アルバイトに勤しむ学生が多い印象を受ける。目の前にいる夏希も行列のできる人気ドーナツ屋さんで働いている。あ、ドーナツ食べたい。

 おっと、夏希の眼力が強くなっていくのがわかる。コミュニケーションの基本として、顔を見て話していただけで、決して前髪を見ていたわけではなかったが、どうやら気にしているらしい。これ以上刺激するのもよろしくない。フッと自然に目を逸らすことに成功する。しかし、よく考えてみたら、ここで目を逸らしたら本当に前髪に注目していたみたいではないか。迷子になっていた目線が、教室の扉を抜けてこちらに歩いてくる非クラスメイトの友人とぶつかる。ただ、目的は僕ではなかったらしい。


「夏希ー、教科書返してー」

「ひなこ! ごめん! 持っていくの忘れてた」

「いーよ、忘れ物には気をつけなよ」

「はーい」

 

 抱えていた古典の教科書は、藤崎ふじさきひなこのものであったらしい。おおよそ、連休前に出された課題の存在を忘れて、学校に古典の教科書を忘れてしまい、家の近い藤崎に借りる羽目になったってところかな。


「あ、そうだ。立花たちばなくん」

「なになに」


 目が合った手前なのか、僕とも会話をしてくれるらしい。この学校では珍しい艶感のあるバージンヘアを片耳にかけ、胸付近で綺麗に切り揃えられている。丁寧な立ち振る舞いも相まって年齢以上に落ち着いた印象を受ける。本校の誇る清く正しく美しい図書委員長である。


「前に紹介してくれたカフェの珈琲、美味しかったよ」

「本当に。よかった」


 少し心配になるほど珈琲党の藤崎とは、夏希という共通の友達がいることもあり、三年間同じクラスになったことは一度もないが、何度か一緒にお茶をするくらいの仲である。いつしか珈琲の美味しいお店を見つけた時は、報告し合うようになった。


「えー? どこどこ? わたしも行きたい!」

「夏希と一緒に行ったじゃない。三条駅の近くのところ」

「あそこか! 確かに美味しかった」


 藤崎とは異なり、甘党の夏希は、あまり珈琲を楽しむことができないと自分で言っていたような気がするが。


「チーズケーキが!」


 なんだそりゃ。


「あ、美味しかった」

「だよね! 形もちょー可愛いかったし!」


 確かに、あのエメンタールを模したチーズケーキは視覚と味覚の両方から楽しませてくれる。珈琲も、僕好みの深入りで、濃厚なチーズケーキと相性が良く、再び訪れたいと思うお店の一つだ。ただ、ケーキの可愛さに釣られて客が急増しているため、次回行く時は並ばなければいけないかもしれない。


「また、美味しいお店教えてね」

「うん。……あのさ、”まよいぼし”ってお店知ってる?」


 喫茶店の話題から先程の出来事がぼんやり浮かんできたので、世間話程度に質問を投げかける。夏希は珈琲が好きなわけではないが、カフェなどの女子高生が好みそうなワードには敏感なはずだ。藤崎は、あまり冒険はせずに、気に入ったお店に通うタイプと言っていたので、今までの会話で出てきていない時点で期待は薄いが、学校から歩いていける距離ならば、通学路から外れていたとしても、知っていてもおかしくはない。


「なにそれ」

「まよいぼし? 知らないな。喫茶店か何か?」


 空振り喫茶店かと聞かれても、僕にもよくわからないが、記憶が正しければ、珈琲店を経営していると言っていたような。この場合、そのような些細なことは正味どちらでもいいのだが。


「多分? 僕も行ったことないんだけど、たまたま耳にしてさ」

「へえ、気になるね」


 藤崎は血が騒ぐのか、会話に前のめりになった。というか、実際に距離が縮まった。近い近い。普段は物静かなのに、趣味の話になった途端に急に熱が入り、そのギャップにより相手を困惑させてしまう、みたいな人種が周りに一人はいるだろう。彼女はそのタイプ。キーワードは珈琲と本。珈琲大好きっ子とは物理的に距離を置くべく、二歩下がる。そして、店の名前を聞いた時には、既にぽちぽちと検索を始めていた現代っ子に話を振る。


「夏希、なんか出てきた?」

「それらしいのはヒットしないなあ」


 こんな情報社会において、検索エンジンに引っかからないなど、そんなことがあるのだろうか。少し引っかかっている、くらいだった感情が、どうも気になる、くらいまで成長してしまった。この責任は誰がとってくれるのだろうか。


「できたばかりのお店なのかな」

「それにしても、何かの告知くらいはするんじゃない?」


 何ならオープンしたてのお店の方が、集客のために広報に力を入れる。繁華街から少し外れているとはいえ、京都市内に店を構えるのだとすれば、少なからずSNSの利用率が高い学生もターゲットにしているだろう。この周辺にはこの高校だけではなく、女子大もあることを考えれば尚更だ。


「確かに」

「なんか、気になるね」

「あ」


 次の思考を予鈴の音に止められてしまう。なんだかスッキリしない状況ではあるが、仕方がない。


「私、戻らないと」

「うん! 教科書ありがとね!」

「もう忘れないように」

「はーい」


 去年もこんな会話をしていたので、きっとまた忘れてしまう。人間の記憶とはそんなものだ。

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