秘密基地

増田朋美

秘密基地

その日も暑い日で、本当に一雨降ってほしいなと思われるようなそんな晴れた日が続いているのだった。そんな夏によくあるものといえば、夏祭りとか花火とか、そういうものがあるが、夏の日になると若い人には名物として取り上げられるものがある。それは、夏休みの宿題だ。

その日、製鉄所の食堂では、田沼武史くんが、同じクラスの土谷正美くんという少年と一緒に、夏休みの宿題をやっていた。製鉄所と言っても、それはただの施設名で、鉄を作るというところではない。ただ、居場所のない女性たちが、勉強とか仕事をするための、部屋を貸し出している施設である。時々間借りをしている人がいることもあるが、大体の利用者は通所で通っている。時々、武史くんのような小さな子どもが、秘密基地としてここに来るときがあるが。

「それなら、こうやってね、こうして解けばいいんだよ。」

「何だそういうことをすればよかったんだ。意外に簡単だったんだね。」

武史くんと、正美くんは、お互いに問題集を見せ合いながら、そういうことを言い合っていた。それを、間近で眺めている杉ちゃんと水穂さんは、顔を見合わせて心配そうな顔をした。

「なんだか楽しそうにやってるな。」

と、杉ちゃんが、そうにこやかに言った。

「学校では、そういうこと許されてないんだって。なんか、わからない問題があったら、教えてあげればいいことなのに、それも許されないみたい。」

水穂さんがそういった。

「はあ。だって、わからないことがあったら、質問するのはあたりまえじゃないか。それがなんで許されないって言うんだよ。」

杉ちゃんがいうと、

「わかんないけど、甘えては行けないとか、そういうことを教え込むためらしいよ。」

水穂さんは、静かに言った。

「ちょっと違うんじゃないか?勉強教えてやったら、又勉強のやりがいが変わってくると思うけど。」

杉ちゃんがいうと、

「そうかも知れないけどね。今はやり方が変わってくるからね。まあ一番の被害者は誰なんだろうかと考えると、それは、又武史くんたちが、可哀想になってくるんじゃないかなあ。」

水穂さんはちょっとため息をついた。

それと同時進行で、製鉄所から遠く離れた、田沼ジャックさんの住んでいる家では。

画家のジャックさんが、次の展示会に向けて、窓の側に座っている浜島咲をモデルに絵を描いていたのであるが、いきなりインターフォンが音を立てて鳴ったので咲は、思わず、変な方を向いてしまう。

「一体誰かしら。こんなときに。」

「いやあ、宅配便でも来たのかなあ?それなら、今日は来る予定はなかったんだけど。ちょっとまってて。」

とジャックさんは、絵筆をテーブルの上において、急いで玄関先に行った。

「はい、どちら様でしょうか?」

ジャックさんがそう言うと、

「あの私、鈴木政子と申します。鈴木正美の母でございます。」

そこには、一人の女性が立っていた。ジャックさんとそう年格好は変わらないから、同級生の生徒さんのお母さんだなということはわかるけれど、鈴木正美という生徒は、まず聞いたことがない。

「鈴木正美という生徒さんが、いたでしょうか?」

ジャックさんは、思わずそう言ってしまったのであるが、

「ええ。今の名前は、土谷正美ですが、次の学期から鈴木正美の名前でかよわせることになります。それも知らないとでも?」

女性は激したような感じでそういうのであった。ジャックさんが、何も知らなかったと正直に言うと、

「そうなんですか。武史くんは、本当に何も話さないんですね。学校のことや、お宅のことは、うるさいくらい話してくれるといいますが、それは、本当なのでしょうか?」

と、土谷政子さんは、そういうのであった。

「ええ土谷正美という方がいらっしゃることは、よく話してくれていました。今、彼と二人で、出かけています。それなのに何があったんです?」

ジャックさんがそう言うと、

「それでは、うちの子の話は殆ど知らないとでも?」

土谷政子さんは言った。

「知らないって、武史は、仲の良い親友だと言って、夏休みの宿題を一緒にやったりする仲ですが、それがなにか問題があったんでしょうか?」

ジャックさんが玄関先で困っているのを眺めていた咲は、何があったんだと思って椅子から立ち上がり、玄関先へ行ってみた。

「一体何の話なんですか?なんで同級生のお母さんがわざわざここへ来たんですか?」

「へえ。そうなんですね。お母さんがいない代わりに、そうやって、美人な女性を家の中に連れ込んで絵を書く仕事させるって。全く、変なことしてるんですね。それでは、家の正美をたぶらかしても仕方ないですね。」

