第2話

「先週に引き続いて、刑事さんがひとり捜査を続けるそうです」

 朝のHRホームルームの最後に連絡事項を伝えると、生徒たちの視線が、郁奈の席に集まった。そこだけぽっかり穴が空いている。それから隣同士の席で秘密を語るように、「事件?」という言葉がささやかれたのが聞こえた。先週終わったと思った捜査が、まだ続くと聞けばそう考えてもおかしくないだろう。

「不安かもしれませんが、二週間後には中間テストもあるから、しっかり集中してください」

 そう言ったところで、どこか浮ついた空気はそのままだった。

 落ち着かない教室のなかで、後方の席の片桐だけは私を真っ直ぐに見つめていた。目が合うと頷いてこちらに合図をよこしてきた。

 HRを終わらせたあと、私は集めたプリントを指さした。

「片桐さん、プリント運び、手伝ってくれない?」

 ちょうどプリントは二組ある。ひとりで運べなくもないが、手伝わせたところで怪しいとは思われないだろう。


「昨日は大丈夫だった?」

 廊下を歩きながら、プリントを持った片桐に話しかける。

 一限前の廊下なんて、移動教室以外の生徒は出歩いていないし、みんな教室でだらだらしているはずだ。だから、ここでどんな話をしようと誰も聞いていないだろう。けれども、確実とはいえない。たまたま小耳に挟んだ生徒がいて、それが漏れたら、一気にすべてがさらけ出されてしまうことだってある。

 だから、具体的なことは言わない。

「はい。言いませんでした。みんなにもそう伝えておいたので、誰も言ってません。先生が最初に私を指名したのがよかったですね」

 私たちがこのまま黙っていれば、幽霊騒ぎは郁奈の件とは無関係だと判断されるだろう。

 この箝口令かんこうれいについては、警察がやってきた先週のうちに片桐を通して部員に伝えてあった。郁奈ふみながいなくても片桐はキャプテンとしてみんなをよくまとめてくれている。それがとてもありがたい。

 職員室に運び終わり、「ありがとう。もういいわよ」と礼を言う。

 出て行こうとした片桐は、なにかを思い出したように振り返り「そういえば」と言い出した。

「どうしたの」

「あの、くしの話聞きました?」

「なんの話?」

 片桐は自分でも半信半疑のような、釈然しゃくぜんとしない表情をしていた。

 そしてプリーツスカートのひだに隠れたポケットから、折りたたみの櫛を取り出した。

「こういうのです」

 私も中高生の頃に持っていたようなものだった。ボールチェーンがついていて、持ち運びしやすいコンパクトな櫛で、大抵キャラクターもののイラストが描かれている。片桐のは黒いペンギンのキャラクターがちりばめられていた。

「こういうのが、現場に落ちていたって、あの朽縄くちなわって刑事さんが言ってました。写真を見せてもらったけれど、まだ色あせもない新しいやつでした。郁奈のものかって聞かれて、私、違うって答えました。だって――」

 片桐が言うには、落ちていた櫛には、白猫のキャラクターが描かれていたらしい。

「郁奈、別にあのキャラ好きじゃなかったはずだし、違うと思うんです。私、郁奈のこと誰よりも知っているつもりです」

 さすがはおしどり夫婦の片割れだ。

 学校で郁奈を見掛けると、いつだって隣に片桐がいた。片桐の自負は決して間違っているとは思わない。部員たちだって、クラスの生徒たちだって、二人の仲がいいことはよくわかっていることだ。

 だからなのだろう。片桐は真剣な顔をしていた。

 けれど、私には関係があるようには思えなかった。朽縄が私に尋ねなかったのは気になるが、教員と生徒には普通隔たりがある。比較的生徒との距離が近い私でも、成績についてはいざ知らず、好みだのなんだのまで把握なんてしていられない。いくら部外者といえど、そのくらいは心得ているのだろう。

 とはいえ、郁奈についていえば、片桐の言う通り白猫のキャラクターの櫛は持っているとは思えない。彼女が好きだったのは、垂れ耳のキャラクターだったはずだ。

「たまたま落ちていただけってことも十分にあるでしょう」

「でも、まだ新しい櫛ですよ。それにあんまり人が来ないところって聞きました」

「片桐さん、倉井さんのことが気になるのはわかるけど、倉井さんのことはあまり考えすぎないように。HRで言ったけど、中間テストが近いし、来週からは予選も始まるよ。キャプテンのあなたが集中切らしちゃ、部員の子たちは落ち着かないでしょう」

 片桐は、それもそうですねと返事をしたものの、どこか納得できない様子で教室に戻っていった。

 ――私、郁奈のこと誰よりも知っているつもりです。

 片桐の言葉を思い出す。

 たしかに、彼女たちはとても仲がよかった。でも、どれだけ仲がよくても知らないことはあるものだ。しっかり者の片桐もまだまだ高校生の子供だなと苦笑したくなった。

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