中編 (She's) Sexy and 17
「みてみて、これがFコードだよ」
中学時代、俺と愛菜を自宅に招いた幼馴染は得意満面になっていた。
成長途中の少女には不釣り合いな大きさのエレキギター。しかしそのアンバランスさこそがそこはかとない魅力を感じさせる。
テレビやネットで騒がれているプロさながらに弦をかき鳴らす様に俺たちは驚嘆した。
「摩耶ちゃんすごいすごいー、じゃあさ、あのバンドの、ほらこないだ発売した曲やってー」
「OK! 私のカッコいいとこみててねー」
愛菜が好きなバンドの曲をリクエストすると、それをおぼつきながらも摩耶花はすぐに演奏してみせた。
指先の皮が剥けるたびに絆創膏を貼っていった甲斐がある。たちまち上手くなっていく様に俺の感慨もひとしおだ。
高校に入り、軽音部があることに摩耶花は興奮しっぱなしだった。部員は全学年合わせて30人。その中で学年問わず各々がバンドを組み、定期的に演奏を披露するのが主な部活動だ。
摩耶花は色んな方向性の音楽に触れてみたいようで自身をお助けキャラと称して各バンドのサポートに入った。入学と同時に交際を始めた俺としては自分たちの時間が減るのでは、と危惧して面白くはなかったのが本音だ。現に摩耶花は部活にのめり込み、すれ違いも頻繁に起こった。
破局するのは、時間の問題だったのかもしれない。
■
入店し、チケット代を払う。収容できるのは百人がせいぜいといったところのハコ。
ホールには客がひしめき合っている。年齢層はぱっと見20代がほとんど。顔見知りの同年代はいなかった。あの赤い髪も客の中には見当たらない。
この規模のライヴハウスには摩耶花に誘われて何度か入ったことがある。
ドリンクを買い、今日出演するバンド一覧表に目を通す。
わざわざギターを持ってきたのだ、きっと摩耶花はこの中のどれかに所属している。もしかしたら店のスタッフか裏方にいるのかもしれないが。
炭酸で喉を潤していると、最初のバンドが登壇した。
実際のところ音楽の良し悪しなど俺にはよくわからない。推してるバンドもなくたまに摩耶花が話していた用語もうろ覚え。どの音楽も心地良くはあったが、毎度疲労感が上回った。それでもデートの名目で摩耶花とメジャーマイナー問わず色んなバンドのライヴに行くのは楽しかったのだ。彼女のはしゃぐ様が見れたから。
いま二組目の演奏が終わった。どのバンドも客は一様に盛り上がっている。きっと上手いのだろう。俺がのれないだけで。
もうすぐ今日最後のバンドの出番。
ここまで摩耶花の姿はない。
周りがざわつき始めた。前にいる男二人はあからさまにそわそわし始め、横にいる女性は鼻息が荒い。ハコの中のテンションが一段階上がったのは明らかだ。
赤髪の女がライトに照らされる。
摩耶花は先頭に立ち、マイクと向き合う。
ボーカルだったのか。声量はあるし、たまにデートで行っていたカラオケも高得点を連発していたからさほど意外ではなかった。
そういえば、一人で弾き語るのは見慣れているが、バンドを組んでの演奏、それもこんなちゃんとした舞台での摩耶花は久々に拝む。軽音部の練習や活動で何度かバンド演奏を聞いたことはあるが、ギターボーカルの彼女は初めてだ。
三人組のバンド、スリーピースバンドとか言ったか。摩耶花を始めメンバーは全員女性。揃いのバンドTシャツで身を固めている。
ベースは背の高いタレ目。
ドラムは背の低い金髪。
どちらも見覚えはない。機材チェックしている三人は和気藹々としている。俺と愛菜と一緒にいた時と同じように摩耶花は無邪気にはしゃいでいる。
バンド名は、と名前を確認しようとした途端、
「ウィィィーーアァァァーーー!!」
カンカン、とドラムがスティックを打ち鳴らし、ベースが目を見開く。
ボーカルがマイクを高らかに掴み上げ、
「ザァァアッッ、マァァァァァアアァァッッッッ!!!!」
バンド名は『The・Mars』。
「「「ウォォォォォォォッッッ!!」」」
豪快なシャウトとともに客のボルテージが空間を割った。
波が来た。
音の衝撃がホールを駆け抜け、胸を打つ。つい足がよろめく。傍にいる女性の腕に担いでいたバッグがぶつかった。すいません、と言う前に真顔とかち合う。女性の瞳がこちらを覗き込む。
正気じゃ損だよ。
そう訴えているのを瞬時に理解した。女性はすぐさま気を取り直し熱狂に加わる。俺も習う。視線の先は同じ星。ライトを浴びた今夜の主役。観客たちの手には届かない、いっとう輝く一番星。流れる汗の一つ一つが煌めいていた。
喝を与えるようにビートを刻むドラム。