と、土谷政子さんは言うので、咲は思わず頭に来てしまって、

「なんですか。あたしはただ、ジャックさんに頼まれて来てるんです。それは、仕事で来てるだけのことです。別に怪しいことをしでかしているわけではございません。」

と言ってしまった。

「でも、そうやって、若い女性を気軽に家にいれて、絵を描くだけかもしれないけど、そんなふしだらなことやってられるんですから、息子さんだって、ふしだらな子供さんになるわけですよね。そういうことなら、家の正美をたぶらかして、又変なことを言い含めたり、カンニングを助長させたり、そういうことを平気でするんですね。武史くんは、そういう子供さんです。お父さんが、外国の方で、確かに国民性とか、そういうものが違うんだってことはわかるんですけど、もう少し、武史くんのことを、厳しくしつけてもらわないと困ります!」

政子さんはそう言っている。

「そんなこと、だって武史は、正美くんが夏休みの宿題でわからないことがあるというので、それを教えてあげるんだって言って、今日でかけたんですよ。それなのに、武史がそんなこと言ったんですか?」

ジャックさんは、武史くんに言われたとおりに言った。

「でも、海外の方であれば、本当に信用できることを言うでしょうか?失礼ですけど、家の正美のことを、武史くんはどう話していますか?」

政子さんに言われて、ジャックさんは、

「ええ。武史の話によりますと、土谷正美くんは、とても頭が良くて、勉強のできる生徒さんですが、少し先生の前で小さくなってしまう傾向があると話していました。なので、僕が勉強を教えて、先生の前で緊張しないようにさせてあげるんだと話していました。」

と、武史くんに言われたとおりに話した。

「そんなことありません!武史くんよりも、定期テストの点数は、家の正美のほうがうえです。順位は家の正美のほうが上なんです。それなのに、勉強を教えてやろうなんて。うちの子は塾だって行ってるんです。それなのに、なんで武史くんから勉強を教わらなくては行けないんですか!」

政子さんは、そう言っている。

「そうですけど、武史は、正美くんが夏休みの宿題でわからないことがあるって言ってました。それは武史から聞きました。それなのになんで正美くんが、武史にたぶらかされたというのですか。理由を話してもらいたいのはこっちの方です。いきなり、こっちに押しかけてきて、何をするつもりなんですかね?」

ジャックさんは政子さんに困惑して言うのである。それを聞いた咲は、

「まあ待ってちょうだいよ。とにかく、話を整理することから始めましょう。武史くんは、正美くんのことを、親友だと言ってたのですね。それは、ジャックさんも、正美くんのお母さんも、わかっていらっしゃいますか?」

と間に入って急いでそういった。

「ええ。僕は武史から聞きました。」

ジャックさんはそう言うが、

「私は、武史くんが余計なおせっかいをしてくるので困ると聞きました。」

政子さんはそういった。

「それは、正美くんがそういったのですか?」

咲は、政子さんに言った。

「ええ。そう言ってましたよ。」

そういう政子さんであるが、なんだかその言い方は、ちょっと内容が違うのではないかと思われるような言い方だった。

「それ、本当にそうなんですか?」

咲はもう一度聞いてしまう。

「ええ。正美がそう言っていたんです。正美は、そうやって親のことを思ってくれる優しい子ですからそのとおりだと思います。それなのに何であなた達は、それを疑うんです?」

政子さんがそう言うので、咲は、方向を変えて別の質問をすることにした。

「失礼ですが、どうして正美くんは、土谷正美から鈴木正美と名乗らなければならなくなったんでしょうか。なにか事情でもありますか?」

「あなた、一体何を聞きたいんですか?そんな他人の話を聞いてどうなるんです。それはあなたが知ることでは無いでしょう。そうやって他人の話に首を突っ込んで、あなたなんだか女郎さんみたいですね。そんなに、人の話を聞いて面白いですか?」

「面白いとかそういうことではありません。あたしたちはただ、武史くんと正美くんが心配だから、話をしているだけのことです。だって、子どもの心配は、自分たちで解決できないでしょう。それなら、大人が助けるのは当たり前じゃないですか。」

咲は、政子さんにそう言われて思わず頭に来てそういったのであるが、

「子どもを持ったことのない女郎さんに、そんなこと言われたくありませんね。あなたもどうせ、子どもの気持ちなんかわからないんでしょう。子どもがどんなことしてるか心配している親の気持ちなんてわかるはずもないですよね。ああ、こんな人達のところに、家の正美を一緒に指せるんじゃなかったわ。担任の先生にでも話して、組替えしてもらおうかしら?」

