第8話 うれしい便り

「陛下、お食事をお持ちしました」


「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」


「かしこまりました」


 すっかり日常となったやり取りだ。

 彼らは朝とか夜とかいうことを言わないから、時間経過が分からないのだが、この体で生まれてからだいぶ時間も経った気もする。

 最初は産卵にも苦痛を感じていたが、今では産卵感覚が空くと落ち着かなくなる有様だ。


「ん? ちょっと待て」


 働き蜂を呼び止める。どこか違和感がある。


「お前、働き始めたのはいつだ?」


「はい。今日が初めての勤務になります。……あの、なにか不手際でも?」


「いや、ない。そうか、初仕事か、よろしく頼むぞ」


「はい」


 そうか、なんか所作が初々しいと感じたんだな。

 まあ、最初は誰でもそうだ。マニュアルを読んでできるようになるすぐにできるなんてことは普通じゃない。

 俺も初バイトを思い出すな。高校のときだったか、学校じゃ禁止されてたけどよ。客と揉めねえかだけ心配してたな。そんときには既に雰囲気がキマっていたから、杞憂だったけどよ。


「うん。飯が一層旨くなるな」


 何が嬉しいって、ついに我が子が羽化したということだ。

 今までの働き蜂は俺の産んだ個体ではなく先代が産んだ子、つまり俺の姉だったわけだ。だからチクチク言葉がふんだんに使われていたんだな。先代の性格の悪さが滲み出てやがる。


 いや、先代女王も産卵漬けの生活に嫌気がさしていたのかもしれない。シープさんは、先代がここを去る時に涙を流していたと言ったが、それはこの監獄をひとたび離れ、久々の青空を見れたからという線もありうる。


 前女王がどんな魔蜂人であれ、どんな苦労人であれ、この巣の実質的な権力者は働き蜂さんズであることは事実だ。 先王が残していったこの環境は、俺にとって地獄であることに変わりはなかった。


 しかし、それもここまでだ。

 性格の悪さや生殖行動への嫌悪感が先代からの遺伝である場合、隔世遺伝で娘たちに移っている場合もあるだろうが、それを克服する方法は既に編み出している。

 着々と俺の絶対王政計画の下準備は続いている。


 俺が魔法研究、その成果がもうすぐ実る。

 そう考えるだけで頬が緩むのが止まらなかった。

 しかしもう少し先だ。我が子が裏切者として古参に潰されないように、今はまだ待つ。


 洋々たる前途を思い描きながら完食すると、コンコンと扉が叩かれた。こんな律儀なことをする方は一人しかいない。


「どうぞ」


「おう、今宵も来たぞ」


「おや、今は夜でしたか」


「ああ、月の綺麗な夜じゃ。おぬしと見れぬのは残念じゃな」


 そう、あの兜武者だ。体感になるが10日に一回くらいは来てくれる。

 こちらの事情にも配慮してくれて、私をこの部屋から連れ出せないという巣のルールに従ってくれる。

 まあ、騒いでくれた方が私としては嬉しいのだけど、無理はかけられない。


「あれ、征叢ゆきむら様、太刀を新調したのですか?」


「おお、気づいたか。レイジュはよく見ているのお」


 2度目の逢瀬の前にやっと聞けたのだが、兜武者の名前は早凪征叢さなぎゆきむら

 レイジュは私の名前だ。おぬしの名はと聞かれたらとっさに嶺慈れいじと答えてしまったのだが、男っぽいということでレイジュに改名した次第だ。

 この容姿と嶺慈という男の名前が紐づくのはどうも嫌だ。


 征叢様はパトロンだから不興を買うのは避けたい、というのは実利としてあるが、人間も比較的よくできてる。うちの働き蜂さんどもにも見習わせたいものだ。

 ここに来るときはいつもお土産を持って来てくれる。それは仕留めた鹿だったり、イノシシだったり、あるときは貴重な薬草だったりするらしい。


 いつもは厨房で働いている働き蜂さんがわざわざこの部屋に来て、事態を説明してくれたほどだった。よっぽど貴重な品だったのだろう。

 というかいつもお土産を受け取ってるというなら、働き蜂はその旨報告してほしかったのだが、そんなこちらの不手際も笑い飛ばして水に流してくれる御仁だ。


「おぬしに預けた太刀はある種褒賞用でな。駆脱くぬぎというんじゃが、これは無銘の実戦用じゃよ。やはり武器たるもの蛮用に耐えてこそじゃからな」


「まあ、そんなに良いものだったのですね」


「がっはっは。男が女に物を送るんじゃ。格好つけなくてどうするか」


 やはりこの人は古いタイプの人だ。しかし、それは現代日本の感覚であって、この世界感からすると、だいぶ革新的な気がする。

 だからけっこう時代劇に出てきそうな身の振り方を心掛けている。攻略対象の好みに合わせるのは、恋でも資格試験でも正当防衛の勝ち取り方でも変わらない勝利の方程式だ。


 だが、当初から気に入られていたのは予想外だったな。


「では、今宵も征叢様のお話、聞かせてくださいます?」


 そう言ってしなだれかかる。


「ああ、何から話そうかのう」


 嫌がられてないな。むしろ征叢様も照れながらも抱き寄せてくる。

 正直、気品ある対応は俺らしくない。が、らしさにこだわっていては生きてはいけない。恥ずかしさはありつつも、全力で「女」を遂行する。


 ヒルガオは気品あふれる方が、ヨルガオは妖艶な方が好まれるのだ。

 少なくとも征叢様はお好みのようだ。であるならば適応するだけのこと。

 特に、ヨルガオの咲き方は俺の制御下にないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る