曲全体を支えるうねるようなベースライン。
ボーカルのパワフルなハスキーボイスと、突き抜けるような美しい高音。
柔らかく、そしてキレのある、多彩な表現を可能とする超絶的ギターテクニック。
三人それぞれが違う楽器を操るも寸分のずれもなく合っている。
類稀なるグルーブ感が会場を沸かせた。
「子供産むために腹ァあるんじゃない!」
「漢らしく女らしく! やっっかましいカテゴライズ!!」
オリジナルソングの歌詞は全方位に中指を突き立てていた。
うん、摩耶花はこういう過激なのが好みだったな。
観客たちは日頃の鬱憤を晴らすように各々拳を上げ、吠える。
俺はといえば歌詞に対して特に同調する思いはない。
そのボイスと重なるようにぶつけられる音の連なりにただ身を委ねている。細胞がそうしろと言わんばかりに周りと同じく拳を天に掲げた。
「アゲてけー! アゲてこー!」
歌の合間に観客を囃し立てる余裕から摩耶花はとても場馴れしているのがわかる。
動画からでは体感できない、生のクオリティに俺はすっかり骨抜きにされていた。
一曲目が終わる。
割れんばかりの歓声がハコを満たす。
「やー、客入ってんねー」
歌い切った摩耶花は額の汗を拭う。
「たはは、みんなごめんね。緊張しっぱなしで一曲目のタイトル言い忘れてた」
ドッ、と沸くライヴハウス。
「うちらも焦ったわー、もう始めちゃったら止まんねえからさあ。これで音外したりしたらケツバットだったかんな」
ドラムのイジリに「いやほんとすんません」と摩耶花は軽い調子で両手を合わし頭を下げる。
すぐ突っ走っては周りにブレーキを踏まれていたおっちょこちょいの、いつもそばに居た摩耶花。
「最初のライヴはさあ、7人しかいなかったからやっぱ感慨深いよー、あ、その時来てくれた人今日もいるねー」
ピッ、と摩耶花がこちらを指差してきた。
心臓が跳ね上がりそうになったが、実際に指を向けられたのは先ほどぶつかった女性。古参の女性は鳥のような奇声を上げた。
「じゃあ今度は曲名、忘れずちゃんと言うねー!!」
二曲目のタイトルを宣言し、イントロから雷鳴の如き衝撃。怒涛のギターとドラムの絡み、ベースが追随し、三人のアンサンブルがホールに展開される。
ソロパートでのギターリフ。摩耶花の高速カッティングとブラッシング技術が周囲を圧倒する。
ふと、ベースとドラムが摩耶花に送る眼差しに既視感を覚えた。ギターを始めた頃の摩耶花を見る愛菜に似ている、暖かな信頼の色があった。かつて俺もあんな目で摩耶花の演奏に見惚れていた時があったことに胸がちくりと傷んだ。
水を被せるように魂のシャウトが脳を揺らす。
俺の意識は再びこのバンドが作り出す世界に引き込まれた。
■
「ありがとー! ザ・マァァアァァァァッッッズ、でしたー!」
演奏が終わり、『The・Mars』がステージから去っていく。確かな充実感を共有した観客たちが余韻に浸りながらライヴハウスの出口に向かう。
バンドの世界観に影響された頭が徐々にクリアになっていく。長風呂から出た時の気分だ。
外の空気が吸いたい。他の客に続いて階段に足をかけようとした時、
「ちょいとそこの、幼馴染くん」
「は、い?」
首だけ向けると、俺の親と変わらない年代の女性がいた。
ギョッとしたのは彼女の頭が摩耶花と同じ色、赤髪だったからだ。どことなく変化したばかりの摩耶花を彷彿とさせられるクールな佇まい。
そのままこちらに近づき、
「摩耶花の幼馴染だろ。あの子に会っていかないのかい?」
連れ立って歩く客の一人が「店長ーまたねー」とこっちに手を振ってきた。
店長と呼ばれた女性はおざなりに手を振り返す。
「『Stray Cats』の店長、諏訪部だ。いまなら楽屋に案内するけどどうする?」
今日は摩耶花の様子を探りにきただけで、話をすることなど考えてはいなかった。
少し間を置き、
「遠慮しておきます。ところで俺が摩耶花の幼馴染だとどうして知って?」
「あの子、電話もSNSもアイコンをあんたともう一人の女の子と三人で写ってるのにしてるでしょ。それこの前話題になって」
高校入学時に校門前で撮ったスリーショット。あれまだ使っていたのか。
「ねえ、幼馴染なら何か知らない? あの子今年に入ってからここでバイト始めたんだけど、2月あたりから思い詰めた顔するようになってね。家か学校で何かあったのか聞いても「大丈夫です」て答えるだけ」
諏訪部さんはふぅと一息つき、
「よく働いてくれる子だからさ、あたしの歳からしても娘みたいに思えて気が気じゃなかったよ。5月に入った時には目も当てられないくらい憔悴して」