と、政子さんは言うのであった。

「そうですか。なら実際のところどうなのか、今から行ってみようではありませんか!武史くんと正美くんが何をしているか、自分で確かめられたらいいのですよ。武史くんは、決して正美くんをたぶらかすのではなく、ただ宿題ができない彼の手助けをしているだけのことだとあたしは信じてます!」

咲は女性らしく感情的に言った。それなら、そうしようとジャックさんも考えてくれたようで、すぐにバスの時刻を調べ始めた。政子さんは車があるから私は平気だというが、咲は出来ることなら政子さんにも、バスでジャックさんと一緒に行ってもらいたかった。

「とにかくバスに乗っていただけますか。車で行くと、確実に道に迷いますから!」

咲がそう言うと、

「車で行けないようなところに行ったのなら、余計に困ります。そういうことなら、車のほうがより安全です。」

政子さんはそういう。ジャックさんがちょっと語勢を強くして、

「いえ、車ではなくてバスに乗ってください。武史も正美くんも、そういう行き方で行ってるんです。」

と言ったので、そうするしか無いと思ったのだろうか、おしまいには、ジャックさんと咲についてきた。三人は、近くのスーパーマーケットの前にあるバス停からバスに乗った。バスに乗って、しばらくすると、始めの頃は市街地を走っていたが、バスはだんだん田舎町を走るようになり、やがて、周りは森ばかりで、ビルも住宅も何もない風景ばかりのところになってしまった。政子さんが、一体どこ行のバスなのかと、咲に尋ねると咲は、ぶっきらぼうな言い方で、富士かぐやの湯行だと答えた。政子さんは、ゴミ焼き場に併設されている銭湯で何をしているんだと言ったが、バスの中なのでそれ以上は言えなかった。バスが、終点の富士かぐやの湯ではなく、その一つ前の富士山エコトピアの停留所で止まると、ジャックさんたちは、すぐにバスを降りた。

「一体どういうつもりなんですか。私までたぶらかすつもりですか?それとも、こんなところで別の何かを考えているの?」

政子さんはそう言うが、

「いえ、何も考えてはおりません。ただあそこの建物を御覧ください。」

咲は、そう言って、停留所近くにある、大きな日本旅館の様なたてものを、指さした。

「武史くんたちはあそこにいます。今頃は勉強教えあって、おやつでも食べてるんじゃないかしら。」

政子さんは、ゴミ焼き場の簡易宿舎ではないかといったが、

「違いますよ。そういう福祉施設は、なかなかひと目につくところには作れないから、こういう山の中に作るしか無いんですよ。それなら中に入ってみましょうか。正美くんはそこにいますから!」

咲とジャックさんはそう言って、製鉄所の正門をくぐった。こんなところに何になるんだと、政子さんは言っていたが、それでもついてきてくれた。

「武史くん正美くん、おやつですよ。」

まんじゅうを乗っけた皿を持って、水穂さんが食堂の中に入ってきた。武史くんも正美くんもやはり子どもであった。甘いものを見ると嬉しそうな顔をして、すぐに近づいてきた。

「夏休みの宿題は進んだの?」

水穂さんが優しく言うと、

「ウン。僕が宿題を教えたり、正美くんに教えてもらったり。一緒に教えたりすると勉強って楽しいね。」

武史くんが即答した。正美くんもすぐに、

「本当は僕もそうやって勉強したいよ。僕だけが、いい点数を取っていい思いをして、周りの人は喜んでくれるけど、僕はちっとも嬉しくないんだ。だって、僕はいい点とっても、周りの人達は、みんながっかりしてるし、中には、すごく嫌そうな顔して僕のこと睨みつけてくる子もいるし。」

と答えたのであった。

「そうなんだねえ。本当は勉強って、そうやって力をあわせてやりたいよね。誰々のほうが誰々より成績がいいから偉いではなくて、本当はできる子ができない子に教えてあげたりすればそれでいいんだよね。」

水穂さんがそう言うと、

「ま、結局のところ、勉強していい成績取って、喜ぶのは本人じゃないってことがわかると、勉強はつまんなくなるよ。それはいずれ身についてしまうと思うが、一年生のうちはそう思ってほしくないな。」

杉ちゃんが苦笑いしていった。水穂さんは、杉ちゃん又そんなこと言ってると注意するが、武史くんたちは、テーブルの上にある饅頭にかぶりついていた。

「美味しい?」

水穂さんがそうきくと、

「ウン、もちろん!」

と武史くんは答える。

「どこで買ってきたの?」

正美くんが聞いた。

「若槻っていう和菓子屋だけど、それがどうかしたのか?」

杉ちゃんがいうと、

「ママに食べさせてあげたいんだ。」

正美くんはにこやかに答えた。それを聞いて杉ちゃんも水穂さんも、子どもというのはどうしてこんなに純粋なんだろうかと、大きなため息をつくのであった。

「正美!何をしているの!帰るわよ!」

不意に製鉄所の玄関先で、そう女性が言っている声が聞こえてきた。正美くんはママだと呟いた。

「あれ?四時半のバスで帰るはずじゃなかった?」

杉ちゃんがわざというと、つかつかと製鉄所の廊下を歩いてくる音がして、食堂のふすまがピシャンと開いた。そこには、顔中を怒りにした政子さんがそこにいた。

「何だ、用事でもできたんか?そんなに怒らないほうが良いよ。」

杉ちゃんがそう言うと、政子さんは杉ちゃんと水穂さんを睨みつけるように見た。

「へえ、あなた達だったのね。武史くんも家の正美もたぶらかして、おまけに毒饅頭でも出すつもりだったのかしら!とにかくここで勉強したって何の意味もないわよ。どうせこの人たちは、着物を着ている以上ろくな人じゃないのよ。だから、正美もそうならないで、早く塾へ行って偉くなろうね。」

「はあ、偉くなるってのはどういうことなんかな?僕らは何もしてないよ。ただ武史くんと正美くんが、勉強をしているのを見てるだけだよ。夏休みの宿題でわからないところがあるからって二人で一緒に考えて、楽しそうにやってたよ。そのどこが悪いと言うんだ?」

杉ちゃんに言われて政子さんはすぐに言った。

「一緒に考えることが勉強じゃありません。それよりも勉強は自分で考えて自分の力でやるものです。」

「そうなるとカンニングするしか答えを見つけられないこともあるよ。」

杉ちゃんがいうと、

「そんなふうにヘラヘラして、あなた気は確かですか?何でも学歴の時代でしょう。いい学校に早くから行かせる意思を持たせないと、この子達は、将来、不幸になってしまうのよ。そうさせたくないから、学校に行かせて、塾にも行かせて、いい点を取って、幸せになってほしいのよ。」

と政子さんは答えた。

「はあ、そうなんだねえ。でもねえ。学校って、成績がいい子は確かに幸せになれるかもしれないけどさ、その反動でいじめにあった子も知ってるし、良い点取ったって体壊したら終わりだよね。悪い点の子は、ずっと差別されて幸せになれないでしょ。そういうわけだから、百害あって一利なしよ。僕らは、そういう人たちをみんな見てるから、よく分かるんだよね。子供の時から、そういう世界に入れちゃうってのは、僕はちょっとかわいそうな気もする。」

のらりくらりと答える杉ちゃんに、政子さんは、何よこの人という感じの表情をしていたが、

「まあ、ここは、二人の秘密基地なんですよ。それを壊しては行けないような気がします。」

と、咲はそっと言ったのであった。ジャックさんは、やれやれという顔をしている。いつの間にか饅頭を食べ終わった武史くんと正美くんは、また再び宿題に向かい始めていた。

「ねえ、武史くん。ちょっと聞いて良い?」

「良いよ。なんでも聞いて。」

そう言い合っている二人は本当に可愛いというか、熱心に勉強をしているようで、なんだか褒めてやりたくなるのだった。

「でも、いずれはこれは間違いだと教えてやらなければならないんですね。」

水穂さんが小さな声でそう言うと、

「教えなくたって良いじゃないか。どうせな、誰かにたよんなくちゃだめなときってのは必ずあるんだ。それができないように仕向けちゃ、みんなおしまいだぜ。そうなっちまうから、若いやつが、生きようと言う気持ちにならなくなるんじゃないの?いいか、人間を助けるのは結局人間でしか無いわけだよ。だから、それを拒絶する姿勢を作ったらおしまいだ。そうならせないように、頼ることは罪じゃないってちゃんと教えていかなくちゃ。」

杉ちゃんはカラカラを笑っていた。

「確かに、杉ちゃんみたいに車椅子に乗ってる方だとそう思うかもしれないですが、わからないことをすぐに発信できる人って、日本では少ないですよ。」

と、水穂さんがいうと、

「そういうのが苦手な民族なんでしょうね。」

ジャックさんも、水穂さんの話に同調したのであった。

その間にも二人の子どもたちは、一生懸命勉強をしているのであった。

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