俺と愛菜に謝罪した時だ。
「でもちょうどバンドのメンバー探していた連中に拾われてね。音楽にのめり込んでるうちにちったあマシな顔つきになったよ。あたしと同じ髪に染めたのには驚いたが」
本気で摩耶花を心配してくれている。
いまあいつは付き合っていた男が捕まり俺たちとも距離を置き学校で孤立していますなんておくびにも出せない。
「ああ、無理に話してくれなくてもいいよ。ちょっと気になっただけだから」
口篭っていると諏訪部さんは頭を振り、
「さっきのアイコンの話なんだけど……。あの子たちの初ライヴの打ち上げで、メンバーの一人がアイコンに写ってるあんた達の関係を聞いてね、「私の大切な幼馴染です」て。あの子、どこか懐かしいものを見るように微笑んでいたのが妙に印象に残っちゃってさ」
何か訳アリなんだろうね、と諏訪部さんたちはそれ以上その場で言及するのをやめたそうだ。
もう客は俺一人。他のスタッフ達も片付けを済ませている。
「そんな変装じみた格好してるんだ、来たのを摩耶花に知られたくないのかい。大丈夫、言わないよ。その代わりと言っちゃなんだけどさ」
こちらを見据える目は真に迫っている。
「もし、あの子があんたに悩みか何か打ち明けようとしたら……その時はちゃんと聞いてあげな。人間誰しも胸に閉まったままにはしておけないものがある。誰かが聞いてあげなきゃ息苦しさで潰れちまうもんさ。もちろんその告白をどう受け止めるかは……あんた次第」
それで話は終わり、と諏訪部さんはそのまま奥にいるスタッフに声をかけた。
去っていく女店長に一礼して階段を上る。
ごめんなさい、と頭を下げる黒髪だった幼馴染が脳裏をよぎった。
外に出ると既に日は落ちていた。
スマホを取り出すと何件かのメッセ。
慌てて通話ボタンを押す。
「もう! 心配したんだからね!」
さっそくのお叱りだ。
「すまない連絡忘れてた。摩耶花なら心配ないよ。あいつバンド組んでライヴやってただけ」
電話の向こうで驚いている反応があった。
「摩耶ちゃん、いつもなら演奏する時は呼んでくれてたのに……あ」
久々に聞いたちゃん付け。
言ってから気付いたのだろう。無自覚な発言に愛菜が自身の迂闊さを嘆いている様が伝わる。
二学期に入るまで愛菜は摩耶花の話題は極力避けていた。浮気された俺のことを慮ってだ。
「ごめん」
「無理しなくていいんだ愛菜。俺だって摩耶花のこと心配だったから」
「でも」
「俺のこと気遣うこともないんだよ。愛菜、言い過ぎたこと後悔してるんだろ。俺も同じだよ。浮気されたのはショックだけど、このままずっと摩耶花と話せないままってのはやっぱ辛い」
十年以上過ごしてきた子とあんな形で別れたくはない。浮気していたことを簡単に許したくはないが、それでも小さい時からの仲だ。
あの時の謝罪を最後まで聞くべきだったかもしれない。
少なくとも幼馴染としての関係には戻れたかもという今更な後悔が押し寄せてきた。
「摩耶花とは折を見てまた話そう。俺もちょっと気持ちの整理がつかないからさ」
「うん。ところで摩耶、ちゃんのバンドどうだった?」
「ああ、凄かった。しかもあいつボーカルだったんだぜ」
「それはなんか納得かも。摩耶ちゃん、歌上手いし」
それから今日の感想を愛菜に捲し立てる。ひとしきり喋るうちに胸の中に燻っていたものがまたパチパチと音を立て始めた。異様に饒舌な俺に愛菜はうんうんと相槌を打ってくれていたが若干引き気味になっていくのがわかる。また明日、と通話を切り上げた。
そのまま帰宅し、夕食をすませベッドに寝転ぶ。
まだ体にあの空間の熱がこもっている。
摩耶花のバンドについて軽くSNSで探ってみた。
バンドの公式アカウントはすぐに見つかった。ライヴの影響もあってか現在進行形でフォロワーがぽつぽつと増え続けている。
結成したのは今年の5月。
メンバーのプロフィールは年齢と担当楽器のみ記載された簡素なもの。
活動記録は写真とともに上げられている。どの写真の摩耶花も陰のない笑顔。
ライヴを行うのはほとんど先ほどのライヴハウスだ。
もっと過去を調べようと下へスクロールしていたら、スマホが震えた。
メッセの通知。液晶に表示されたのは摩耶花と俺と愛菜のスリーショットアイコン。
『お話したいことがあります。
幼い頃よく遊んだあの公園で待っています』
時刻は22時。女の子が出歩く時間ではない。迷うことなく家を出た。
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